韓国通信NO728
「鬼の天使」の添え書きのある一枚の絵。
闘病生活の末に79才で亡くなった私の親友が描いた。死の直前に世話になった看護師を描いた。鬼という特別な言葉に込められた優しい人柄が際だつ。
彼とは留学した高麗大学の下宿先で知り合った。AP通信のカメラマンとして世界を駆け廻り、定年後の留学先に韓国を選んだ。似たような境遇と韓国大好きという共通点から意気投合した。帰国後も昼酒を飲むという付き合いを続けた。
前立腺がんで余命10年と嬉しそうに語ったのが忘れられない。そして「10年保証付き」の飲み会が続いた。避けたわけではないが癌の話をした記憶はない。宣告から奇しくも10年目のころ、「そろそろ終わり」と連絡が来た。訪れたホスピス病棟の病室は明るく、自分の誕生会の写真を嬉しそうに見せてくれた。
<あの人のように>
彼は余命10年を心から楽しんでいるように見えた。電話口から聞こえる声はいつも朗らかだった。語学留学としては長い2年間の下宿生活がよほど楽しかったらしく、ある日、彼から下宿生の同窓会の知らせが来た。
2008年10月、日本から8人の元留学生が集まり下宿のオバサンとオジサンを招待してパーティが開かれた(写真/前列右の二人が招待客/その隣、偉そうにしているのがボクの友人)。
彼は理屈ではなく日本と韓国の普通の人が仲良く付き合うことの大切さを知っていた。下宿のオバサンはこんなに嬉しいことはないと終始涙ぐんでいた。同窓会が終わった翌日、彼は単身で巨済島に旅立った。
口癖のように韓国語は発音も表記も難しいと嘆いていたが、韓国語の勉強は生涯続けていた。韓国語を学び続けるのは韓国を愛し続けることだった。
これまで病気と縁のなかった私が3カ月の間に4回も入院をした。
とても不安だった。消灯後の眠れない日々が辛かった。シャバではコロナは消えたはずなのに病院は面会禁止。暇つぶしに「鬼の天使」の物語を何人かの看護師に話してあげたら看護師冥利に尽きると喜んでいた。看護師への感謝をユーモラスな絵に残し、限りある生命を受け入れる「ゆとり」は何処から生まれたのか。病室の闇の中で不安にうろたえている自分が恥ずかしかった。彼のように生きたいと切に思う。
初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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