青山森人の東チモールだより…表現の自由のために犠牲となれるか

表現の自由のために犠牲となれるか

難産か、連立政権

こころなしか何処となく、フレテリン(東チモール独立革命戦線)のマリ=アルカテリ書記長の顔が曇ってきたようにみえます。先週末、CNRT(東チモール再建国民会議)が野党になると決めてもなお、連立政権の樹立にシャナナ=グズマンCNRT党首の協力を得たいアルカテリ書記長の“努力”は続きます。まだ連立政権の枠組みを決められないフレテリンにたいして、時間の浪費、選挙のやり直し、などなど “外野”からの声がアルカテリ書記長をいらだたせ始めたかもしれません。

フレテリンは連立政権の枠組みを決めるため、新トゥリズモ ホテルにて8月9日(水)から、議席を確保した他の各政党と意見交換の場をもちました。まずはCNRTです。フレテリン側からは書記長をはじめ副党首など上層部幹部が出席し、CNRTからもカルブディ書記長など上層部がやって来ました。しかし、肝心要のシャナナ=グズマン党首は欠席しました。シャナナ党首抜きのCNRT幹部らとフレテリンが何をどう話し合って何かを決めたとしても、それはナンセンス、たんなる時間の無駄遣いであることは火を見るより明らかです。

マリ=アルカテリ書記長はシャナナCNRT党首と差し向かいで話し合わなければ気持ちの整理がつかないのかもしれません。シャナナCNRT党首が欠席したことについて、「わたしは怒らなければならないのか、しかしわたしは平常である」と記者たちに語りました。「平常」でない内心の表れです。

翌10日(木)、つづいてフレテリンはPLP(大衆解放党)との会合を同ホテルでもちました。タウル=マタン=ルアクPLP党首がフレテリンのアルカテリ書記長と抱き合って挨拶しました。この会合後の記者会見でタウル=マタン=ルアク党首はフレテリンの招きに感謝をし、選挙のやり直しに反対し第一党としてフレテリンの地位を祝福しつつ、PLPが政権に関わる可能性を否定し、PLPの野党という立場に変わりはないことを強調しました。PLP内の第二番目の地位にあるフィデルス=マガリャエンス氏が政権に関わる可能性を否定しないという含みのある発言をしていたのでちょっと気になっていましたが、党首が公の場でスッキリしとした発言をしました。

そして11日(金)、フレテリンは民主党と会合をもちましたが、夜のテレビニュースによれば、この両党が組むや組まざるやの結論はまだ表出していません。民主党は、与党にも野党にもなる可能性を保持したままです。

「歴史的政党」の踏ん張りどころ

もしCNRTとPLPが、つまりシャナナ=グズマン氏とタウル=マタン=ルアク氏という独立の両雄が野党にまわり、人気のないマリ=アルカテリ氏が政権運営するとなれば、いかにも不安定感を抱かせる連立政権の誕生となります。しかしフレテリン(23議席)が民主党(7議席)とKHUNTO(5議席)と組めば立派に国会議席の過半数を確保できるし、ル=オロ大統領もフレテリンであることを考えれば、論理的には優位に政権を運営できる立場です。選挙で勝ちとったこの優位さにフレテリンは堂々と胸を張るべきで、シャナナCNRT党首に振り回されるのはやめて、シャナナ党首を突き放しても世論はフレテリンが傲慢だとは思わないはずです。

もしフレテリンが大方の予想をいい意味で裏切って連立政権を立派に運営していけば、2006年の「危機」勃発時の政権政党だった汚名を返上することができるのです。「歴史的な政党」と呼ばれるフレテリンは踏ん張りどころです。

『チモールポスト』紙のオキ記者にきく

2015年、当時のシャナナ=グズマン首相が野党フレテリンを抱き込んだ妙な内閣改造をしたことが、総選挙後のいま、政権樹立にフレテリンが手間取る原因となったといえます。そしてまたこの内閣改造は図らずも東チモールの首相が言論の自由を脅かす裁判を起こすきっかけにもなりました。

どういうことかというと、こういうことです。当時のシャナナ首相の指名をうけて首相に就いたフレテリンのルイ=マリア=デ=アラウジョ現首相が、財務省顧問だったときに財務省ビル建設工事に絡んでインドネシアのIT企業に口利きをした疑いがあると『チモールポスト』紙に報じられ(2015年11月10日)、『チモールポスト』が誤報だったことを認め謝罪したにもかかわらず、記者と編集者にたいし刑事告訴をしました。誤った記事を書いたがゆえに言論人がその国の首相の告訴によって有罪にされようとしたのです。ルイ=マリア=デ=アラウジョ氏が首相にならなければ、この裁判は起きなかったかもしれません。

二人の報道関係者は刑事訴訟の被告となって1年半余り、裁判によって移動の自由が奪われました。その間、東チモールの言論・表現の自由が奪われるとして国の内外から告訴を取り下げるように求める声がデ=アラウジョ首相に寄せられました。しかし首相は耳を貸しませんでした。ところが判決日6月1日の前々日になって、デ=アラウジョ首相はデリ地方裁判所に書簡を送り被告2名を禁錮刑に処さないでほしいと求めたのでした。そして判決は二人の被告に無罪が言い渡しました(東チモールだより 第333号・第347号などを参照)。

一方、日本では、安倍政権の世論を無視した強引な手法によって「特定秘密保護法」「安全保障関連法」につづき、この6月、いわゆる「共謀罪」が成立されてしまいました。物書きがその書いた物によって権力者から犯罪者にさせられるという由々しき事態が日本でも起こりうることになってきたのです。「国境なき記者団」の「報道の自由度ランキング」(2017年版、180カ国・地域)では日本は72位と、いわゆる先進国の中では低迷しています。東チモールのように日本でも、物書きがその書いた物によって権力者から刑務所送りとなることを覚悟しなければならなくなってしまうのでしょうか。わたしたちは心の準備をしつつ、この事態に立ち向かう必要があります。『チモールポスト』の被告にされた二人のうちの一人である同新聞のオキ記者に、わたしは8月10日(木)、話をきいてみました。

オキ記者は、デ=アラウジョ首相の財務省顧問だったとき立場・行動に疑惑を抱いていたが、間違った記事を書いたことについては訂正記事と謝罪文を載せたので記者の倫理に反していない、民事訴訟ならわかるが、首相から刑事訴訟を起こされることには納得がいかなかった、それにいわゆる「メディア法」(2014年5月に国会通過、報道の自由を制限する法律として問題視されている)があるのだから、その法律を使えばいいではないか、自分は犯罪者ではない、間違った記事を書いてから無罪判決が出る2017年6月までの1年半余りを言論・表現の自由のための闘いと位置づけ、有罪となって禁錮刑をうける覚悟をした、と裁判を総括します。

『チモールポスト』紙の本社

2017年8月12日、首都にて。©Aoyama Morito

かれの心境についてきくまえに、まずわたしは首相が裁判所に書いた手紙のことについてたずねました。

青山:起訴の取り下げを求める声に応じなかった首相がなぜ判決を直前に控えた期に及んで裁判所に実刑を与えないように求める手紙を出したのでしょうか。

オキ記者:わかりません、たぶん、怖気づいたのか、なんなのか……。

青山:たぶん、そうするようにフレテリンからいわれた…。

オキ記者:たぶん、そうかもしれません。しかし本当のところはわかりません。ともかくこの行為は偽善ですよ。

青山:この件は「たぶん」ということしかいえないわけですね。

オキ記者:そうです。

青山:首相が裁判所に手紙を出したことを知ったときどう思いましたか。

オキ記者:わたしは怒りましたよ。紳士的でない、男らしく戦え、と。

判決日をまえにして被告に禁錮刑を与えないよう裁判所に求めるくらいなら、東チモール内外から告訴を取り下げるように求める声に素直に応じれば、それですんだことです。その方が首相は政治家として寛大さを世間に示すことができたはずです。禁錮刑の可能性を与え続けられたオキ記者たちは首相の不寛容さの犠牲者といえ、陰湿な言論弾圧です。オキ記者は首相が裁判所に手紙を出した行為を、真意はわからずとも、偽善・非紳士的、と評します

では心境についてきいてみましょう。

青山:6月1日まで、あなたはどのような思いをしてすごしましたか。

オキ記者;刑務所ゆきを覚悟しました。腹をくくりました。しかしわたしは犯罪者ではないという確信もありましたので、表現の自由のための犠牲になるのだという思いでした。

青山:何を信じてきましたか。

オキ記者:神、自分自身、そして多くの支援者たちです。

青山:もし第一審で有罪判決が出されたら、控訴するつもりでしたか。

オキ記者:最初は判決を受け入れ控訴しないつもりでしたが、支援者が控訴すべきだというので、控訴したでしょう。

青山:日本では6月に成立された法律で、記事・小説・マンガなどなど、表現することで捕まる可能性が出てきました。表現によって有罪にされる人がこれから日本で出るかもしれません。そんな日本人はどのように心の準備をすればよいでしょうか。

オキ記者:表現の自由には犠牲がつきものだと思うことです。自分はその犠牲になるのだ、と。

青山:判決日を間近にひかえ、当時のタウル=マタン=ルアク大統領があなたを激励しにきましたね。大統領はあなたに何を言ったのですか。

オキ記者:「恐れるな、この調子でいけ、有罪になれば君はこの国で表現の自由のために刑務所へ送られる最初の人間となり、君は未来の勝者になるのだ、そしてわたしは獄中の君を面会にいく最初の人間になるだろう」といわれました。

大統領から訪問をうけたときの動画をオキ記者はうれしそうにわたしに見せてくれました。タウル大統領(当時)はオキ記者の細い身体の肩をポ~~ンと叩いて、満面の笑顔を見せていました。

間違いのない人間はいない。もし自分がオキ記者のような立場になったら、オキ記者のような心境になれるだろうか……。オキ記者にとって重要だったのは、自分は犯罪者でないという確信であり、その確信を支えてくれたのは支援者であったことがかれの話をきいてよくわかりました。気の利いた言葉を掛け合って、支援し支援され、笑顔を見せていけば、なんとかなるのかもしれません。

~次号へ続く~

 

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/

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