青山森人の東チモールだより…開発は住民を守るために

 

 2026年にはガスを売る

2019年3月9日(土)、領海交渉団長であるシャナナ=グズマンCNRT(東チモール再建国民会議)党首は「平和大学」の卒業式に出席・演説し、計画通りいけば2021年からパイプラインの敷設工事が始まり、2025年にその工事が終わって、それから1年以内にベアソに建てられる液化天然ガスの工場が商業稼働し、2026年にはガスを売ることが出来るだろう、お金が入る、そうなれば10年以内に底をつくといわれる「石油基金」に減少を食い止めることが出来るという楽観的な見通しを示しました。 一方、市民団体「共に歩む」がブログで発表している見通しによれば、もし「グレーターサンライズ」田の開発がその提案者の計画通りに進んだとしても、生産が始まるのは2026年終わりごろであり、「バユウンダン」田などの実例からすれば、生産が軌道に乗るには時間がかかり、まず投資者にお金を払う戻すことになるので、国が収益を得るのは生産が始まってから約2年後であるといいます。つまり計画通りにいってガスを売ってお金が入るのは2028年の終わりごろということになります。しかも「共に歩む」は、「石油基金」は、「グレーターサンライズ」田開発に投資しようともしなくても、2027年までには底をつくし、もしこのまま同ガス田開発や「タシマネ計画」に投資をしていけば、数年それが早まるであろうと見立てています。

ということは、シャナナ交渉団長がこのまま同ガス田と「タシマネ計画」を思惑通りに進めていけば、二通りのシナリオが考えられるということになります。2026年にガスを売ってお金が入り「石油基金」の減少を食い止めることが出来る。あるいは、2027年より数年前に「石油基金」がオケラになる。

楽観的見通しと悲観的な見通し、まさに水と油、天国と地獄、いったいどちらが正しいのか、どちらの道を東チモールは歩むのでしょうか。観察しなければ生きてもいるし死んでもいる「シュレンディンガーの猫」のようなわけにはいきますまい。時間がたてば「観察」をしてしまうのですから(こういう喩えに「シュレンディンガーの猫」を引き合いに出していいものか…?)。

政府と領海交渉団は情報を開示して、国民への説明責任を果たし、ありとあらゆる可能性を考慮した幅広い分析と議論がされなければ、一部のエリート集団による判断ミスで東チモールは沈んでしまうということになりかねません。

改正版「石油基金」活動法、一部違憲

ルオロ大統領によって一度は拒否権を使われた2019年度国家予算案は、その後、6億5000万ドルが減額されて公布されました。その6億5000万ドルとは「グレーターサンライズ」田のおけるコノコフィリップス社の保有する権利30%(3億5000万ドル)とロイヤルダッチシェル社の保有する権利26.56%(3億ドル)を購入するためのお金でしたが、政府は、国家予算からその6億5000万ドルを引かれてもなんのその、「石油基金」からの引き出し規制を緩めるためにすでに改正そして公布された「石油基金」活動法を利用して、直接、「石油基金」から6億5000万ドルを引き出し、「グレーターサンライズ」田における権利56.56%(30%+26.56%)を獲得しようとしています。

野党のフレテリン(東チモール独立革命戦線)と民主党の併せて23名の国会議員は、改正版「石油基金」活動法に疑問を呈し、その違憲性を控訴裁判所に諮りました(東チモールだより 第389号)。3月12日、一部違憲との判断がされました。

さあ、政府は困ったかと思いきや、違憲と判断された部分は、1年前(2018年3月6日)に東チモールとオーストラリアが国連本部で調印した新領海画定協定をまだ国会が批准していないことにかんすることで、「グレーターサンライズ」田の権利56.5%を買うために6億5000万ドルを引き出す障害とならないとして、この“買い物”の手続きが現在進行中です。

住民を守れ

インドネシアでは豪雨による洪水の被害が、モザンビークやジンバブエなどではサイクロンによる甚大な被害が、それぞれ国際ニュースで流れています。現在雨季の真っ只中にある東チモールでも大雨による被害がしきりに報道されています。

東チモールの大雨被害を報じるニュース映像のなかで、川を無謀にも渡ろうとしたバス(日本でいうマイクロバス)が中途で立ち往生してしまい、激流に呑まれそうなバスから乗客が必死になって脱出しようとする映像は衝撃的です。また首都デリ(ディリ、Dili)の、大増水したコモロ川によって削られる川べり近くに建っている家々がいまにも崩れ落ちそうな危険な状態を写す映像は、今雨季の豪雨ぶりを表わしています。

東チモールでも天気予報は定着しており、大雨警報も出されることもあります。毎年・毎回・いつもいつも、被害あった住民が生活支援物資を受け取るニュースがさかんに報道されますが、行政による防災となると無策に等しいという印象を拭いきれません。

3月17日(日)未明から降った雨で首都デリが水浸しになりました。『テンポチモール』によるニュース(2019年3月18日)によると、この水害で、40歳の男性1名(他のニュースによると妻子のある身)とカトリック教会の修道女6名が病院で手当を受けました。原因はいずれも電気ショックとのことです。

わたしにも経験がありますが、東チモールの家のなかで電気器具のプラグをコンセントに挿し抜きするとき、ときどきピリピリッとくることがよくありました。また、地下水を電気ポンプで汲み上げる家庭が少なくなく、一度、電気ポンプから出る水に左手をあてたところビリビリッと強い衝撃が伝わり、慌てて手を引いたことがありました。その衝撃は脇の下まで達し、もし心臓まで届いたらどうなっていただろうと思い出しては身震いすることがあります。また、東チモールでは電信柱の電線から住民が勝手に線をひいて盗電行為をすることがあり、電信柱の電線が負荷に耐え切れず火をふく光景も珍しくはありません。漏電対策や盗電対策など、東チモールの電気環境は不安なものがあります。冠水した建物のなかでの漏電による感電死という事故は十分に想定できます。

また、ゴミであふれる昨今の首都事情を鑑みると、排水溝・側溝にゴミが詰まって流れを滞らせ、ゴミがさらに町々に散乱され、不衛生な環境に拍車がかかることが懸念されます。

17日(日)シャナナ=グズマンCNRT党首は自らどぶ川と化した排水溝に入り、腰までつかり、泥だらけになってゴミをすくい、地域住民や子どもたちに清掃を働きかけました。二週間ほど前にタウル=マタン=ルアク首相もゴミだらけになった海岸沿いの清掃に率先して乗り出し、デリ市内の清掃を国民に呼びかけました。しかしきれいな姿で清掃を率いる姿より、さすがシャナナ、泥だらけになってゴミをあさる姿は、指導者として役者が一枚上だという印象を抱かせるに十分です。

一方国会では、野党フレテリンは想定できる自然災害にたいし無策である政府を批判しました。また、同じくフレテリンの女性議員は、国民のカリスマ指導者(もちろんシャナナのこと)が一人排水溝に入っているとき、あなたは何をしていたんですかと政府閣僚の一人に食ってかかりました。この閣僚は、あれはシャナナ氏がいち市民としてしたことで政府としては……としょんぼりと弁明しています。政府を率いるカリスマ指導者が泥だらけになってとった行動が、政府非難の材料となるとは、思いもよらない展開もあったものです。

指導者が泥だらけになって清掃活動をすることは悪いことではありませんが、その指導者が大規模開発を進める指導者でもあると思うと、複雑な想いがします。都市部でも農村部でも住民を自然災害から守るために適切な対策がとられていれば、あるいは防げえたかもしれない犠牲をだす一方で、大規模開発に巨額の投資をする指導者の姿勢には疑問を抱かざるをえないからです。

計画通りにいけば2026年にはガスを売ることが出来るだろうとカリスマ指導者はいうけれど、住民の安全保障をおろそかにして推し進める開発に果たして価値があるでしょうか。住民を守るために開発があるのではないでしょうか。

そもそも住民を(例えば、自然災害から)守る能力が乏しい政府に、大規模開発を進める能力があるのか、疑問です。住民を犠牲にして進められる開発は、もはやそれは開発ではなく、侵略です。住民と開発は表裏一体、両者は切り離せません。これらを切り離した開発は失敗することでしょう、侵略には成功するかもしれませんが。

東チモール政府は未だ住民を守る能力が備わっていないことは、繰り返される大雨による被害と犠牲をみれば明らかです。 東チモール政府は着実に住民を守る能力を身につけてから、あるいは身につけながら、大規模開発を推進していくべきです。さもないと、解放闘争の指導者たちが自ら解放した国民を自らの手で“侵略”してしまうことになりかねません。まさか、そんなこと、国民のカリスマ指導者が望むべくもないはずです。

青山森人の東チモールだより  第391号(2019年3月20日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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