靖国参拝問題の波紋 -戦後は米国のマインドコントロールか-

著者: 半澤健市 はんざわけんいち : 元金融機関勤務
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 2013年12月に行われた安倍首相の靖国参拝。これに対する国際社会からの批判の広さと深さを認識し、国内での反応を併せて検討したい。

《靖国参拝が起点であった
 桜井よしこなどはかねてから、海外からの批判に答えて、「中国・韓国だけでしょ」と過小評価してきた。今度は事態が違う。まず唯一の「同盟国」―正確には宗主国であろう―米国の「失望」が続いている。来日するオバマ米大統領を、国賓として迎える試みは失敗した。そのうえ、NHK籾井勝人会長(政府が右というのを左とはいえない)、百田尚樹経営委員(田母神俊雄以外の都知事候補は人間のクズ)、長谷川三千子経営委員(朝日新聞へ押し入り自死した野村秋介を礼賛)、衛藤晟一参院議員兼首相補佐官(安倍靖国参拝に失望の米国に逆に失望)、本田悦朗内閣官房参与(靖国参拝は誰かがやらねばならなかった)との発言が続いた。いずれも戦後体制に真っ向から対立する言説である。ある者は批判を浴びて取り消し、ある者は沈黙し、ある者は開き直っている。在日米大使館はNHK関係者の発言を嫌い、キャロライン・ケネディ大使への取材を拒否しているという。

欧米メディア、『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』、『ウォールストリート・ジャーナル』、『フィナンシャル・タイムズ』、『エコノミスト(ロンドン)』は、これら一連の事件を取り上げ、総じて批判的な記事を書いている。TBSの報道番組によれば、ドイツでも『ツァイト』、『フランクフルト・アルゲマイネ』などの有力紙が、客観的な表現をとりつつ批判的な記事を掲げた(2月20日夜「荻上チキ・セッション22」)。これらの反応は、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」が、人気取りのスローガンでなく、本気で日本を戦中・戦前へ回帰させようとしていることへの警戒感を示している。
本稿執筆時点では、『インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ』(2014年2月21日)の「日本のナショナリズム論議は日米関係への脅威」と題する東京発記事が最新記事である。ここでも、靖国参拝を起点とした安倍とその追随者による改憲、ウルトラナショナリズム、戦前への回帰、歴史修正主義、の推進に対して、アメリカの危惧が高まっていることを報じている。

《戦後教育は米国のマインド・コントロール》
 安倍首相は、2月20日の衆院予算委で「教育基本法は占領時代につくられたが、衆参両院で自民党単独過半数をとっていた時代も手を触れなかった。こうしたマインドコントロールから抜け出す必要がある」と述べた。「手を触れなかった」のはマインドコントロールのためではない。与えられたものとはいえ人々の胸中にあった「戦後民主主義」の精神、強い反戦意識が、自民党にも教育基本法に触れることを許さなかったのである。安倍発言はその戦後を全否定するに等しい。
国内の反応はどうか。与野党、メディア、何より我々の意識はどうか。鈍感である。というより状況誤認に走っている。都知事選で田母神が60万票取った理由がわからないというコメントが多い。半数が非正規労働者である若者の閉塞感・怨念・脱出願望の表明だと私は考えている。なぜそれが分からないのか。もちろん危ういベクトルへの脱出である。1932年の「五・一五事件」の被告に集まった百万通の助命嘆願や、1936年の「二・二六事件」の青年将校らの「正義感」に通底する深層心理があるのではないか。
「占領によるマインドコントロール」からの脱出を図る安倍晋三は本気である。この脱出メッセージは、閉塞感に苛まれて20年を過ごした国民に、効果が出始めた。偏狭なナショナリズムへの「一億総転向」が静かに始まっている。

《『小さいおうち』受賞に喜んでいていいのか》
 戦時体制に入るとき、政権はどんな政治を演出するのであろうか。人々の心情はその政策に応えてどのように変わるのか。昭和初期の小市民を描いた山田洋次の『小さいおうち』が今年のベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受けた。その時代をなぞるように、2014年の現実がタイムスリップしている。女優黒木華(くろきはる)の笑顔を喜んでばかりいられないのである。

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