青山森人の東チモールだより…発足から1年、第8次立憲政府

青山森人の東チモールだより  第396号(2019年6月22日)

 

出口のない袋小路

現在の第8次立憲政府が発足したのは1年前の6月22日でした。2017年9月15日、少数政権として発足したフレテリン(東チモール独立革命戦線)と民主党による連立政権(第7次立憲政府)は国会を正常に運営することができず、2018年1月、ルオロ大統領(フレテリン出身)はやむを得ず国会を解散、同年5月におこなわれた「前倒し総選挙」の結果、CNRT(東チモール再建国民会議)とPLP(大衆解放党)とKHUNTO(チモール国民統一強化)による三党連合勢力AMP(進歩改革連盟)が過半数議席を獲得し、誕生したのが第8次立憲政府でした。

AMPを率いるのはシャナナ=グズマンCNRT党首、そして首相に就任したのはタウル=マタン=ルアクPLP党首で、この二人は解放闘争時代、FALINTIL(東チモール民族解放軍)の最高司令官と参謀長官をそれぞれ務めた、いわばゲリラ組織の双璧のなす独立の英雄です。その二人が連立を組んで政権を担うのですから、国民は少なからず期待を寄せたはずです。

しかしながらルオロ大統領とシャナナCNRT党首との対立による閣僚未就任問題が政権発足時点から勃発し、こじれにこじれてしまいました。汚職事件に関与しているという理由で閣僚就任にたいし大統領が難色を示すCNRT出身の7名とKHUNTOの2名が閣僚に就任できず、さらに就任できない候補者たちに“連帯”の意を表し就任できるのに就任しない者も3名おり、合計12名が閣僚ポストに就けない/就かない状態が一年も膠着してしまっているのです。オロ大統領とシャナナCNRT党首の対立は解放闘争時代に根があるといわれ、二人はなかなか歩み寄る気配をみせません。

東チモールの政界や各方面の要人たちはこの閉塞状態を打開するためにおそらくいろいろと手練手管を尽くしているものと想像できますが、成果が現れません。もしタウル首相が政権発足から1年経過したことを口実に内閣改造に着手できるのであれば、ルオロ大統領が難色を示すことのない新しい閣僚名簿を作成し、全閣僚が出揃う政府ができるのですが、なかなかどうして、容易ではなさそうです。

代わり映えのしないAMP政権

AMP政権になってからもシャナナCNRT党首はこれまで推進してきた大規模開発「タシマネ計画」をさらに邁進させています。その一方で農業・教育・保健など庶民の生活向上に直結する投資が控え目になっている状況に変わりがありません。なんといっても、AMP議長かつCNRT党首でもあるシャナナ=グズマン・チモール海領海交渉団長の手腕による、6億5000万ドルという「グレーターサンライズ」利権獲得資金の投入は、連立相手が代わっても2007年から始まったシャナナ連立政権が依然として現在進行形であることを世間に強く印象付けました。

さらに、以前のシャナナ連立政権下で起こった汚職疑惑の話題には今も事欠かないし、例えば、5月にジュネーブで開かれたWHO(世界保健機構)の会議に出席した保健副大臣が保健省内の承諾を得ないで途中で会議をすっぽかしてバリ島で遊んだと報じられるなど、政府要人のよる粗末な仕事ぶりという疑惑も旧態依然たるものがあります。

一体感が希薄になったAMP

AMPは、6月の第三週目の週末、政権1年を総括する会合を開きました。与党勢力の集会なのだから団結を再確認し気勢をあげて2年目に臨むのが本来の姿でしょうが、内閣改造を巡りKUHUNTOと他の主要二政党とのあいだに亀裂が生じていると報じられました。また、タウル=マタン=ルアク首相をはじめとしてAMP幹部や政府要人が出席するなか、主役であるはずのシャナナAMP議長は何故か出席しませんでした。また、タウル=マタン=ルアク首相は16日(土)、AMP集会の参加後、治療を受けるためにシンガポールに発ちました(臨時の首相代理はアジオ=ペレイラ内閣長官)。首相の病名や帰国日は発表されておらず(19日の時点)、この件にかんする政府による発表もまちまちです。大統領と政府とのあいだに生じている政治的袋小路に加え、政権内部では一体感の希薄さが漂っています。

本来の存在感を示してほしいタウル首相

タウル=マタン=ルアク首相がシンガポールへ治療にでかけるニュース映像を見ると、軽快な足取りで飛行機のタラップを踏んでいるので深刻な状態ではなさそうですし、そう願います。健康状態も心配ですが、AMP政権の1年間を振り返って一番気にかかるのは、タウル首相が政権内で存在感を示すことができていないことです。

独立の英雄としてシャナナ=グズマン氏と国民の人気を二分するといっても過言でないタウル=マタン=ルアク氏が、なぜ、首相として存在感を示すことができないのでしょうか。一般論として、与党最大勢力CNRTのシャナナ党首のまえでは少数政党であるPLPの党首としては、首相になっても数の論理からあまり力を発揮できないといえるかもしれません。

しかし首相として存在感を示すことができない主な原因とは、政権の座に就いたがゆえに巻き込まれる人間の欲の渦であろうと思われます。ただしこの場合の「人間」とは、タウル首相自身ではなく、身内や取り巻きの者たちを指します。AMP政権発足時から、タウル首相の身内や政府要職に就いたPLP幹部の野心にたいする批判がわたしの耳に入ってきました。「野心」とは高い地位に就くこと、そして自分たちの身内が公共事業から利益を得ることを意味します。若いPLP幹部たちはその野心ゆえに政治経歴が刑務所で終わってしまうのではないかと心配するジャーナリストもいるくらいです。タウル首相自身は純粋さを保っていて、悪いのは周辺の者たちといわれていますが、指導者としての責任は免れません。

インターネット報道機関『テンポチモール』は、「権力を家族に分配する“禁じ手”、タウル首相に感染」というタイトル記事(2019年6月3日)のなかで、「第8次立憲政府のタウル=マタン=ルアク首相、権力や特権を家族に与えだした。これはタウル首相が大統領時代に強く反対したことである」と首相を批判しています。

タウル=マタン=ルアク大統領は当時、大連立政権下で「タシマネ計画」を進めるシャナナ戦略計画投資相(当時)とオイクシ地方(現在は[オイクシ・アンベノ特別行政区]と呼ばれる)の経済特区開発責任者であるフレテリンのマリ=アルカテリ氏を、2016年2月25日、国会の演説で、インドネシアの独裁者・スハルト大統領によるファミリービジネスを引き合いに出して、この国の特権を独占し家族に公共事業の利益を分け与えていると激しく批判しました(東チモールだより 第319号参照)。そしてそのタウル首相は今、「だがAMP政権のタウル首相は同じ“穴”にはまり込んでしまった」と『テンポチモール』に書かれました。

この記事は特権が分け与えられる「家族」の実例として、各国の大使名簿のなかにバチカン大使候補に挙がるタウル首相のいとこ(従姉妹)の名前があることを指摘しています。もっともこの記事の内容からでは、この人選が適切なのか、あるいは縁故主義なのか、判断はできません。しかし『テンポチモール』がこの人物の名前を具体的にとりあげたということは、当然、その人物や政府筋から名誉毀損で訴えられる可能性があるわけで、それに耐えうる何か確証を得たのかもしれません。

そもそもタウル=マタン=ルアク氏は大統領時代、国民の生活を二の次にした大規模開発政策を進めるシャナナ連立政権に対抗するためにPLP創設を決意したはずです。総選挙に打って出て、議席を獲得したまではよいとして、気がつくと、シャナナ連立政権を支える首相として大規模開発を推進する側になってしまいました。理想と現実の狭間でタウル首相は何を想っていることでしょうか。タウルさんの二年目の“巻き返し”をわたしは個人的に願っています。

 

青山森人の東チモールだより  第396号(2019年6月22日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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