騙されたあなたにも責任がある

 小出弘章先生が「騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実」と云う書を上梓されました。 題名に少し衝撃を受けますが、読めば、被爆国に生を受けた身でありながら、浮世の些事に右往左往し原子力発電に真剣に反対もせず、結果的に甚大な被害を齎した事故を招くことになった現実に、改めて、愕然としてしまいます。 

 「原子力安全神話」を心の隅では、本当かなと、多少は疑いつつも、人事のように無関心であった私には、本書の記述は刃のように傷みを感じさせるものとなっているのです。 加えて、政府・原子力村は、我々一般国民を騙したのは事実ですが、我々一般国民は、また、小出先生を含めて原発の危険性を訴える科学者の訴えに耳を貸そうともしなかったのです。 悲惨な事故が起きるまで、無関心と良心的な科学者の訴えを無視した現実に自己嫌悪を感じるのは私だけでは無い、と信じます。 

 翻って、根源的で病理的なこの構造は、原発を巡ってだけではありません。 「土建国家」のわが国にあっては、醜悪な金儲けのために、美しい日本の国土を切り刻み、財政悪化の現在でも、道路やダムを建設しつづける「土建村」や、何でもかでも「エコ」の「エコ利権」等々。 欲望に踊る「村」は多数存在しますが、一般国民は知らぬ顔です。 却って、利権のお零れに預かろうとする者も多数が居ます。 御用学者に犬の如き「マスゴミ」がそうです。 この国は、金銭のみが目的になったようです。

 罰。 私のような無関心であった者には天罰が下っても仕方が無いのかもしれません。 でも、小出先生に、「大人は責任に応じて、汚染された物を食べる」他は無いのだから、と云われると途方に暮れてしまいます。 

私のような小心者は、積極的に汚染された物を食べるのは勘弁して欲しいのですが、消極的に汚染された物を知らずに食べるのは仕方が無いものとして諦めます。 その代わり、何としてもこの国から原発を廃絶するように全力を尽くすことを誓います。 と云っても、大それたことが出来る分けがありませんが。

 わが身とは比較しようもありませんが、強大で無慈悲なナチスの独裁国家にあって、可憐な薔薇の花びらのような抵抗に己が身を捧げたゾフィー・ショルを思い出します。 ドイツ映画の「白バラの祈りゾフィー・ショル、最期の日々(Sophie Scholl – Die letzten Tage )に描かれた彼女の生き方は、まるで、肉体が滅んだ後に、尚、自身がナチスに抵抗した証を歴史に残したいがように、最後に残された良心を賭けて彼女の助命を模索する取調官の助力の申し出をも拒否します。  

 彼女に仮託する分けではありませんが、私と、私の友人・知人は、国家的詐欺である「地球温暖化キャンペーン」に蟷螂の斧宜しく抵抗しています。 実態は、吹けば飛ぶような少人数が意見交換しているだけですが、御豆の歯軋りに似たこの集まりにも情報規制の波が押し寄せているようです。

 裁判闘争にまで訴えられた槌田先生、「懐疑派バスターズ」なる一味に攻撃されつつも決して節を曲げられない武田先生や渡辺先生のように強く無い私達は、職場でも、社会でも一大キャンペーンの前では、取るに足りない存在でしかありません。 「エコ」「エコ」と連呼されれば、如何に理不尽な行いも許される世情に翻弄され、取られた税で、毎年一兆円以上の国費を無駄使いする政府に対し全政党が賛意を表する議会に幻滅しつつ、徴税された金銭を不平等・不公平にも「エコ・ポイント」だの「エコ補助」等として他人に与えられ、昼食時には、照明を消された暗い職場の机で弁当を食べ、ISOだの何だのと洗脳の研修を受けさせられ、一千億円だの二千億円だのと気の遠くなる国費を縁も無い外国に与える「排出権取引」の詐欺に遭いながら、何の反省も無い政府に怒りを抱きながら、科学的な証明も無い「糞」に人生の一部を狂わされている現状を座視は出来ません。 「一寸の虫にも五分の魂」怒りに燃える身で、反対する対象に「原発」を加えるのに何の躊躇もありません。

 俗に「赤信号みんなで渡れば怖く無い」と云いますが、この国にも「裸の王様」の寓話に倣い「裸」を見て「裸」だと云った者も居たことを残したいのです。 加えて、私達は、ゾフィー・ショルの生き方に少しでも学びたいだけなのです。 そして、私、個人は、我が家の愛猫に愛されるだけで充分幸福です。 喩え、温暖化教信者や原子力村の民に、「死ね」メールの攻撃を受けても。