青山森人の東チモールだより…東チモールは何処から独立した国なのか

新型コロナウィルス、エルメラで暴れる

東チモールにおける先月7月20日 からの新型コロナウィルス感染状況をざっと見てみましょう。

一日の感染者数とカッコ内は累積感染者数です。

【2021年7月】

20日=32(10174), 21日=31(10205), 22日=22(10227),

23日=54(10281), 24日=56(10337), 25日=11(10348),

26日=6(10354), 27日=33(10387). 28日=148(10535),

29日=160(10695), 30日=49(10744), 31日=154(10898).

【2021年8月】

1日=68(10966), 2日=16(10982), 3日=118(11100),

4日=45(11145), 5日=80(11225).

8月5日現在、回復者の累計は1万39人、新型コロナウィルスで亡くなった方は7月16日に1人でで以来でておらず、これまで亡くなった方の数は26名のままとなっています。

7月に入って27日まで、一日の新規感染者数は二桁半ば前後の推移を見せていました。26日には6人と一桁台に落ちましたが、 28日からいきなり100人を超える状況になりました。100人を超えたは首都デリ(ディリ)ではなく西部のエルメラ地方です。危機管理統合センターのルイ=マリア=デ=アラウジョ医師によれば、8月24日~8月3日のあいだ、エルメラ地方で588人の感染者数をかかえていることとなり、全国感染者数の54.2%を占めています(『テンポチモール』、2021年8月3日)。

首都圏であるデリ地方はワクチン接種が進んでいるためでしょうか、比較的低い数字を示し続けています。デルタ変異株にたいする警戒とともに、地方でのワクチン接種をいかに促進させるのかが政府の課題といえます。

毎月末お馴染みとなってしまった非常事態宣言延長の手続きが7月末にもおこなわれ、今回は16回目となりますが、非常事態宣言(8月1日~30日)が発令されました。また7月30日、全国感染者数の半分以上をかかえるようになったエルメラ地方のエルメラとカイラコという二地区において7月31日から8月11日まで都市封鎖の措置をとると政府は発表しました。

NHKによる東チモールの紹介の仕方

2016年8月5日、ブラジルはリオデジャネイロでオリンピックの開催式が行われ、これをテレビ中継していたNHKのアナウンサーは東チモールの選出入場のとき、東チモールをこう紹介しました。

「続いて東ティモールです。2002年にポルトガルから独立、今回が4回目の参加です。出場選手は3人、今回は初めて自転車に出場します」。

そして今年、東京オリンピックの開催式、7月23日、夜10時を少し回ったころ、国旗を手にした東チモールの選手2人が入場したところで(参加選手は3人、水泳男女1人ずつ、男子陸上1500mが1人 )、テレビ中継していたNHKのアナウンサーは東チモールをこう紹介しました。

「続いては東ティモールです。2002年にインドネシアから独立、今回が5回目の参加です」。

おやおや、NHKさん、5年前には「ポルトガルから独立」といい、今年は「インドネシアから独立」といい、いったい「東ティモール」は何処から独立した国なのですか。

テレビや新聞などのマスコミでめったに報道されない東チモールですが、それでもごくまれにマスコミに登場するとき、東チモールは「インドネシアから独立」した国として紹介されます。東チモールが2002年に独立(本当は「独立回復」だがここではこの点には触れないことにする)して以来、NHKは(とくにラジオで)マスコミとしては比較的多く「東ティモール」を取り上げていたようにわたしは記憶していますが、NHKも「インドネシアから独立」という表現を使っていました。そのうち「これはちょっとマズイかも…」とNHKが思ったかどうかは知りませんが、「……から独立」という表現を避けて「インドネシアの軍事支配から解放された東ティモール」という表現を使うようになりました。そして2016年8月、リオデジャネイロのオリンピックの開会式を中継するNHKは(ついに「インドネシアから独立」という表現を諦めて…と当時わたしは思ったものだ)東チモールは「ポルトガルから独立」した国と表現したのです。

その後も「ポルトガルから独立」という表現をNHKは使い続けたのかどうかはわたしは知りませんが、ごくごく稀に新聞に登場するとき、東チモールは「インドネシアから独立」した国と相も変わらず書かれいます。2016年8月に「ポルトガルから独立」とNHKのアナウンサーが「東ティモール」を紹介したことは、もしかしたら“珍事”だったのかもしれません。

独立までの経緯を確認

歴史の解釈はそれぞれの立場でいろいろ違ってきて当然のことです。わたしの立場は以下の通りです。東チモールは一度たりともインドネシアの一部になったことがないので、東チモールがインドネシアから独立するのは無理なこと。ただそれだけです。では東チモールは何処から独立したのか。ポルトガルから、といわざるを得ません。なぜか。独立までの経緯をざっと見ればわかることです。

ポルトガルから独立しようとする東チモールを、1975年12月、インドネシア軍が全面侵略してから24年間、東チモールは抵抗を続け、戦争が続き、決着がつかず、この間、東チモールの抵抗組織はインドネシアに統合されたことは認めず、宗主国ポルトガルも国連も「ポルトガルは東チモールの施政国である」という立場を貫き通したのです。

当時のインドネシア軍事独裁体制を陰に陽に支援していた日本や欧米諸国の政府でさえも「東チモールはインドネシアの領土である」などという政府見解を一度たりとも発表したことはなく、公式には国連の立場に沿うものでした。東チモールを27番目の州とするインドネシアの立場を公式に認めたのはオーストラリアぐらいです。

決着がつかない帰属問題に決着をつけるべく、1999年8月30日、国連監視のもと住民投票が実施され、東チモールは改めてインドネシアの一部でないことを国際社会にぐうの音も出ないかたち示しました。かくして東チモールは独立準備期間として国連の暫定統治下に入り、2002年5月20日、独立の日を迎えたわけです。

したがって、東チモールはポルトガルから、24年間にわたるインドネシア軍の妨害と2年半の国連暫定統治を経て、独立した国ということができます。つまり端的にいうと東チモールはポルトガルから独立した国なのです。

わたしは知りたい、マスコミが東チモールをインドネシアから独立した国というその理由と論理を。

東チモール、東京オリンピックに参加

東チモールのオリンピック委員会が今回の東京オリンピックに選手を派遣することを正式に決めたあと、ルオロ大統領は選手たちに向けて次のような声明を出しました。

「あなたがたが東京オリンピックに参加することは、東チモールに誇りと名誉を与えるものである。小さな国でも国際水準で競うことができることをあなたたちが世界に示すものと期待する。メダル獲得は大きな名誉となるであろうが、クーベルタン男爵がいうように、大切なのは勝つことではなく、尊厳をもって競うことなのだ。あなたたちの成功を祈る」(『テンポチモール』、2021年7月9日)。

今回の東京オリンピックは、新型コロナウィルスによる犠牲者拡大と引き換えに強行開催され、人命が

蔑ろにされたことを思えば、はたして「誇り」「名誉」「尊厳」という用語を向けられるに値するのか、はなはだ疑問ですが、東チモールにしてみれば大きな挑戦なはずです。

水泳は2人とも予選を通過できず、1500mは予選一組の16位に終わりました。しかし東チモールに「誇り」「名誉」「尊厳」がもたらされれば東チモールの成功といえましょう。なにはともあれ、日本にいる東チモール人が日本政府による対新型コロナウィルスの失政によって被害をうけないようひたすら祈るばかりです。

 

青山森人の東チモールだより  第440号(2021年08月05日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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