青山森人の東チモールだより…次期大統領にフレテリンのル=オロ党首

青山森人の東チモールだより  第344号(2017年3月31日)

次期大統領にフレテリンのル=オロ党首

大統領選挙の結果

来る5月20日で任期満了となるタウル=マタン=ルアク現大統領の後を継ぐ次期大統領(任期は2017~2022年)を選ぶ投票が3月20日に行われ、フレテリン(東チモール独立革命戦線)の党首であるフラシスコ=グテレス=“ル=オロ”候補(62歳、1954年9月7日、ビケケ地方オス生まれ)が過半数の投票数を獲得し、当選しました。ル=オロ党首は大統領選3度目の挑戦で当選を果たし、まさに3度目の正直を実現しました。そして今回の大統領選は2002年独立以来、決選投票を必要としなかった初の大統領選となりました。

国家選挙委員会(CNE)が3月25日に最終確認した選挙結果は以下のとおり。得票数の多い順番に、候補者番号-候補者名-得票数-得票率を示します。

2. フランシスコ=グテレス=ル=オロ          29万5048票 57.1%

8. アントニオ=ダ=コンセイサン=カロハン   16万7794票 32.5%

5. ジョゼ=ルイス=グテレス                   1万3513票  2.6%

4.ジョゼ=ネベス                            1万1663票  2.3%

7. ルイス=ティルマン                        1万1125票  2.2%

1. アントニオ=マヘル=ロペス                     9102票  1.8%

6. アンジェラ=フレイタス                        4353票  0.8%

3. アモリン=ビエイラ                            4283票  0.8%

(得票率は小数第2位の数字を四捨五入したので合計100%とならない)

・投票者数=52万8813人

・投票率=71.16%

・有効投票数=51万6881票

・白票=2911票

・無効票=8989票

・“拒否”票=32票

過去最低の投票率

今回の大統領選の結果で一番気にかかるのは過去最低の投票率を記録したことです。登録有権者数は約74万3000人、投票者数は52万8813人、投票率は71.16%でした(2007年は81.69%、2012年は78.20%、いずれも大統領選第1回目の投票率)。20万人以上の有権者が投票しなかったというのは、文字通り命をかけて独立を決めた1999年の住民投票で投票率98.6%を記録した東チモールの歴史を想起すれば、隔世の感があります。

なぜこんなにも投票率が低下したのでしょうか。STAE(選挙管理技術事務局)による準備や有権者への呼びかけが不十分だったという意見が報道されています。去年10~11月の地方選挙が実施されたときにも準備不足が指摘されました。国連PKOが完全撤退(2012年12月)したことが遠因となって、選挙機関による選挙への取り組みにスキができたということになっていければよいのですが。

それにしても投票への動機が十分あれば東チモール人はいかなる障害があろうとも投票するはずです。投票しなくてもいいや……という投票への動機を薄める政治的空気が有権者に漂ったはずです。汚職疑惑が絶えない政府、庶民の生活を第一に考えない政治家たち、とくに生涯年金制度で東チモール経済の実態にそぐわない高額な年金を受け取り特権に浴する政治家たちに成り下がってしまった独立運動の指導者たちにたいし、有権者は失望と隔たりを感じはじめているのかもしれません。また、儀礼的な権限しか有しない大統領は政策にたいする有効な手段を講じることができない憲法上の制約を有権者はここ数年間で思い知ったことが、20万人の有権者の足を投票所に向けさせなかった原因かもしれません。あるいはまた、今回の8名の候補者の顔ぶれをみれば、ル=オロでいいではないか、どうせル=オロで決まりだ、という判断と冷ややかな気持ちをもった有権者が投票しなかったかもしれません。

技術的な問題もあります。海外に滞在する東チモール人も今回から投票できるようになりましたが、インドネシア・イギリス・韓国では投票できず、ポルトガル(リスボン)とオーストラリア(シドニーとダーウィン)でしか投票できないというのは制度的な不備といわざるをえません。インドネシア・イギリス・韓国にも多くの東チモール人が留学または労働のために滞在しているからです。

独立の英雄・シャナナ=グズマンの影響力

ポルトガルの通信社「ルザ」などの新聞報道によれば、ル=オロ候補は13の地方(12の地方自治地とオイクシ・アンベノ特別行政区)のうち9地方(アイレウ、バウカウ、ボボナロ、コバリマ、ディリ、ラウテン、マナトゥト、マヌファヒ、ビケケ)で勝利し、地元であるビケケ地方では得票率82.79%という圧倒的な力を誇示しましたが、逆に最も少なかったのはリキサ地方の41.35%でした。

アントニオ=ダ=コンセイサン=カロハン候補(53歳)は3つの地方(アイナロ、エルメラ、オイクシ・アンベノ特別行政区)で勝利し、リキサ地方では得票率49.82%を獲得した一方、ビケケ地方では僅か9.67%だけでした。「オイクシ・アンベノ特別行政区」ではフレテリンのマリ=アルカテリ書記長が最高責任者となって大規模開発ZEESM(オイクシの経済特区)の開発を進めていますが、その利権にあずかる地元業者を通してフレテリンの支持率が上がるかどうかわたしは注目していましたが、オイクシでフレテリンが民主党に勝てなかったところをみると、どうやらZEESMはフレテリンにとってプラスに作用していないようです。

フレテリンのル=オロ党首が今回当選できたのは連立政権の最高実力者であるシャナナ=グズマン計画戦略投資相(以下、投資相)の支持を得たことが要因ですが、今回の8名の立候補者のなかでは、24年間山で闘ったル=オロ候補は解放闘争の貢献度という観点で他の候補を知名度で圧倒しています。1990年代後半、ル=オロ氏はフレテリン指導委員会副議長として海外へ戦況を報告していました。拙著『東チモール抵抗するは勝利なり』(1999年、社会評論社)にル=オロ氏による軍事報告を掲載していますが、それを読んでもらえればル=オロ氏が優れた分析家であることがわかります。

政治的な駆け引きがなければ(そんなことはあり得ないが)、シャナナ投資相の支持がなかったとしても、ル=オロ氏は大統領になれる人物です。ル=オロ氏は2000年からフレテリン党首を務めているものの、党の“運転席”で“ハンドル”を握っているのは書記長のマリ=アルカテリ前首相となっていることが残念です。2000年からフレテリンは解放闘争時の政党とは別ものになったという批判もあります。こうした理由からフレテリンの支持率が30%前後に固定されて飛躍できず、前々回と前回の大統領選で第1回目の投票で最高獲得票数を得ながらもル=オロ党首は決選投票で敗れました。

今回ル=オロ党首が決選投票なしで当選できたその立役者としてのシャナナ=グズマン前首相にしてみれば、してやったり! ZEESMの最高責任者という役職をマリ=アルカテリ書記長に与え、いま大統領職をル=オロ党首に授けたシャナナ=グズマン元大統領にフレテリンは頭が上がらなくなり、シャナナ投資相はCNRT(東チモール再建国民会議)という政党の党首でありながらフレテリンをより完璧に手中に収めたことになります。シャナナ党首にとってフレテリンこそが重要であって、CNRTはシャナナ党首にとって個人的な舞台衣装のようなもので政治集団としての実態は無いといっても過言ではないでしょう。CNRTの構成員・支持者は自らの存在理由を自問しなければなりません。

シャナナ投資相はこれで、この5年間タウル=マタン=ルアク大統領が主であったために言うことをきかなかった大統領府を従わせることができるようになりました。あとは議会選挙で勝利し、これまでどおり国会を支配して政府を率いれば、既成勢力をより強固に築き上げることができるということになります。

とにもかくにも、独立(東チモールにいわせると「独立回復」)直前の大統領選挙では自らが圧勝し、独立後の大統領選では支持候補を当選させてきた元大統領かつ前首相のシャナナ=グズマン投資相の独立の英雄としての影響力と手腕を、改めて認めないわけにはいきません。

既成勢力への挑戦

2007年の大統領選でル=オロ党首が第1回目の投票で得たのは27.9%、2012年では28.8%の票でした。フレテリンの支持率は30%前後と固定されていると前提すれば、今回の大統領選で得たル=オロ党首の57.1(%)から30(%)を引いた数字、つまり約27%という上乗せは、単純に考えるとシャナナ投資相のお陰で得られたことになります。

しかし案外そうともいえない要素も考えられます。もしタウル=マタン=ルアク大統領が再出馬したなら、シャナナ投資相がル=オロ党首を応援したとしても、タウル=マタン=ルアク大統領の再選が予想されるからです。そう考えてみると、ル=オロ候補が得た得票率57.1%からフレテリンの支持率を差っ引いた分のなかでどれだけ議会選挙においてシャナナ党首のCNRTに流れるかといえば、見た目ほど多くないかもしれないという気がしてきます。

一方、民主党候補であるアントニオ=ダ=コンセイサン教育大臣の得票率32.5%の内容を考えて見ましょう。民主党の故ラ=サマ党首が過去の大統領選で得た得票率(2007年に19.2%、2012年に17.3%〈ノーベル平和賞受賞者・ジョゼ=ラモス=オルタ候補の17.5%に肉薄した〉)を考慮すれば、民主党候補として票を相当に伸ばしたといえます。

いうまでもなくこれは民主党の健闘を意味しません。新政治勢力PLP(大衆解放党)の支持によって得られた票の伸びと考えてよいでしょう。大黒柱であるラ=サマ党首を失った民主党の力は明らかに減衰しているので、ダ=コンセイサン候補の獲得票のうち控え目に見ても半分はPLPがもたらした票といっていいと思います。

タウル=マタン=ルアク大統領が「わたしの党とはPLPだ」と任期満了日を待たずに前倒しの“カミングアウト”をして(東チモールだより 第343号参照)、PLPがダ=コンセイサン候補への支持を表明し、イザベル夫人が大統領の代弁者のようにダ=コンセイサン候補を応援したことで得られた民主党候補の32.5%という得票率には、来る総選挙の台風の目ともいえるPLPの期待値が含まれているし、PLPと民主党の連立を組んだ場合の支持率の目安にもなります。

今回の大統領選はXG vs. TMRの前哨戦

今回の大統領選挙は、上位2名の獲得票を合計するとほぼ90%に達し、他候補6名の票をよせ集めても10%程度であることから、フレテリンのル=オロ党首と民主党のアントニオ=ダ=コンセイサン=カロハン書記長による事実上の一騎打ちであったことがわかります。

ル=オロ候補をシャナナ=グズマン(XG)が支持し、アントニオ=ダ=コンセイサン候補を新党PLP(大衆解放党)がそれぞれ支持し、タウル=マタン=ルアク(TMR)が来る7月の議会選挙でPLPを率いるであろうことから、今回の大統領選は議会選の前哨戦であり、XG vs. TMRの選挙対決の前哨戦であったともいえます。

ル=オロ党首が得た57.1%とダ=コンセイサン教育相が得た32.5%、二つの得票率が議会選挙までそれぞれどのように変移していくか、これからの2~3ヶ月間が見ものです。既成勢力を築き上げているシャナナ=グズマンと、それに挑戦しようとするタウル=マタン=ルアクは選挙で対決しようとしています。

写真(2012年の大統領選、タウル陣営の大横断幕から)

1999年10月、侵略軍から解放され歓喜する群集に向かって、東チモール民族解放軍のシャナナ=グズマン総司令官(右)とタウル=マタン=ルアク参謀長官(左)はVサインで応える。独立の両雄は来る議会選挙で競うことになる。

 

青山森人  e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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