ちょっとした〝民族の大移動〟
5月18日・木曜日、選挙運動は無事に終了しました。19日と20日は、「静かにする日」として(わたしなら「頭を冷やす日」と呼びたい)選挙運動は法律違反であり、選挙活動をした者には2~4年の禁錮刑が科せられ、場合によっては5年もあり得る、と選挙管理員会はメディアを通して警告をしていました(ただし具体的にどのような行為が罰則の対象になるのかの説明はなかった)。
なお、わたしは前号の「東チモールだより」で、「通常の選挙時は頭の冷却時間は一日だけ」と書きましたが、去年の大統領選でも選挙運動終了日から投票日まで二日の間隔がありましたので、間違った指摘としてこれを撤回します。
さて今回の選挙は「パラレル投票所」が設置されないことから有権者は有権者カードに記載された地元で投票しなければなりません。「パラレル投票所」とは、有権者が登録した地元以外の首都ディリでも投票できる遠隔投票所のことで、去年の大統領選で採用された制度でした。今回の選挙では、大統領と政府の対立から選挙法改正案が宙吊りになってしまい(東チモールだより 第484・485号)、「パラレル投票所」制度は適用されませんでした。したがって地方から首都に住所を移さずに首都の学校に通う学生や首都で働く若者たちは、投票するために地元に帰省しなければなりません。
有権者が首都から地方へ帰省しなければならないのは、選挙のたびに起こる毎度おなじみの事です。選挙管理員会は投票日の3~4日前に帰省するようにと呼びかけていましたが、選挙運動が終わった翌日19日、一斉に〝民族の大移動〟が始まりました。選挙運動中よりもこの19日の〝民族の大移動〟の方が騒然・俄然と盛り上がりました。
わたしの生活圏であるベコラの大通りは、通常の乗合バスはもちろんのこと、ピックアップトラックや大型トラックが荷台に大勢の人を乗せて東部へつながる坂道を、乗客を乗せるために停車しながらゆっくり走らせていました。帰省するらしい人たちが路肩に待機しているのを見かけたら運転手が車両を止めて声をかけて乗せていました。政府は有権者の移動を援助するために百台の車両を用意したといっていましたが本当でしょうか?ともかくベコラ大通りの19日の光景は、まさしくちょっとした〝民族の大移動〟でした。
しかしこれは戦争や暴力から避難するための移動ではなく、平和で治安が安定しているなかで一票を投じる権利を行使するための移動です。大変でしょうけど人びとは和やかな表情をしていました。
去年の大統領選で登場した「パラレル投票所」制度によって、投票日前の〝民族の大移動〟は緩和されると思われましたが、結局、こうなってしまいました。去年の大統領選では「パラレル投票所」制度がうまく機能せず、投票したくても投票できなかった有権者がでたので、改正版「パラレル投票所」制度のお手並み拝見と期待しましたが、制度の登場とはなりませんでした。しかし、地方で登録した人はその地方で投票すると決めた方がすっきりするし、地方で投票するようにした方が将来の地方分散につながると、今回の措置のほうがいいという考え方もあります。
試行錯誤を繰り返しながら円滑な選挙のためのより良い制度を東チモール人自らが練り出してより良い社会を築いていくことでしょう。
閑散とする首都での「独立回復」21周年記念
上述のように人口が激減した首都で、5月20日・土曜日の午前8~10時ごろ、大統領府広場では「独立回復」21周年記念式典が行われました。
記念式典の模様はインターネットでも観られるので、式典のあいだわたしは閑散とした大統領府や政府庁舎の周辺を歩きました。道路はこんなに広かったのかと再認識したしだいです。バイクで帰省した人も大勢いるのでしょう、主要道路では車両だけでなくバイクもほとんど姿を消しました。もちろん、外出せずに家に居る人たちも大勢いるのでしょうが、それにしても大統領府周辺のこの人っ気の無さは特別でした。
人口激減の首都に呼応するかのように来賓席には空席が目立ちました。そして関心は21日の投票にあるのでしょう、ジョゼ=ラモス=オルタ大統領の演説は、原稿を見ながらの早口の演説に聞こえました。数か国の言語を使い分けて海外からのお客さんから笑いをとるというお得意の芸も披露しませんでした。内容は凡庸でした。ミャンマーの軍事政権の問題や、ウクライナ戦争とスーダンの内戦について、要請があれば東チモールが平和への橋渡しをする用意があるぐらいの大風呂敷を「ノーベル平和賞」受賞者として広げてもバチは当たらないと思います。また前のルオロ大統領はパレスチナ人民と西サハラの人びとへの連帯をよく表明したものですが、ラモス=オルタ大統領にはそれもありませんでした。さびしい限りです。しかしながらラモス=オルタ大統領が、同じひな壇に席に座ったルオロ前大統領そしてタウル=マタン=ルアク首相としっかり握手をしたことは、最近の対立状態を思えば立派な態度であったと評価できます。本当は、「独立回復」記念式典に欠かせないシャナナ=グズマンとマリ=アリカテリもこのひな壇に座っていればもっと良いのですが。二人とも元々はフレテリン(東チモール独立革命戦線)の同志だったのですから。
コラエリー弁護士の東チモール訪問
投票日前日の「独立回復」記念式典ですので、気もそぞろとなったのは仕方ないことです。しかし華やかな話題はありました。オーストラリアからバーナード=コラエリー弁護士が来訪し、英雄として大歓迎されたことです。歓迎する支援団体と対話集会を開き、大統領から勲章を受けました。正義・民主主義・言論の自由は闘って守るものだと全身で表現しているコラエリー弁護士の闘いからわたしたちは多くを学ぶことができます(東チモールだより第467号)。バーナード=コラエリー弁護士の東チモール訪問は、投票日直前でうわの空になりがちな「独立回復」21周年記念に花を添え引き締めてくれました。
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2023年5月20日、ⒸAoyama Morito.
政府庁舎から大統領府につながる幹線道路。
ガラ~ンとしている。心なしか空気がうまい。
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2023年5月20日、ⒸAoyama Morito.
大統領府にて。式典終了後、各々、ひな壇や来賓席で記念写真を撮る。
一般参観者の数は、去年の「独立回復」記念式典と比べ激減。
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そして、投票日、開票速報
そして、5月21日・日曜日、国会議員を選ぶ投票日を迎えました。ベコラなどの投票所を数か所見て回りましたが、静かなものでした。もともと投票日を静かに迎えるのが東チモールですが、今回はとりわけ静かでした。
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以下の写真はすべて2023年5月21日撮影。
警察署近くにある投票所。ベコラにて。
衆人環視の投票風景。午前9時46分ごろ。
ⒸAoyama Morito.
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クルフン地区の投票所前でバナナを売る婦人。
投票後につける消えないインクのついた指を見せてくれた。
ⒸAoyama Morito.
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ファロル地区の投票所。
フレテリン(東チモール独立革命戦線)のルオロ党首と
マリ=アリカテリ書記長はここで投票した。
午後3時に投票が終わり、開票準備がされている。
午後4時20分ごろ。
ⒸAoyama Morito.
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再びベコラの警察署近くにある投票所。
衆人環視の開票風景。午後5時半ごろ。
ⒸAoyama Morito.
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現在インターネットで流されている開票速報を見ていますが(22日0時近く、開票率14.5%)、わたしが予想した通りシャナナ=グズマンのCNRT(東チモール再建国民会議)が第一党となるのは間違いありません。そしてわたしの予想に反して民主党が与党のPLP(大衆解放党)だけでなくKHUNTO(チモール人国民団結美しき豊穣)をも抑えるという大健闘を見せています。CNRTと民主党が組めば過半数に達する勢いです。「プラットフォーム」三党連立による政権維持が危うくなってきました。さて、どうなることでしょうか……。
青山森人の東チモールだより 第490号(2023年5月22日)より
e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion13032:230522〕