韓国通信NO631
『運命』文在寅自伝―から日本を考えた
廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が自殺してから11年の年月が流れた。若者たちの熱狂的な支持をうけ彗星のように現れ、若干57才で第16代大統領に就任。当時の韓国社会の熱気は日本にまで伝わってきた。「人が暮らせる世の中へ!」。誰もが人間らしく生きられる民主的な福祉社会の実現をめざし、がむしゃらに突き進み、そして挫折した。
亡くなってから2年後に発表された本書、文在寅の自伝には弁護士廬武鉉との出会い、側近として仕えた廬武鉉大統領の奮闘ぶりが生き生きと、敬意と愛情をもって語られていて大変興味深い。
ローソク革命から生まれた文在寅大統領の政治信念は廬武鉉との「運命」的な出会いから生まれた。弱者と人権に対する強い思い入れと、過去と未来に対する歴史観は廬武鉉譲りで揺るぎない。
廬武鉉政権は失敗したと言われる。政権末期の政権内の混乱、側近の金銭問題、支持者たちからの批判。国民の誤解も多かった。亡くなってからその偉大さが改めて評価され、歴代の大統領の中でもっとも尊敬される大統領になった。本書は文在寅の自伝だが、その大半が「兄貴」であり、「親友」だった廬武鉉について語られているのも本書の特徴となっている。
読後感を以下に記しておきたい。
廬武鉉政権が崩壊した翌年、日本では民主党政権が誕生した。選挙の圧勝にもかかわらず、三人の首相が交代し、あっけなく政権交代を余儀なくされた。以降、在職最長の安倍政権が今日まで続く。
民主党政権短命の理由は何だったのか。「決められない政治」「自民党に似た古い体質」という批判は決して間違いではない。しかし冷静に思い起こすなら、財界、官僚など既成勢力の巻き返しは激しく、検察も、マスコミも、足腰が弱く、脇の甘い民主党政権に遠慮会釈なく集中砲火を浴びせたことも事実だ。
そっくり同じことが韓国の廬武鉉政権時代に起きていた。わが国では民主党政権に対する蔑視と冷笑だけが残り、「他に適当な人がいない」という根拠のない安倍政権支持の基盤となった。
廬武鉉政権と日本の民主党政権を単純に比較はできないが、強いて言うなら、古い政治体制に挑戦した新政権が、既得権勢力と「世論」という厚い壁に遮られたという共通点がある。「自伝」は韓国を知る上で、また日本の政治を考えるうえで他山の石となる。
そこから読み取れること。
自公政権に代わる新しい政治は、単なる政党の数合わせからは生まれない。市民に真摯に寄り添う政治勢力の結集が求められている。それを可能にするのは、待つことではなく、一人ひとりが自分のローソクを掲げて積極的に声をあげ、政治に参加することがいかに大切か。文在寅から教えられたことだ。 岩波書店 2018年刊定価2700円税
常磐線3.11物語
新型コロナウィルス騒ぎで心が落ち着かない。何処も「中止」「中止」の話ばかり。スポーツクラブも休みとなり、少し運動不足気味だ。今月20日に予定されていた「さようなら原発」の集会も中止になった。
ウィルスは不安だが、社会はバラバラに、そして排他的雰囲気が漂い始めた不気味さがある。「緊急事態宣言」は恐怖を煽るだけの安易な無策に感じられる。国際的にも国内的にも孤立して生きる不安。大恐慌の前兆が広がる。このままではオリンピック開催はありえない。
東日本大震災、福島原発事故から9年。コロナウィルス騒動は福島原発事故のおぞましさを思い出させる。オリンピック成功の後に予定される憲法を変えるという安倍政権のシナリオに変更はない。いのちと生活は二の次。非科学性(見通しの甘さ)と独善性(政府の都合)が浮き彫りになった。
<アンダーコントロール>
2020年のオリンピック誘致に成功した安倍首相が、フクシマについて「状況は統御されている」、アンダーコントロールと全世界に胸を張った。
福島の状況はいまだに4万人を超す避難民。避難解除されても帰れない放射能汚染地区。行きどころのない放射能汚染水と除染物の山。廃炉作業も全く進まない。事故9年目を迎えて、事故の後始末は始まったばかりの状況だ。
福島をたびたび訪れる首相や天皇には福島に住むことをすすめたい。加えて国会議事堂、官庁、裁判所、皇居が福島に移転すれば、復興は本格化するはずだ。まず「隗より始めよ」だ。地産地消、彼らに福島のコメと野菜と魚も存分に食べて欲しい。
形だけの復興五輪は明らかな「棄民」政策だ。
<常磐線全線開通の欺瞞>
避難地域を次々に解除して、復興と見せかける欺瞞。その欺瞞は3月14日に全線開通した常磐線の例を挙げれば十分だろう。沿線に住む人間としては、8年以上も不通だった常磐線の開通を聞かされると、今頃「フザケルナ」と叫びたくなる。
改札近くにある電光掲示板は近郊のJR、地下鉄、私鉄のたった5分の遅延でも時々刻々と知らせる。しかし常磐線の「不通」を知らせたことは一度もない。「原発事故による」不通を知らせなかったのは明らかな事故隠しだ。駅員に抗議したこともある。<写真上/スーパーひたち/下/線路が流された機関車>
その常磐線が開通する。正確に言うと、品川(上野)と仙台を特急列車が3往復、普通列車が11往復である。早速、安倍首相は7日に福島を訪れ得意げに常磐線全線開通を祝った。
<常磐線に乗ろう>
子どもの頃、わが家は夏休みと冬休みに、父の実家のある仙台へでかけた。東北本線はトンネルが多く、蒸気機関車の煤煙に泣かされた。常磐線は海が見える。時間は両方とも各駅停車で8時間くらいだった。各駅停車を楽しむ汽車の旅だった。
東北新幹線ができてから常磐線は利用しなくなった。我孫子に住むようになって一度だけ特急列車に乗ったことがある。津波と原発事故の直前だったので記憶は鮮明だ。
9年ぶりの全線開通。常磐線で仙台へ行くつもりだ。しかし、晴れがましい復興記念乗車にはならない。復旧したあたりが危険地域であることに変わりはない。電車は密室なので放射能が車内まで侵入することはなさそうだが、放射線測定器の針が振り切れるほどの高濃度の中を走る。福島第一原発から2.5キロ、避難区域に沿って走るので当然だ。車窓からは茨城県の東海原発、福島原発が見学できる。
常磐線に乗ってほしい。放射能の中を疾走する「スーパーひたち」に乗って、9年前の事故を思い出してほしい。かつての蒸気機関車の煤煙に代わる見えない放射能を想像して欲しい。避難区域の風景を見て原発事故が終わっていないことを感じて欲しい。
常磐鉄道は常磐炭鉱の石炭を輸送するために1896年に開通した富国強兵の国策鉄道だった。
<韓国から鉄道労働者がやってきた>
東日本震災の年、韓国の若者たちが集めた義援金を手に被災地宮城県にやってきて復旧作業を手伝った。引率したリーダー趙貴済さんの活動報告が残された。
彼らの活躍ぶりに感動して、私は韓国通信に3回に分けてレポートした。
あれから9年。日本の社会は変わった。原発事故の責任が民主党政権にあるような言説まで飛び出す状況も生まれた。自分の責任を転嫁して自己を正当化する風潮―嘘、改ざん、口裏合わせーが政治の世界を中心に蔓延している。
北朝鮮の脅威を煽った挙句、ネットウヨなみの感情的な反韓・嫌韓の言動が政府から飛び出すようになった。「美しい日本」は醜悪の真っ只中にある。コロナ脅威のなか、日本人は品格と優しさを取り戻すことができるだろうか。3.11に対する見舞いが全世界から寄せられたことを忘れない。台湾から多額の募金が寄せられ、被災者たちを感激させたことも。
苦しい時こそ助け合う。
大震災直後、北朝鮮の金正日委員長から義援金が届いた。それを知る日本人はあまりいない。彼の葬儀(2011.12)に日本政府は弔意はもちろん、一円の香典も送らなかった。日本の将来が心配だ。憎悪の応酬からは何も生まれない。拉致問題の解決は遠のくばかりだ。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9553:200318〕