近年はほとんど映画を見ることはなくなってしましましたが、私たち戦後世代は、少年少女期に日本映画の黄金時代(昭和20年代~30年代初め)に巡り合わせ、素晴らしい映画体験をさせてもらいました。鑑賞力も弱い幼年期でしたから、どれほど作品のよさを理解できたか分かりませんが、いくつかの作品はいまでもその感銘が心に刻み込まれています。もっとも綺羅星のごとき黒澤明、木下恵介、溝口健二、今井正、小津安二郎、成瀬巳喜男といった人々の作品の多くは、上京してから池袋の文芸座で見たものでした。ただしそのなかでは確か「ゴジラ」の少し後に見た記憶の「二十四の瞳」は、いまだに飽きずに繰り返し見ています。昭和の初期、瀬戸内のスケールの大きな自然を背景に、若い女性教師と子供たちとの学校生活が情感豊かに描かれています。しかし次第に貧困や戦争という避けがたい荒波が、すべての人々を飲み込んでいき、圧倒的な暴力に翻弄されていくのです。映画は最後、合羽を着た大石先生が、黒々とした山々を背景に、ひとり雨に打たれながら力強く通勤の自転車をこいでいく姿を追って終わります。その情景はなんど見ても心に深く染み入る場面です。それは、戦後重い過去を引きずりながら、ふたたび背筋を伸ばしてけなげに生きようとする人々の姿をシンボライズするかのようです。
主演を演じた高峰秀子は、撮影当時二十代後半というのを知って、驚きました。二十代の人間があれほど深みのある演技ができるのかと感心しました。満州帰りの美男俳優である宝田明が、日本で最も優れた女優として、迷うことなく高峰秀子の名をあげています。美男子に似合わず、満州からの過酷な引き揚げ体験をもつ宝田の眼力は、信じていいでしょう。
私の下手な感想はこのくらいにして、以下皆さんにお伝えしたかったことをまとめます。 高峰秀子は、50歳前後で映画界から足を洗った後、随筆家として名を成しました。高峰秀子に関心のある方には、ぜひ彼女の自伝的随筆「私の渡世日記」(上下 文春文庫)をお薦めしたいと思います。日本映画界屈指の名女優として名声をほしいままにしつつ、しかし実生活はいかに過酷ですさまじいものであったかが、冷静にあくまで自分を突き放しつつ書かれています。一例だけ挙げれば、五歳で映画界に入った高峰は、学校に行かせてもらえなかったので、九九の計算もできなかった由。夫松山善三は、結婚生活の中で計算に四苦八苦する妻の姿を見て、そのことを知り、やさしい松山が教えてあげたとのこと。一流の女優に付きものの「自惚れ」といった悪癖が、高峰にはないようです。あと、私が高峰に興味を持つのは、自分の母親とほぼ同年齢であり、戦中派としてあの過酷な時代を生き抜いてきた世代として重なるところが多いと感じるからです。
●次の動画は、Youtubeでみることができます。
【世界に誇る日本映画】「最も多くの人を泣かせた映画」『二十四の瞳』製作エピソードhttps://www.youtube.com/watch?v=SxYm2ZEj8NU
(以下、動画の一部)
木下恵介の高峰秀子観
●「収入はすべて搾取、学ぶ機会も奪われて…」大女優・高峰秀子さんを苦しめた養母。それを救った最愛の夫 ESSE online
https://news.yahoo.co.jp/articles/27ffa09073644a0cd3c19831c33f9c0b5cdcfaea
高峰秀子と松山善三(二人の作品は「名もなく貧しく美しく」)の養女として身近で見てきた文筆家の斎藤明美さんのインタビュー。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14048:250114〕