新型コロナウィルスの感染状況
5月9日から6月7日までの新型コロナウィルスの一日の新規感染者数を見てみます。
【2022年5月】
9日=0, 10日=1, 11日=0, 12日=2, 13日=0,
14日=1, 15日=0, 16日=0. 17日=1, 18日=0,
19日=2, 20日=1, 21日=0, 22日=2, 23日=1,
24日=0, 25日=1, 26日=7, 27日=5, 28日=3,
29日=0, 30日=1, 31日=2,
【2022年6月】
1日=1, 2日=1, 3日=4, 4日=3, 5日=1,
6日=2, 7日=1,
5月20日の「独立回復」20周年記念行事の反動が心配されましたが、いまのところ数値上にその兆候は現れていません。6月に入って7日まで、一日の感染者数がゼロの日がないのが少し気になりますが、一桁台に収まっているのは世界的に見て優秀といってよいでしょう。ただし6月6日と7日に死亡者が一名ずつ出ました。これで累積死者数は133人となりました。
町に溢れる若者たち
ベコラ地区を東西に貫く一本道の大通りがあります。このベコラの大通りは首都の中心部からわたしの住む所へは上り坂となり、その反対は下り坂となります。わたしは少なくとも週に3日は健康のためにこのベコラ大通りを歩いて下って首都の中心部を散策し、そして上り坂を歩いて帰ることにしています。
わたしの住み家から直線的にベコラ大通りに出るとその道沿いにベコラ診療所があります。そこからちょっと上に歩くと左手にベコラ刑務所があります。インドネシア軍占領時代には解放闘争の戦士たちが政治犯として牢屋につながれていた所です。わたしの住み家の主であるジョゼ=アントニオ=ベロ、かれはいまRTTL国営放送局の経営代表を務めていますが、インドネシア軍占領時代はまるででこの刑務所を別荘とするようにしょっちゅうここに囚われていたものです。現在ここは東チモールの通常の刑務所となっています。
さて、いまはベコラ大通りを下りましょう。ベコラ診療所から下ってしばらく歩くと左手にベコラ警察署があり、さらに下ると左手に「東チモールオリエンタル大学」という大学があり、学生たちがわんさかと大通りに溢れんばかりにたむろしています。この大学の前で学生たちはミニバスへ乗ったり降りたり頻繫にするものですから、それでなくても交通量が激増している昨今です、この界隈の歩道・車道はごった返し、歩行者もバイクも車も穏やかに真っ直ぐ進むことはできません。歩行者は歩道と車道を出たり入ったり、歩いたり小走りしたりで、結構な運動を強いられます。暑さに気をとられ注意力が散漫になると車やバイクにぶつかりそうになる難所です。
この大学の前を過ぎるとすぐ左手に「ビラハルモニア」という宿屋があります。いま改装中で宿業は休業中です。「ビラハルモニア」にはインドネシア軍占領時代、わたしは随分と世話になりましたし、ご主人のペドロさんにはいまでも世話になっています。
この「ビラハルモニア」からほんのちょっと下ると右手に、つまり「ビラハルモニア」から斜め左向かいにSEFOPE(雇用職業訓練庁)という役所の庁舎があります。この敷地内には韓国へ働きに出たい人たちのための韓国語教室もあります。この庁舎敷地入り口周辺にもまた大勢の若者たちがたむろしています。ここの前を歩くときもひと苦労です。バイクがズラリと並んで路上駐車し大通りの幅を狭くし、庁舎敷地の入り口前にごっそりとたむろする若者たちは歩道を塞いでいるので、入り口前を通過するのは不可能です。通りの向こう側に渡らないとここは通れでません。
以上は月~金曜日の午前中の描写でした。午後は若者たちの群衆密度は緩和され、週末となると人も交通量もぐっと少なくなります。
そして前号の「東チモールだより」でも書きましたが、いま歩いたベコラ大通りの道路沿いには中国人経営の食料雑貨店が点在し、地域住民を顧客として繫盛しているのです。
歩道が若者たちに塞がれて、
通り抜けることはできない。
あきらめて向こう側に渡って歩くしかない。
SEFOPE前、ベコラにて。
2022年6月1日、ⒸAoyama Morito.
職を求める若者たちの悲哀
SEFOPE前の若者たちの群れを見るたびに、わたしは二つのことを想ってしまいます。一つ、こんなに溢れんばかりの若者たちが職を求めている、それだけ無職の若者たちが大勢いる、東チモール国内で仕事に就けるのはごくわずか人たちにすぎずない、政府は若者たちへ十分な雇用機会を創出できていない……などなどです。二つ、厳しい雇用状況に対応すべく開設された韓国語教室の大盛況なこと、韓国政府による東チモールの現状に呼応する積極的な支援、韓国の力強さ……などなどです。
二つ目のことについては、韓国経済は成長しているのにたいし日本経済が長らく停滞しているために平均賃金において日本は韓国に抜かれてしまったことを、SEFOPE前にズラリと路上駐車するバイクを見るとどうしても想ってしてしまうのです。
日本経済の低迷のことはさておき、本題は一つ目のことです。SEFOPE では、6月2~9日の期間中に韓国語の受験登録をおこなっていました。韓国へ働きに出る者は韓国語の試験を受けて合格しなければなりません。韓国への労働者派遣事業は東チモールと韓国の二国間の協定事業です(オーストラリアへの労働者派遣事業も東チモールとオーストラリアの二国間の協定事業。これにたいしてイギリスへ渡る東チモール人は個人的な出稼ぎ労働者である)。韓国へ働きに出たい若者はここで韓国語試験を受けなくてはならず、まずは受験登録をしなければならないのです。6月7日、この受験登録をしようと殺到した1000人(あるいは2000人か)ほどの若者たちにSEFOPEは対応することができず、門を閉めてしまい、門を閉められた若者たちが塀となっている鉄製の柵をよじ登り、けが人が出る事態が発生してしまったのです。
この事故・騒動にかんして、しっかり対応しないで門を閉めるとは嘆かわしい、韓国へ働きに出たい若者たちの実態を把握して各地方にも窓口を作るべきだなどと、政府や担当庁に批判の声があがりました。最近バウカウにも韓国語教室が開設されましたが、依然として若者たちが首都に集中してこのような事態が起こったということは、地方の教室はまだよく機能していないようです。
新聞『ディアリオ』(2022年6月15日)に「AJAR(アジア正義と人権); 権力者たちを信頼できなくなり、大勢の若者たちが国を出る」という見出しの印象的な嘆きの非難記事が載りました。AJAR(アジア正義と人権)という人権団体のジョゼ=オリベイラ代表は現状をこう総括します――政治指導者たちは、仕事を求めて海外に出なくてもよいような条件を国の将来のため若者たちに整えなければならない。政権を担う者たちがこのような根本的なことを見ないと、東チモールで人材を求めることが困難となり、外国人がやって来て(商売を)独占して東チモールの資源を快受するのである――。
そしてオリベイラ氏は若い人たちに希望を与えない政治家を批判します。「将来、政府は何を統治するのか。若者たちがみんな海外に出てしまったら、お年寄りや植物・鉱物だけを統治するのか?政権を担う者たちは若者たちに希望を与えなければならない。海外で暮らす個人個人の権利は確かにある。しかし国としては若者たちに希望を与えなければならない。若者たちは国の将来だからだ。もし若者たちがみんな海外に出て行ってしまったら、国の将来はどうなってしまうのか?これはわれわれが考えなければならない問題だ。若者たちがみんな海外に出て行って、われわれがそれに満足するのが正しいのか。お金があれば海外に出れるが、それができない者たちは格闘技集団に入ってあちこちで問題を起こす。政治家は自分たちのことか古い世代のことしか考えない。国が前へ進むには若者たちに国の発展にたいする動機を与えること、これが権力者がしなければならないことだが、これをしようとはしない。若者たちがごっそりと海外に働きに出ることを嬉しがることがやるべきことではない。海外に出ることは選択肢の一つではあるが、政治家の根本的な役割とは国を発展させて若者たちに希望を与えることだ。もし国の未来を担う若者たちがみんな海外に出て行ってしまったら、国の将来はどうなってしまうのか」。
オリベイラ氏はまた、現在の第八次立憲政府は2018年に6万人の雇用創出を約束しましたが、その約束は消え薄れてしまったことを指摘します。そしてベコラのSEFOPEに若者たちが殺到するだけでなく、ヨーロッパ行きのための書類をそろえるべく毎日ポルトガル大使館前や代理店に多くの若者たちが集まっていることも指摘し嘆きます。
ポルトガル大使館は政府庁舎の斜め向かいにあります。わたしも朝9時ごろポルトガル大使館前をたまたま歩いたとき多くの人たちが大使館前に列をなして並んでいるのを見たことがあります。
『インデペンデンテ』(2022年6月17日)の記事。
見出し:「今年、SEFOPEはオーストラリアと韓国に約二千人の労働者を送る予定」。
SEFOPEは来年にはドバイ・ポルトガル・日本にも労働者を送る準備をしている。また2009年からこれまでに、韓国に4226人、オーストラリアに5400人の労働者をそれぞれ送ったともSEFOPEの責任者は述べる。
二重写しになる若者たちの今昔
若者たちが韓国語の受験登録に殺到するニュース映像を見て、わたしは東チモールの若者たちの今昔が二重写しになって見えました。
受験登録しようとする若者たちが我先に狭い門を通過しようとする光景と、1991年11月に起こった「サンタクルスの虐殺」の光景がまず重なりました。サンタクルス墓地に集結し自由を叫ぶ若者たちにインドネシア軍兵士が無差別発砲し、若者たちが墓地に逃げようとし狭い門に殺到した光景です。
また、門を閉じられた若者たちがそれでも韓国語受験の登録をしたいために柵をよじ登るその姿は、1994~1996年、東チモールの若者たちがジャカルタに駐在する各国の大使館に入るために柵塀をよじ登った姿と重なります。当時の若者たちがこのような強行手段に打って出たのは自分たちがおかれている不条理な状況を世界に訴えるためでした。在ジャカルタ日本大使館にも1995年11月14日、21名の東チモール人が突入しました。
狭い門を通過して逃げようとするのも、大使館の高い柵をよじ登るのも、当時の若者としてはインドネシア軍占領に抵抗するための決死の行動でした。そして現在、当時の若者たちの子どもの世代にあたる若者たちは職を得るために、狭い門に殺到し柵をよじ登る……当時の若者たちと比較して現在の若者たちに悲哀をわたしはより強く感じてしまいます。しかし、今も昔も、よりよい生活を求めるための行動であることに違いはありません。
指導者たちの今昔
人権団体のオリベイラ氏がいうように、いまの政治家は若者たちに希望を与えていません。そもそも政治家は支配層として若者たち(一般庶民)を政策の対象として見ているにすぎません。政治家の多くはかつての解放闘争の指導者でした。かれらが解放闘争の指導者だったとき、いつか必ず勝利するのだと住民に希望を与え、そして戦いに勝ちました。解放闘争の指導者は、一般庶民の力がなければ国を解放することはできないことが分かっていました。一般庶民を政策の対象として決して見ていませんでした。解放闘争の指導者といまの政治家との違いはそこにあります。
青山森人の東チモールだより 第464号(2022年06月13日)より
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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