独立以降、最大の自然災害
非常事態宣言と都市封鎖などの措置で新型コロナウィルスの感染拡大を抑え込もうとしながらも一時の清涼剤となるはずの復活祭を迎えた東チモールは、4月4日、稀に見る大規模な大洪水に襲われ甚大な被害を受けてしまいました。
大洪水に見舞われた住民は避難先に移動せざるを得ない状況となり、政府は閣議でディリ地方の都市封鎖を一時的に停止することを決めました。緊急支援物資を届けるために人や物資の移動は不可欠であり、開店やタクシーやミニバスの運行が認められました(『テンポチモール』、2021年4月8日)。一方でバウカウ地方とビケケ地方の封鎖措置は継続されることになりました『タトリ』、同日)。
4月4日に東チモールが受けた被害の実態が時間がたつにつれしだいに明らかになってきました。死者の総数は42人(22人がディリ、アイナロで10人、マナトゥトゥで5人、ビケケで3人、アイレウで2人)、ディリ(Dili、デリ)で約1万人が家を失い、民家だけでなく橋や道路など公共設備も多大な被害を受け、被害総額は1億ドルと試算されると閣議後の記者会見で8日、フィデリス=マガリャエンス内閣長官が記者団に語りました(『タトリ』、2021年4月8日)。
4月15日になると、タウル=マタン=ルアク首相はルオロ大統領との会談後の記者会見で、家財道具の破損から人命損失まで何らかの被害を受けた家族の総計は25709世帯(ディリだけで11035世帯)にのぼり、37人が死亡、9名が行方不明、ディリにおける避難場所は38ヶ所、復興には2億2500万ドルが必要と試算され、独立以降、過去最大の自然災害であると述べました(『タトリ』、2021年4月15日)。
続く感染拡大、二人目の死者
大洪水という過去最大の自然災害にみまわれなくても、新型コロナウィルスの世界的拡がる感染という“自然災害”に牙を向けられている東チモールはまさに苦境に立たされました。
4月に登録された20日までの新規感染者数を以下に示します(カッコ内は累計数)。
【2021年4月】
1日=39(634), 2日=34(677), 3日=37(714),
4日=記録なし, 5日=52(766), 7-8日=98(877),
9日=70(947), 10日=61(1008), 11日=38(1046),
12日=28(1074), 13日=12(1086), 14日=17(1103),
15日=35(1138), 16日=55(1193), 17日=43(1236),
18日=70(1306), 19日=62(1368), 20日=84(1452).
3月では一日における最大感染者数は58人でしたが、4月に入るともはや50人前後の一日感染者数は珍しくなくなってしまいました。大洪水で大勢の住民がかき乱された4月4日から二週間経過した20日には83人という一日の感染者数として過去最大の数字を記録しました。感染拡大の傾向が鈍る様子がないことが非常に懸念されます。
悪いことは重なるもので、4月6日、44歳の女性FGさんが東チモール初の新型コロナウィルス感染死亡者となり、さらに11日に47歳の男性ABさんが2人目の死亡者となってしまい、これまで死者ゼロを維持してきた東チモールもついに死者を出す現実に向き合わなくてはならなくなりました。
それにしても40代半ばの死はあまりにも早すぎます。1990年代に20代の青春を過ごしたこの世代は(わたしが付き合っている東チモール人の大半がこの世代)侵略軍と最前線で闘った抵抗運動の中心世代であることを考えると、亡くなった方々がどのような人生を歩んだかはわかりませんが、悼んでも悼みきれない想いがします。
さて、二人目の新型コロナウィルス感染死亡者の遺体の埋葬を巡り、シャナナ=グズマンと政府当局とのあいだにひと悶着が起きました。
座り込みをするシャナナ、説得する保健大臣
4月11日、国立病院に搬送されたABさんがPCR検査を受け陽性と認められた後に亡くなりました。
遺体はディリ市内のベラクルスという町にある隔離施設に移され、そして危機管理統合センターは、一人目の犠牲者FGさんと同様にABさんの亡骸もWHOの手順に従って、新型コロナウィルス感染者用の、メティナロという所に準備された埋葬地に埋めようとしました。
これにたいしABさんの遺族は、父は(ABさん)は1ヶ月前に卒中で倒れ、目や頭などが膨れ、よくしゃべることもできず、耳から血も流していて、11日午後6時に強い発作に襲われ、7時に国立病院に運び込んだら、病院はすぐに綿棒によるテスト(PCR検査)をし、その15分後に父は陽性であると告げられ、そののち父は息を引きとったのであるから、父はCovid-19で亡くなったわけではないので動物のようにメティナロの埋葬地に埋められることは受け入れられないと泣きながら抗議をしたのです。しかし当局としては陽性反応が出た以上その遺体の埋葬は感染防止のために、非情と思われても、定められた手順に従って埋葬する必要があるわけです。
泣いて抗議する遺族に手を差し伸べたのが、洪水の被害を視察し精力的な支援活動をしているシャナナ=グズマンでした。シャナナは12日から隔離施設の入り口に座り込みをして遺体を遺族に返すよう当局に再考を求め始めたのです。
座り込みするのはCNRT(東チモール再建国民会議)というたんなるいち政党の党首ではなく、「国民的指導者」・「カリスマ指導者」はたまた「歴史的指導者」という肩書をつけれられている独立の英雄です。警察は滅多に手荒な真似はできません。そこでオデテ=ベロ保健大臣(フレテリン=東チモール独立革命戦線)は、新型コロナウィルス感染防止対策の当局の顔ともいえるオデテ=ビエガス医師を隣に、そして多数の警察官を後ろに従え、椅子に座るシャナナに説得を試みました。二人の主張はだいたい以下の通り。
シャナナ――病院によるPCR検査などの手順すべてに敬意を表するが、ABさんは1ヶ月前から病気であったのでCovid-19で亡くなったのではない、当局への遺体引き渡しに同意できない。
オデッテ=ベロ保健大臣――陽性であった以上、遺体を規則通りに埋葬せざるを得ない、わたしたちに協力してください、わたしたちを信用できないというなら、どうやってこの国に貢献しようというのですか。
路上で展開される二人の口論の模様は12日夜のTVニュースのYou-Tube映像で見ることができます。椅子に座るシャナナとその前に立つ保健大臣による男女1対1の言い合いの様子は、2020年5月19日に起こった国会大乱闘の映像に次ぐ衝撃的な映像です。シャナナが相手一人と1対1で口論する様子を撮った映像は極めて珍しいと思います。
結局この日、二人の主張は平行線をたどり結論は出ませんでした。シャナナは座り込みを続け夜は路上で寝ることになったのです。
シャナナは自分の行為について、これは市民としての行動であり、政府が仕事をよりするために政府を助ける行動であり、政府に反対する行動ではない、と主張しました。往年のシャナナ節を久しぶりにみた思いです。
シャナナの行動にたいする賛否
この件の科学的争点として、死因は新型コロナウィルス(Covid-19)でないなら遺族の意向に沿った埋葬をすべきという意見と、陽性反応が出た以上政府の指定する埋葬地に埋められるべきだという意見があい対します。そしてもう一つの争点としてシャナナ=グズマンのとった行動への賛否があります。
まずシャナナの行動にたいする賛否ですが、最大与党フレテリンのアニセト=グテレス国会議長は、政治指導者は批判はしても妨害をしてはならない、シャナナの態度は国の権威を貶め、専門家の信用を失墜させようするもので、ウィルス感染と闘う指導者として善き見本ではないと批判しました。これにたいしCNRT幹部は、苦しんでいる人のために人道的な行動するシャナナを100%支持する、アニセト=グテレス国会議長の態度こそ指導者のものではないと言い返します。
フレテリンとCNRTの意見がぶつかるのは当然として(*)、報道で紹介される大半の意見はシャナナを擁護するものです。そのなかには、歴史的指導者を路上に寝させるとは何事か!歴史的指導者にたいしてアニセト=グテレス国会議長の言い方はないだろう!と怒る意見もありました。
(*)フレテリンの最高実力者・マリ=アルカテリ書記長がCNRT党員21名を相手に告訴した件で(東チモールだより第432号参照。なお第432号では告訴されたCNRT党員は22名がと書いたが、21名が正しいようである)、シャナナ=グズマンはCNRT党首として被告たちを弁護する法的手続きを済ませたので、二大政党の指導者が裁判所で火花を散らすことになるかもしれない。
シャナナが座り込みをする隔離施設の入り口に通じる道路は警察によって封鎖されましたが、100メートル先には遺族とシャナナを応援する若者たち約100名がEAST TIMOR FREE Covid-19と書かれた横断幕を掲げて陣取りました。写真や映像を見るかぎりでは、若者たちは密着し、マスクをしている者はまばらです。ウィルス感染の観点からすれば非常に危険です。
この若者たちにたいしシャナナは、新型コロナウィルスに注意しなさい、いまは政府の判断を静かに待とうではないかと鎮めました(『タトリ』、2021年4月13日)。
一方4月13日、国会内の分科会のB委員会(外交・防衛・治安を取り扱う)委員長でもあるフレテリンのソモツォ議員は、デモ集団を撃つよう警察に求めると発言したとして人権団体などから、独裁者のような発言だ、挑発的な発言はすべきでない、人が苦しむ問題の解決を図るべきであり力を行使しようとするのは間違いだ等々、猛反発を喰らいました(GMNのTVニュース、2021年4月14日)。これにたいしソモツォ議員は、自分の発言が断片的に摘ままれて真意が正しく伝えられていないと弁解しています(『テンポチモール』、2021年4月15日)。
フレテリンはシャナナの座り込み行動にたいする対応でかなり評判を落としたようです。
国連の手紙
遺体埋葬にかんする科学的論争ですが、4月13日にまず東チモール人のセルジオ=ロボ医師が専門家による正しい取り扱いがされれば遺族の意向に沿った埋葬は可能であるという見解を示したことで(『テンポチモール』、2021年4月13日)、状況が動き出したようです。
そして14日、東チモールにおける国連職員の代表が、新型コロナウィルスで亡くなった人でもWHOの定める手順に従えばその土地の風習・宗教に沿った埋葬ができるという見解が示された手紙を、シャナナと当局側に渡したことで遺族の意向が反映される形で双方の妥協点を探る事態へと大きく傾き出しました。
国連のこの手紙は双方の態度を和らげました。座り込みを続けるシャナナ陣営をオデテ=ベロ保健大臣は再び訪れました。ニュース映像を見ると、12日の激しい口論を繰り広げた二人は打って変わって穏やかな対応に終始しました。シャナナは合掌をして何度も大臣にお辞儀をし、グータッチをしようとすると、「タッチは駄目ですよ」と大臣が言うと、シャナナは「タッチはしません、形だけ」といってグータッチのポーズをとっておどけてみせるなど和やかな雰囲気に包まれていました。そしてシャナナは、「相手をやり込めるとか反対とかということではありませんから…」と優しく大臣に語りかけていました。
一件落着、しかし懸念される二週間後
4月15日、タウル=マタン=ルアク首相は危機管理統合センターに遺族との間に生じた見解の相違を解消するために遺族と話し合うようにと指示を出し、事態は収束へと動き出しました。WHOが上記のような見解を示した以上、何が何でもメティナロの埋葬地に遺体を埋める必要はなくなったと首相は判断したと思われます。さらに首相は一歩踏み込みました。すでにメティナロに埋葬されたFGさんの遺族にたいし謝罪をしたのです。
4月15日午後2時、危機管理統合センターは遺体を遺族に引き渡しました。シャナナ=グズマンや危機管理統合センターのアルク将軍などが付き添い、厳重な警備を伴って遺族による埋葬がディリのマンレウアナという所で埋葬されました。ニュース映像を見ると、そこは寂しい墓地のように見えます。遺族は故郷の墓地で埋葬したかったはずです。遺族の意向がすべて叶ったわけではなく、WHOの定める手順には従ったようです。
ともかく、4月11日に亡くなったABさんの亡骸は、冷凍され、シャナナ=グズマンが座り込みをして二晩路上で寝るなどして、四日後の15日にようやく遺族によって埋葬され、一件落着です。
しかし、4月11~15日に起こったこのひと悶着は、大勢の人たちを呼び集め、密の集団を形成しました。これが新型コロナウィルスの感染拡大の新たな原因として二週間後の影響が心配されます。たとえば埋葬地へ向かう葬儀の一行を見送るため、沿道には大勢の人びとが繰り出し密集した群衆となる映像を見ると、二週間後である4月下旬~5月上旬の感染者数の発表を聞くのが怖い気がします…。
青山森人の東チモールだより 第435号(2021年04月26日)より
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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