高等学校の教科書検定の内容が3月18日公表された。今までの検定は事実関係の誤りに主眼が置かれていたが、今回の検定では政府の立場や取り組みを反映した記述を書き込むように修正が加えられた。報道では「積極的に書かせる検定」(3/19京都新聞)だと、文部科学省の姿勢を批判する記事が多く見られた。
領土問題で政府の取り組みの記述を求め,集団自衛権で「9条実質改変」削除
公民教科書で竹島の領土問題に触れた説明では「政府の取り組みが書かれていない」との指摘だけではなく、教科書調査官からの提案で、すべての公民教科書に「日本は韓国に国際司法裁判所への付託を提案した」との説明が加えられた。淸水書院の「現代社会」では集団的自衛権に関しての「憲法9条の実質的改変」という表現も変更された。平和主義が抜本的に変わるとの誤解を生む、という指摘で、「第9条の解釈変更」と変えられたのだ。
また山川書店の「日本史」では「イラク戦争に際して自衛隊を派遣した」が「自衛隊が人道支援にあたった」と書き換えられた。
原子力への政府配慮加筆、慰安婦問題の「強制、謝罪」はタブー
原子力エネルギーについては「安全を求める国民の要求に応える政策に転換する必要がある」は,「安全性の確保に今まで以上に配慮することが求められている」と書き換えられた。慰安婦問題での河野談話の説明では、「強制を認め謝罪した」は、強制、謝罪という言葉を使わず、「慰安婦に関する河野談話」との表現に変えられた。また常に問題となる「南京事件」では、虐殺被害者の数字は一切記載されなくなり,「通説がない」という検定意見にそった記述となった。犠牲者をなるべく小さく見せ、歴史的事実を直視させない意図に沿ったものとなったといえよう。
これらの検閲による書き換えは、いずれも、政治の争点になっている問題であり、またアジアの近隣国との間でも、歴史認識の違いが浮き彫りになっている問題でもある。高校生の一部が選挙権を持つようになっている中で、政府見解に沿った歴史観だけを教え込まれることは、大きな問題だと言える。
家永教科書裁判では検定は違憲との判断も
こうした報道に接してわたしの脳裏に去来するのは,1960年代の家永教科書裁判だ。1962年文部省は家永三郎氏の「新日本史」を「戦争を暗く描きすぎている」という理由で検定不合格にした。その後32年にわたって裁判で争われた。
第一次訴訟、第二次訴訟は最終的に訴えが却下されたが、裁判の過程では東京地裁杉本裁判長が、「教科書検定は検閲にあたる」との判断を下した(第二次訴訟1967年6月)。また第三次訴訟では最高裁が「南京大虐殺」、「中国における日本兵の残虐行為」、「満州731部隊細菌兵器使用」などの記述についての書き換えを求める検定を違憲とした(1993年最高裁)。
保守的教科書採択の動きも
家永裁判の結果、文部省(当時)の検定には変化が起きた。不合格ではなく、検定意見を述べるという、やや間接的な手法が多用されるようになった。同時に保守的意見を盛り込んだ教科書を作る動きも進んだ。「新しい教科書を作る会」と連動した扶桑社、自由社などの教科書の登場である(1996年)。途中内紛があり「教科書改善の会」が生まれ、育鵬社が教科書出版をはじめた(2007年)。これらの保守的教科書グループは教育委員会の一括採択をめざしたが,必ずしも成功していない。
今回、文部科学省が具体的な書き換えの文章を提示するまでになったことは新しい動きであり、保守系だけではなく従来からの教科書会社も、政府の意に沿う書き換え、加筆を余儀なくされるであろう。
テレビドラマ「判決」では教科書問題放送中止(1965年)
家永裁判が始まった頃、テレビドラマで教科書につながる同じような動きがあったこともわたしには忘れられない。日本教育テレビ(現テレビ朝日)で放送していた裁判ドラマ「判決」シリーズの中で1965年5月15日に放送予定だった「佐紀子の庭」は教科書検定問題がテーマであったため放送中止となった。本田英郎が脚本を担当、家永三郎氏が協力した作品である。局は放送中止の理由として「強烈すぎる,暗い」とのべた。文部省の介入があったと見られるが、その証拠は残されていない。
あれからおよそ半世紀が経過しているが、検定強化とメディアへの介入が車の両輪で進められている事が共通している。歴史は繰り返すと言うことだろうか
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