韓国最高裁徴用工判決の意味するもの 冷戦体制=国家主義からの離脱に向かう韓国と(新)冷戦体制=国家主義を強める日本

1. 10月30日韓国大法院(最高裁)の徴用工判決の核心は、2つある。
核心の第一は、個人としての損害賠償請求権の存在を認めたことだ。
原告(韓国人の元徴用工4人)の被告(新日鉄住金)にたいする損害賠償請求の訴えに対して、被告および被告を支援する日本政府は、「元徴用工の損害賠償請求は、1965年の日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決しており、したがって被告には請求権が存在しない」としてきた。
これに対して韓国最高裁が下した判決は、
(1)1965年日韓請求権協定によって消滅したのは韓国の日本国に対する「国家としての賠償請求権」(国家が個人の利益を保護するために発動する「外交保護権」)であって、
(2)元徴用工の「個人としての損害賠償請求権」がこれ[外交保護権の消滅]によって消滅するものではない、
ということである。
2. ところが10月30日大法院判決に対する日本政府(安倍首相、河野外相)の反応は、「1965年の日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決した」の一点張りだ。
外務省の河野外務大臣会見記録[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaiken4_000769.html
]によれば、共同通信・斎藤記者が「韓国最高裁の判決は,原告の個人請求権については消滅していないと判断したと伝えられています。日本政府としては,個人請求権について消滅したと安倍内閣として捉えているのか,それとも消滅していないと捉えているのか,もし,消滅していないという従来の政府答弁を踏襲するとすれば,請求先はどこになるのか,日本になるのか,韓国になるのか」と質問したのに対して河野外務大臣は「細かいことは国際法局が説明をいたしますが,この問題については,もう既に完全かつ最終的に終わっているという日本の立場に何ら変わりはございません。」と、個人請求権については沈黙している。
斉藤記者が「(個人請求権が)消滅していないという従来の政府答弁を踏襲するとすれば,請求先はどこになるのか」と質問したのは、日本政府は「個人の請求権は消滅していない」という見解を再三国会で表明しているからだ。これについては、澤藤弁護士の
徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)」に明快に述べられている。
3. 韓国大法院判決に対する反発でもっとも注目すべきは、「韓国は国家の体を成していない」と反発した中曽根康弘元外務大臣だ。図らずもここに「国家と個人の関係」が浮かび上がってきたからだ。
「国家が請求権はないと言っているのだから、個人(国民)にも請求権はない」――安倍政権にとっても自民党にとってもこれは自明の理となっているようだ。いや、安倍政権・自民党だけではない。野党[共産党を除く]とマスコミのほとんどにとって「自明の理」となっているようだ。
国家は国民を守らねばならない。とはいえ、守ることができないばあいもある。
国家が国民を守ることができないばあい、個人はどうするか。
1965年、朴正煕大統領が国民の反対を力尽くで抑え込んで日韓請求権協定を結んだとき、国家は国民を守らないだけでなく、国家が個人(の損害賠償の請求)を強権で封じ込めたのだ。
時は流れ、朴クネ大統領が退陣し、ようやく韓国においては、国家は個人を強権で封じ込めるものから個人の自己救済の活動を容認し後押しするものへと転換しはじめたのだ。筆者にはそのように見える。
4. 大法院判決の核心の二つ目は、「日韓併合」が植民地支配であったという前提に立ち戻ったことだ
1910年の「日韓併合」は大日本帝国による韓国[名前は大韓帝国]の軍事力による強制的な国家解体・吸収――つまり「植民地支配」であった。だが、日本が「植民地支配」を村山談話等で認めだしたのは、ようやく1990年以降であり、日韓の請求権問題では、依然として「日韓併合は、大韓帝国も了承した合法的な手続き」であった、という立場をゆずらない。
1910年-1945年の韓国(朝鮮半島)は日本の軍事的支配下にあり「植民地」であったのか、それとも合法的に日本と合邦した「日本国の一部」であったのか。1965年の日韓条約では、この問題は棚上げされた。日韓基本条約では棚上げされたが、日韓請求権協定では、「日韓併合は合法的」という日本側の強弁が前提となっている。
(1) 植民地支配にともなう韓国の損害賠償請求を認めず
(2) (合法的に合邦となった)日本・韓国の(1945年の終戦による)領土分割にともなう日韓双方の財産権の処理が主題となった。
(3) しかも、個人の財産請求権の処理は(煩瑣で実務的に不可能という理由で)やめて、国家と国家の間の処理に一本化された。「無償3億ドル、有償2億ドル」がその結果である。
5. 第二次大戦の敗北から立ち上がった日本は、軍部・警察独裁と朝鮮・満州・東南アジアへの「植民地支配」の精算によって大日本帝国から新憲法の「平和国家・日本国」へと生まれ変わるはずであった。
それが頓挫し、植民地支配のリーダーたちが復権し、再軍備に舵を切ったのは、ほかでもない、冷戦体制への世界の移行による。〈アメリカ→日本→韓国〉という垂直統合が築かれ、日本は「敗戦国」という国際政治秩序の最下層から、一気に「東アジアのアメリカ冷戦体制の中核」へと引き上げられた。「日韓併合は植民地支配にあらず」という認識は、こうして作られた。韓国の対日独立の封印もまた、同じ冷戦体制による。
6. だがいまや、冷戦体制そのものが崩壊の過程に入り、30年になろうとしている。
韓国はすでに、〈アメリカ→日本→韓国〉という冷戦体制からの転換に向けて歩み始めた。韓国大法院の個人請求権・日帝植民地支配への損害賠償請求権の承認こそ、そのあらわれだ。
対する日本は?弱体化するアメリカの分まで日本が背負い込んで「強い主権国家になる」――台頭する中国との「新冷戦」体制に向けて。
7. 冷戦体制の解体が「新冷戦体制」へと向かうのを阻止する――それが「平和国家・日本」の世界史的な役割ではないか。「国家の体をなしていない」――国家が既成の形を投げ捨てて生まれ変わる――の何とすばらしいことか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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