青山森人の東チモールだより…第7次立憲政府は少数連立政権

青山森人の東チモールだより  第356号(2017年9月18日)

第7次立憲政府は少数連立政権

やはり無理だった、フレテリンとPLPの連立

今回の総選挙の投票日だった7月から月(つき)が二度も変わってしまった9月に、この選挙で晴れて国会議員となる者たちの就任宣誓式がようやく9月5日に行われました。本来ならば8月21日に組まれていた政治行事でした。最大となる23議席(定員65名、一院制)を獲得したフレテリン(東チモール独立革命戦線)が主導する連立政権樹立のための協議は難航し、国会議員の宣誓式は9月に持ち越されたのでした。

8議席を獲得したPLP(大衆解放党)はフレテリンと連立協議を開始しましたが、そもそも無理で乱暴な連立協議でした。幾度となくこの「東チモールだより」で述べてきましたが、前大統領であるタウル=マタン=ルアクPLP党首の主義主張を素直に受け取るとフレテリンとの連立は論理的には組めないはずです。野党になると断言していたタウル=マタン=ルアクPLP党首は、話し合うだけなら失うものはないといっていましたが、案の定、連立協議が難航し時間を喰ってしまい政治日程が大きくずれる原因となってしまいました。

日程を変更し協議を継続して、政治的妥協の末にフレテリンとPLPは連立に合意し、そして5議席を獲ったKHUNTO(チモール国民統一強化)が加わった3党を主軸とする連立政権(23+8+5=36議席)が、9月5日の国会議員就任式の直後に発足する流れになっているのであろうと新聞報道などを読むと思われました。

ところが9月4日、PLPは連立から抜け、民主党が入ると報じられたのです。ポルトガルの通信社「ルザ」は2日(土)にフレテリンと民主党そしてKHUNTOが連立に合意したと報じています。民主党は8月から連立には協力姿勢を示していたので、PLPの抜けた穴を民主党が埋めることになりました。

結局、やっぱりフレテリンとPLPが連立を組むことは無理だったのです。およそ1ヶ月間の2党間の話し合いとは一体何だったのでしょうか。何をどう話し合って、そして決裂に至ったのか……フレテリンのマリ=アルカテリ書記長とタウル=マタン=ルアクPLP党首が二人きりで密談したとも報道されるなど、世間に公表されない密談が重ねられた連立協議は選挙という民主的な手続きを台無しにしているように思われます。しかしながら一方で、はじめから連立ありきで協議されたのではなかったことは評価してよいともいえます。

PLPが連立(まだ始まっていなが)から離脱する理由として、国会議長の人選で折り合いがつかなかったから、あるいは連立の原則で折り合いがつかなかったからと報じられています。国会議長は国会における議題の選出をするという重要なポストにあり、議題の選び方は政権の原則にかかわることであり、いくつかの法律の改正をどうするのかというPLPの問いにフレテリンは解答しなかったために連立協議から撤退した、閣僚の座の分配で折り合いがつかなかったのではないという主旨のことをPLPの副党首であるフィデリス=マガリャンエス氏は連立離脱の理由を新聞記者に説明しています。

8議席獲得のPLPに代わって7議席の民主党が連立に参加ということになり、1議席減った連立政権(35議席)樹立の見通しで9月5日の国会議員就任式を迎えたのでした。

PLP党首、国会議員就任を辞退

この国会議員の就任宣誓式に、PLP党首のタウル=マタン=ルアク前大統領は出席しませんでした。なんと驚いたことに、タウルPLP党首が国会議員就任を辞退することがこの日、公式に発表されたと報じられました。「公式に」ということは「非公式に」は既に知れ渡っていたことかもしれません。PLP比例名簿の第9番目の女性が繰り上げ当選となり、その女性が就任宣誓式に出席しました。

タウル=マタン=ルアク前大統領は、いつの時点で何故、このような決断をしたのでしょうか?党内の批判に反して連立協議に参加した責任をとったのでしょうか?あるいは何らかの理由で8月の早い時点で既にその意志を固めた可能性もあります。解放軍総司令官だった独立の英雄・シャナナ=グズマン氏と国民の人気を二分する解放軍参謀長だったタウル=マタン=ルアク前大統領に惹かれてPLPに投票した有権者はガッカリしたのではないでしょうか。

国会議長の選出、連立側から早くも造反票

9月5日、今後5年間つまり2022年まで国会議員を務める65名の就任式が行われ、さっそく深夜に国会議長の選出となりました。連立側から選ばれた候補はアニセト=グレテス議員(フレテリン)で、これにたいし野党側からアデリト=ウーゴ=ダ=コスタ前国会議長(CNRT=東チモール再建国民会議)が選ばれ、一騎打ち、無記名投票の結果、アニセト=グレテス議員が33票、アデリト=ウーゴ=ダ=コスタ議員が32票をそれぞれ獲得して、1票差でフレテリンのアニセト=グレテス議員が新しい国会議長に選出されました。

連立側の議員数は35人(フレテリンの23、民主党の7、KHUNTOの5)いるはずですが、アニセト=グレテス議員が得たのは33票でした。2票の造反票が出たのです。マリ=アルカテリ書記長は、この投票は個人投票であり、国会審議における法案や予算案の投票とは異なると平素を装いましたが、この連立政権は始まる前から先行き不安な気配を漂わせました。

KHUNTOも抜け、結局、民主党だけが残った

国会議員の就任式と国会議長の選出がすんで、今度こそすぐさま新政権の樹立となると思いきや

さらに1週間が経過しました。フレテリンは民主党とKHUNTOとの連立協議にも難航をしているのかと、この経過時間から推測することができます。

9月12日、フレテリン中央委員会はマリ=アルカテリ書記長を首相に推すことに決めました。マリ=アルカテリ元首相が首相になれば、「東チモール危機」のために辞任を余儀なくされた2006年以来、11年振りの首相返り咲きとなります。

そのまえにまず連立仲間である民主党とKHUNTOがマリ=アルカテリ書記長を首相に推すことへの同意が必要であり、そして両党は同意したと報道されました。ところが、9月13日、KHUNTOは連立から抜けると発表したのです。翌14日、KHUNTOは連立離脱の理由を、フレテリンは協力的ではなくKHUNTOの指導性を認めてくれなかったからだと発表しました。これにたいしフレテリンは、KHUNTOは内部問題を抱えており、まずそれを解決しなければならないと応じました。

CNRTは野党の立場を宣言したし、PLPとKHUNTOが抜けてしまい、フレテリンにとって民主党だけが連立パートナーとして残りました。そもそも民主党はフレテリンと対立することで勢力の伸ばした政党です。それが時を経てこういうことになるのですから政治とは面白いものです。いろいろな見方ができますが、わたしはこれをある種の“成熟”と見てとりたい気分がします。ともかく、フレテリンと民主党は連立を組むことを再確認し、こうなったらもうその他の政党との協議で時間を費やす必要はなくなりました。二党だけで過半数に達しない状態であっても連立政権樹立に進むことになったのです。

ル=オロ大統領は14日、マリ=アルカテリ元首相を新首相として指名し、15日に新閣僚の就任宣誓式を行ない、ようやく新政権が樹立されることになったのです。

過半数に達しない連立与党を率いる首相のお手並み拝見

かくして9月15日、本来の政治日程より3週間以上も遅れ、第7次立憲政府が発足しました。ただし政府閣僚の人員が完全に出揃ったわけではなく、不完全なままでの船出です。ポルトガル通信社「ルザ」によれば、30名で構成される新政府の人員のうち、この日、就任したのは12名だけとのことです。未就任の人員については就任した閣僚が手分けして暫定的にそれらの任務にこなすことになります。この日に発表された閣僚は以下のとおりです。

・マリ=アルカテリ首相、開発・制度改革相

・ジョゼ=ラモス=オルタ、国政担当相と国家治安顧問

・ルイ=マリア=デ=アラウジョ、国政担当相と保健相

・エスタニスラウ=ダ=シルバ、国政担当相と農水相

・アドリアノ=ド=ナシメント(民主党)、内閣府長官

・アウレリオ=グテレス、外務協力相

・バレンチン=シメネス、行政相

・ルイ=ゴメス、計画財務相

・ジョゼ=アゴスチーノ=“ソモツォ”、防衛治安相

・アントニオ=コンセイサン(民主党)、通産相

・フロレンチーナ=“スミス”、社会連帯相

・ルルデス=ベサ(民主党)、教育文化副相

特徴的なのは国政担当相(具体的にどのような役割なのかちょっとわからないが)を4人(1人は未決定)も配置していることです。そのうちの一人である元大統領のラモス=オルタ国家治安顧問は久しぶりの閣僚就任となります。またデ=アラウジョ前首相もこれに就任しつつ、保健相に就任しました。医者でもある前首相には保健分野で活躍してほしいものです。エスタニスラウ=ダ=シルバも国政担当相となり、前政権に引き続いて農水相に就きました。アウレリオ=グテレス外務協力相は東チモール国立大学の学長だった人物です。民主党からはルルデス=ベサ教育文化副大臣を含めれば、3名が入閣したことになります。そして我が友(とわたしが勝手に思っているだけかもしれませんが)、戦争中、コニス=サンタナ司令官の側近としてゲリラの山でわたしがお世話になったソモツォは防衛治安大臣になりました。ソモツォはこのたびの選挙でフレテリン比例名簿の第11番目に名前が載っていて国会議員に当選しました。2006年の「危機」以降から2007年の総選挙の短い間、ソモツォは内務副大臣を務めたことから、内務大臣になるのかなとおもっていましたが、防衛治安大臣でした。解放軍での経験と人脈がこの分野で活かされることが期待されます。

なお、マリ=アルカテリ首相は引き続きオイクシの経済特区開発事業ZEESMの責任者となります。また、法務大臣や教育文化大臣あるいは資源大臣などがまだ決まっていませんが、これらの任務は首相や複数の大臣たちが暫定的にこなすことになります。

定員65議席のうち30議席という過半数に達しない少数連立政権がすったもんだの末に発足しました。これから東チモールでは一つ一つの法案が是々非々で審議されることになります。緊張感ある国会審議が期待される半面、政権側の法案が否決されることが続けば、政局が流動化するかもしれないし、ル=オロ大統領が議会解散に踏み切る場面もあるかもしれません。

国民人気の高いシャナナ=グズマンとタウル=マタン=ルアクという独立の両雄が率いる二政党を野党にまわし、かつての対立政党だった民主党を連立パートナーとして、マリ=アルカテリ首相が果たしてどのように少数連立政権を率いることができるか。その政治手腕と人間性の成熟と成長の度合いが注目されます。

~ 次号へ続く ~

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/

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