非対称性

内田弘先生の『「資本論」のシンメトリー』を拝読しました。

この題名を見たとたん、すぐに頭に浮かんだのは「むしろ反対に非対称性じゃないか」という感想です。学問上の大先輩(学生のころ、『経済学批判要綱の研究』を、ノートをとりながら拝読しました)に対し、まことに傲慢だとは思いますが。お許しください。

私の目からは、『資本論』のいたるところに「非対称性」が目につくのです。

1、       相対的価値形態と等価形態との「非対称性」。このゆえ、私は等号=を使わず、宇野派の多くの論者に倣って→を使います。左辺と右辺は交換できないという「非対称性」を示したいからです。

2、       したがって、一般的等価形態を導き出すために「逆転の論理」は使うのには賛同できません。広松さんは、「相対的価値形態にある商品の所有者の視角から等価形態のそれにと、当事者の視角が変わった」と説明していますが、それはそうだとしても、なぜ視角を反転させなければならないのか、私にはさっぱりわかりません。「当事者の視角」とは、あくまで「相対的価値形態にある商品の所有者の視角」でなければならないと思います。

3、       このことは、結局、貨幣が「直接的交換可能性」(流動性)を独占して、それを奪われた商品と向かい合うという「非対称性」に行きつくと思います。

4、       そして、G-W-G´(利潤=増加した価値を目的とする)とW-G-W(使用価値を目的とする)との「非対称性」もここから発生するのではないでしょうか。

うん!?もしかしたら、内田先生は、こうした「非対称性」を自己の内に含む「対称性」をお考えになっているのかな?

妄言をお許しください。