独立国家の管理を拒否する集団
インドネシアによる東チモール統合を承認してきたオーストラリアが、東チモール帰属問題を解決するめの住民投票を実施することを支持する声明を発表した1999年、1975年にインドネシア軍の侵略をうけて以来ポルトガルからの独立を妨害されつづけた東チモールは、国連に支援されたその住民投票を成功させ、吹き荒れた暴力の嵐に耐えて一気に独立への道筋をつけました。
当時、インドネシアのジャカルタに囚われの身にあったシャナナ=グズマンCNRT(チモール民族抵抗評議会、なお現在のCNRTは政党[東チモール再建国民会議]、混同しないよう要注意)議長は、1999年新年のメッセージのなかで、いよいよ現実味を帯びてきた独立にたいして安易な陶酔感を回避せよと呼びかけ、独立にたいする自分自身の信念を述べます。そのなかにこういうくだりがあります。
「独立とは、われわれ自身の運命の管理者になりうる以上のものではない。ある政治家にとって、管理とは統治であり、その手に権力を握ることなのだ。だが、管理とは、すべての人びとが国家の将来に完全に参加することによって実行できる行為なのである」(拙著『東チモール 抵抗するは勝利なり』[社会評論社、1999年、221ページ]より)。
つまり、シャナナ=グズマンにとって独立とは自分たちが自らの運命の管理者になることであり、管理とは「すべての人びとが国家の将来に完全に参加することによって実行できる行為なので」す。シャナン=グズマンは独立した2002年から2007年まで大統領を務め、2007年から今日まで首相を務めている首脳です。しかしシャナナ=グズマンの指導する東チモールに未だ独立国家による管理を拒否する人びと、あるいはおきざりになる人びとが存在し、「すべての人びとが国家の将来に完全に参加することによって実行できる行為」としての「管理」を実行できないでいます。
集団生活者が強制退去
東チモールの各紙そしてテレビニュースでも報道されましたが、今年の3月17日、マヌファヒ地方のウェラルフという村に集団生活をしていたCPD-RDTL(東チモール民主共和国-大衆防衛評議会、あるいは人民防衛評議会)という団体の約800名が警察によって強制退去させられました。
この人たちは去年の11月に上記の村に、政府によれば不法に、“移住”し、稲作をしながら集団生活を始めたのです。政府や大統領府は退去するように説得を続け、3月16日、ラ=サマ副首相とアントニオ=ダ=コンセイサウン通商産業環境大臣が現地に入り最後の交渉に臨みましたが合意に至らず(CPD-RDTL指導部は政府と合意したが、交渉中、農作業中であった会員は合意しなかったとも報道されている)、翌17日、警察は力でかれらを退去させ、車に乗せて各人の地方へ帰しました。
タウル=マタン=ルアク大統領は、CPD-RDTLの集団生活問題の解決のため、ともかく暴力はダメだと強調し円満解決を訴えてきましたが、残念ながら警察による強制執行に至ったのでした。ニュース映像からえられる印象では、CPD-RDTLの人たちはとくに抵抗することなく、おとなしく警察に従っていたのに、警察に横暴さを感じられました。警察による暴力を問題視する報道が新聞でされました。
CPD-RDTLの約800人は退去させられる前に12ヘクタールで稲作を営み、米を生産しました。政府は1kgあたり45セントで買い取ると発表し、それなりに気を遣っています。集団生活をしていた人たちの目的は何か? 稲作をして米を売って生活したいだけかもしれません。もっとも指導部は何を考えているかはよくわかりませんが。この件にかんしては、CPD-RDTLは社会不安を煽ってはいません。
すべての人の参加を目指せ
もともとCPD-RDTLはわれこそはフレテリンの運動体だと主張する団体で、フレテリンの党旗を勝手に使用するたびにフレテリンの党員に襲撃されていたものです。指導者はアイ=タハン=マタクと名乗る鼻眼鏡がトレードマークの小柄な人物です。インドネシア軍撤退後に国連統治下に入って状況が混沌としていたとき、CPD-RDTLとフレテリンとの頻繁な物理的衝突は社会の不安要素の一つでした。
しかし犬猿の仲だったCPD‐RDTLとフレテリンは、一時期、蜜月のような関係、こんなに仲良くなれるのだったら初めから喧嘩するなよと文句を言いたいくらい仲良くなったこともあります。東チモール人は政治的駆け引きであっさりと対立しもし和解もするものだとわたしは実感したものでした。いまは良好な関係は解消されたようですが、かといって2000年代前半のように物理的な衝突は生じていません。2008年以降、CPD-RDTLは2000年前半のように社会不安を煽る存在ではなくっています。アイ=タハン=マタク氏が一人で町を歩く姿をわたしはしょっちゅう目にします。かれは特別な存在ではなく、普通に挨拶をうける普通の小柄なオジサンです。
ただし、CPD‐RDTLは過去2度実施された国勢調査に応じませんでした。国家の管理下には入らないぞという方針があるようです。新聞によるとCPD‐RDTLは会員にパスポートを持つことを禁じていると報道され、アイ=タハン=マタク氏はパスポートを持っているとも書かれました。
去年2012年の大統領選でアイ=タハン=マタク氏はタウル=マタン=ルアク候補を応援し、選挙キャンペーンでは応援席のひな壇に腰を降ろしていました。CPD‐RDTLは国家制度を拒否する団体かなとわたしは思いましたが、大統領選挙に参加するのだから、そうでもないかもしれません。この大統領選でCPD‐RDTLは応援を見返りにルアク大統領候補に何かを求めるつもりであったことは推測されます。しかしルアク大統領は選挙運動から公言したとおり一部の政党や団体と取り引きすることはしませんでした。CPD‐RDTLは要求を受け入れてもらえず、へそを曲げ、11月、集団生活を開始した……という流れにわたしの目には映ります。アイ=タハン=マタク氏が大統領に何を要求したのかはわかりません。CPD‐RDTLは大統領に多くを求めたといわれています。
最近(今年前半)、シャナナ首相やレレ=アナン=チムール国防軍司令官が、CPD-RDTLは解散すべきだという意見を述べました。CPD-RDTLは市民団体としてでも政党としても正規な手続きで登録していないといわれますが、憲法は結社の自由を保障しています。国家体制の枠に入りたくない集団だからといって、国家権力が暴力を行使してその人たちを排斥しようとすると、将来に禍根を残すことでしょう。
チモール海の石油・ガス資源の開発にばかり気をとられて、国家建設の過程からはずれている人々をないがしろにすると、政府は思わぬところで足をすくわれかねません。シャナナ首相には自ら語ったこと、「すべての人びとが国家の将来に完全に参加することによって実行できる」「管理」を追求してほしいと願います。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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