韓国通信NO651
安倍政治の継承を謳った菅新政権の乱行が心配だ。
政治を私物化した最長・最悪の首相として歴史に名を刻むはずの前政権の残り火に見えなくもないが、新政権は高支持率スタートに有頂天になって怖いもの知らずに見える。何も変わらないどころではない、遠慮が無くなった。
奉仕すべき相手を間違えた官僚もマスコミも官邸の金縛りからいまだに解けていない。
不評の憲法改悪はあきらめたと思ったが、「行け行けドンドン」の声ばかり聞こえる。政府に厳しい学者は排除。原発汚染水の放流と原発再稼働に前のめり。携帯電話料金の引き下げとハンコの廃止で人気取りをする、うすら寒さ。アメリカの大統領選挙結果待ちの外交。根拠のないコロナ楽観論。「行け行け旅行(トラブル)」。知性のかけらもない。
安倍前首相の重しが解けたのか、ワイロ疑惑の甘利政調会長、献金疑惑の下村元文科大臣のハシャギブリも目障り。外務、防衛大臣を経由して、行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革)に就任した河野太郎の目立ちたがりも異常だ。デジタル化で国政の効率化なんて全く説得力を欠く。コロナを奇貨としてマイナンバー制度で国民を管理しようとする意図しか見えない。政府にはやるべきことはいっぱい、説明しなければいけないこともいっぱいあるのに。靖国参拝と日本会議派の体質もしっかりと継承した。
<韓国との国交正常化は可能か>
徴用工問題に端を発した不正常な日韓関係は行き着くところまで来た感がある。韓国の最高裁判決の撤回が無理なことを知りながら、それを関係改善の前提にすることはありえない。立場を変えて日本ならどうか考えればわかる。日本政府は国際司法裁判での決着を視野に入れているようだが、両国が合意するならそれもいいだろう。負けた側が国際的な恥をかくことになる。賠償金の問題が決着しても関係が改善するとは思えない。
韓国では連日のように従軍慰安婦を象徴する平和の像の撤去問題が報じられているのをご存じだろうか。ベルリンの公園に像を設置したのはコリア協議会とドイツの婦人権利団体の女性たち。<左写真/ハンギョレ新聞から>
これに対してベルリン市当局が撤去を申し入れた。欧州歴訪中の茂木外相がドイツ政府に対して撤去を申し入れた(1日)ため、ドイツ側が日独関係を配慮して政治判断をした。14日までの撤去を求める市当局に、韓国政府はもちろん、韓国とドイツの市民団体が猛反発、戦時性暴力を隠ぺいしようとする表現の自由問題に発展、デモ等、抗議行動が繰り広げられた。日本側の干渉に反発した市民団体を巻き込み韓国世論が沸騰した。
当初ドイツ当局は日独の外交問題として撤去を求めたが、相次ぐドイツの著名な学者の反対声明、政治家を巻き込んだ反対運動に押され、撤去命令を「撤回」した。完全に決着したわけではないが撤去は免れた。従軍慰安婦問題は解決して謝罪したというのが日本の言い分だが、性奴隷にさせられた少女を記憶としてとどめたいとする人権団体の運動に政治的圧力を加えた日本政府は大恥をかきそうだ。戦争の記憶を留めることの大切さ。日本政府はドイツ社会を見間違えたようだ。
<巻町(まきまち)、扶安(プアン)、神恵内(かもえない)、寿都(すっつ)>
実は私の個人新聞は、韓国全羅北道の扶安から始まった。人口7万人足らずの町で繰り広げられた原発廃棄物処理場に反対する住民運動(2004年)を取材した。町に降り立ったとたん、「のぼり」やポスターから熱気が伝わった。文字通り住民ぐるみの苛烈な運動だった。「住民投票法」がなくても、自主的に住民投票を実施して郡当局と政府にノーを突き付けた。全国から注目を集めた反核、環境、住民運動は、成果とともに現在に語り継がれている。
老若男女、住民ひとり一人が持てる力を発揮して参加した話に感動した。だがもっと驚いたことは運動が新潟県巻町(現新潟市西蒲区)の原発反対運動(1996年)をお手本にしたと知ったことだ。
巻町の住民が住民投票によって町長による東北電力の原発誘致を撤回させた有名な事件だった。その後も住民と自治について大きな影響を与えたことで特筆される・
取材を通じて、わが国の反原発運動の歴史と韓国の運動とのかかわりを知ることになった。日韓の国境を越えた「いのち」「環境」を守る市民運動の発見が「韓国通信」の原点となった。
実は、原発の廃棄物処理場の問題は韓国でもいまだに結論がでていない。
わが国では核の「トイレ」にふさわしいかどうか調査するだけで20憶円から70憶円の交付金が下りる。北海道の神恵内村と寿都町が廃棄場誘致を前提にして動き出し注目を集めている。
巻町も扶安も地域の活性化のために自治体の誘致活動が始まった。金に目がくらんだと批判するのは簡単だが、過疎地に原発の負の遺産を押し付けるのは胸が痛い。原発には廃棄物の処理場が欠かせない。原発の恩恵を受けている私たちは廃棄物の処理に責任を持つべきだ。原発を止めるより廃棄場問題がより深刻だという指摘もあるくらいだ。神恵内村と寿都町の住民には扶安市民たちとの交流をおすすめしたい。
<汚染処理水を海に流すな>
汚染水の放流を政府が決断したと伝えられる。下水道水でさえ川や海に直接放流しない時代に一番安易な「解決策」を選択しようとしている。問題は風評被害などではなく、海の汚染そのものである。世界中が海の汚染を心配している。特に一衣帯水の韓国が放流に危機感を募らせているのは当然と言えば当然だ。
政府と東電は国内外の意見に聞く耳を持たなければいけない。韓国が反対すると「じゃあどうすればいいんだ」などと開き直るとしたらもってのほか。どこの国の原発が事故を起こしたというのか。無責任で稚拙な「スピード感のある」解決は国を亡ぼす。
大阪府知事と市長が汚染水を大阪湾に放水すると発言した。府市民の了解を得たという話は聞いたことがない。放言以上の悪辣な発言だ。その気もないのに「沖縄の米軍基地」の負担を引き受けると発言した前大阪府知事同様、「原発の被害くらい我慢しろ」「基地負担くらいは我慢しろ」と言っているようなもの。
一体、汚染水をどうやって大阪まで運ぶのか。ジョークでは済まされないフクシマとオキナワに対する侮辱である。このような知事、市長をよく我慢できるなと感心してしまう。単なる人気取りではない、菅政権に近い統治者の発想を強く感じた。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion10222:201022〕