公立と私立の関係の整理が必要
「市立高校」とは何か
公立高校には都道府県立の他、市町村立がある地域も多い。昨年度段階で、全国の公立高校3400校余中、32道府県に184校の市町村立高校があった。2020年度には205校あったのだが、20校以上減少したのは大阪府の事情による。これについては後述する。地元に長く住んでいる人でも、市町村立の高校がある理由を知る人は少ないだろう。
小学校教育は戦前から国民皆学とされ、国民の基本的な資質・能力の形成を図る教育として普及した。教育内容は文部省の仕事であったが、校長などの人事は内務省の管轄であり、政府にとっては治安対策的な意味もあった。これに対し、中等教育(男子の旧制中学と女子の女学校)はエリート養成の一部であり、政府はその普及に抑制的であった。各府県が設置した旧制中学校は各地で、「第一」、「第二」と呼称され、東京府(当時)でさえ、初和初期までは9校(第九は現・都立北園高校)しかなかった。
しかし大正デモクラシーの時代に中等教育の需要は拡大し、市町村による中等教育学校や女学校の開設が広がり、さらには私立学校の設立の動きも広がった。いまでは東大進学で知られる灘中高(神戸市灘区)も、灘の酒造業経営者たちが、関係子弟たちの教育機会を確保するために開設した学校であった。市町村立の学校の多くは、地域経済の担い手養成のための商業科であったり、地場産業の人材養成のための工業科であったりした。女学校は当時、増えつつあった中産階級の家庭を支える「主婦」として必要な教養や家事能力の養成を教育の目的とした。
新制高校の序列
戦後、旧制中学校は新制高校となったが多くの場合、高校の序列は、エリート養成=都道府県立(大学進学)、地域人材養成=市町村立、その他=私立の順となった。私立は一部を除き、社会的地位も低く学費負担も大きく、「金のかかる滑り止め」の地位に甘んじていた。高校進学率は70年代に全国で90%を超えたが、地方では70%前後に留まっていたところが多かったのは、この構造ゆえであった。
このような私立学校の地位の低さは、現在に至る監督体制の緩やかさにもつながっている。公立高校については、都道府県の各教育委員会の中に高校教育課が置かれ、人事や各校の教育課程、教材選択など教育活動全般を監督している。例えば公立高校では修学旅行などの学校外行事については日程や経費に上限を設け、すべての生徒が参加できるように配慮している。
一方の私立高校については、府県によって異なるが、知事部局の総務部などに置かれた私学課など10数名程度の職員で指導・助成業務に当たっている。しかも私学課は一般に、私立大学から私立幼稚園、さらには宗教法人までを扱うのである。県によっては高校に対して「係」や「班」組織が担当している場合もある。したがって教育活動については届け出の受理が基本であり、よほどの問題がない限り指導することはない。修学旅行も長期間の海外旅行を実施し、保護者に大きな経済負担を求める学校も少なくない。
「弱い立場」の私立の生徒募集法
私立高校は公立高校の前に入試を行う。さらに多くの学校は年内の「相談会」と称する個別面談で、業者テスト結果や学校の成績表など持参した受験予定者に対して、「確約」なるものを出す。公立高校を第一志望とする生徒に対しては、より高いレベルの成績を要求し「併願確約」、当該私立校を第一志望とする生徒に対しては、入試当日の結果に関係なく合格を約束する「単願確約」を出すケースが多い。
一方の公立高校入試は、ほとんどの府県で同一日程での実施である。推薦入試を実施する府県もあるが、受験機会は限られる。受験生は公立高校入試の模擬テストである業者テストの算出する偏差値を参考に合格可能性の高い出願先を選択する。大学進学と異なり「浪人」が許されない条件のもとで発達してきた仕組みである。1993年、埼玉県教育長が「業者テスト追放」を主張し、文部省(当時)も同調し、偏差値「追放」の指導を行ったが、全国的にも完全に復活しているのは周知のとおりである。
公私序列の揺らぎ
私立高校が公立の補助的な地位に甘んじている間は公立高校の優位性は安定していた。しかし70年代から80年代にかけて大都市圏を中心に、この公私関係が揺らいできた。東京都では1968年に導入された「学校群制度」が契機となった。また80年代の第二次ベビーブーム世代の受け入れのため、多くの地方自治体は多数の新設校を開設し、その多くが「底辺校」などとも呼ばれる非進学校となり「公立離れ」を招いた面もあった。
その一方で私立を運営する学校法人の多くは、少子化を見越して拡張には抑制的で、進学対策に力を入れて評価を高める努力をしたものも多い。中学校を併設して「中高一貫」教育による進学教育の徹底の道を選択する学校も増えていった。とくに親の代に移住してきた大都市圏の住民にしてみれば、大学進学実績が高校評価の大きなポイントになるから、学費負担さえ厭わなければ私立高校の選択も以前よりも抵抗感が少なくなった。「伝統校」とは地域の伝統を共有する住民の間でのみ意味のあるものであった。
無償化のもたらすもの
現国会で日本維新の会が高校無償化を要求している。しかし、このような現状のなかで無償化を実施すれば何が起きるか。公立に先立って募集する私立のうち、とくに進学校としての地位を高めてきた高校に合格した生徒は、公立校の受験を前に私立高校への入学手続きをするだろう。また大学付属高校の場合は、その大学の社会的評価に保護者や生徒本人が満足するのであれば、積極的な選択理由になろう。公立校に進んで、大学進学に向けての塾費用などを考えればより賢明な選択となるからだ。この現象は、私立高校進学者への学費負担軽減を拡大した大阪府ですでに始まっている。2024年度入試では、全府立高校の半数近くの70校で定員割れする事態となっている。
維新大阪府政下で懸念されること
大阪府の市立高校は、維新府政以前の2010年段階では27校あったが、維新府政と維新市政が協力し2022年度、市から府に全面的に無償譲渡された。今後は定員割れを理由として半ば機械的に廃校とする大阪府教育条例が適用されることになった。先述のように市立高校は商業科や工業科が多く、大阪府の場合も同様である。高学歴化のなかで職業課程の高校進学者数は減少傾向にあり、定員割れする学校が多い。
旧市立の工業高校のうち4校がすでに3年連続で定員割れしている。さらに3校の旧市立商業高校も連続して定員割れしている。これらの高校は80年代に大都市周縁部に開設された新設校と異なり、市街地にある。これらの高校が廃校となれば、跡地は府にとって大きな財産となる。赤字が確定的とされている関西・大阪万博の負担が重くのしかかってくる大阪府は不動産などの資産の売却を急ぐことになるだろう。大阪市民の財産だったものが、いつの間にか関西万博の赤字補填に使われるという可能性も考えられるのである。
いま考えるべきこと
高校教育が義務教育化したといわれて久しい。しかし小中学校と異なり、歴史的にも複雑な事情で普及してきた経緯がある。高校教育の経済負担の軽減に異論はないが、無償化実施の前に整理すべき課題は多い。公立学校と私立学校との棲み分けをどうするのか、公費投入が拡大されるのであれば、私立高校の監督行政を強化すべきだろうが、どのような仕組みが適当かなどなど、である。
初出:「リベラル21」2025.02.08より許可を得て転載
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