少し読みづらさもある詩的断層であるが、ピケティ×植草一秀合論の試み(その2)として。
個人的興味であるマルクス論、日本マルクス研究、廣松渉科学自然哲学を交えながら。
(1)ピケティ×水野和夫
(2)長すぎる20世紀と危機
(3)マルクスの再構成と時事的政治学広報塔、植草一秀と周辺について
村山・鳩山元首相正論を正しく伝えないマスゴミ
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-bf06.html
植草氏は、最新のブログにて、鳩山由紀夫元首相とウクライナ問題に触れていて、ちきゅう座と同じ論調となっている事に気が付く。
しかし、何故、真実としての報道、ジャーナリズムに辿り着けないのか?
イスラム国問題もそうであるのだが、世界、海外の問題は、あまりに、日常に追われる労働者や貧困者にとって真偽を間接的にしか手に出来ないものであり、「確からしさ」のなかでしか測れない間接性があるからだろう。
【詳報】「日本を真の意味で独立した国家にしたい」〜鳩山元総理がクリミア訪問、基地問題、安倍談話を語る
http://blogos.com/article/110686/?p=1
鳩山元首相 「米国に2度葬られても構わない」
http://tanakaryusaku.jp/2015/04/00011041
それをどの様に、整理して情報を確かな認識としていけるのか?
(1)
ピケティ×水野和夫
(具体的に資本主義の終焉は、いつ、どの様な形で歴史的に開始され、民衆の意識は、それに関わり、そして、着地点とは何か?その唯物論的言及)
長すぎる16世紀と長すぎる20世紀の比較。
まだ、20世紀も戦後も終わっていない危機感の中の戦後70年問題。その危機感については、ちきゅう座読者のみなさん、書き込み手の皆さんと同じ面持ちでいるのではないだろうか?
25日(土)
廣松事的自然観
的場 先ほども言いましたが、私が大学に入ったときに疎外論ブームだったんですね。七〇年前後は。このブームが、突然去るんですね。去って何が出てきたかと言うと、物象化論で、このブームには理由があって、景気がよくなって、みんな就職もよくなって、そこそこに中産階級になっていくなかで、疎外という概念が希薄になるんです。(国家の危機 p284)
物象化論は、中流的発想であったのか?
伊藤誠先生や池上彰氏、そして、古賀茂明氏のファーラム4の経済成長幻想、経済大国賛歌としての視点。
更に、安倍自民党が進める金融緩和に子供だましの高度成長時代模倣政策。
植草一秀氏は、それをやはり、批判的にブログを更新している。
安倍政権は政府保有米国債売却を決断せよ
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-c62c.html
安倍首相は自己利益のために国益を売り渡すのか
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-0fee.html
ちなみに植草一秀氏は、現行の6大問題として
原発、
憲法、
TPP
消費税、
基地、
格差
を上げており、ちきゅう座においても時事的にも原理論的にもこの問題点の広報として一致している。
佐藤 廣松さんは、アジアというより、やはりスターリニズムへ回帰したのだと思うんですね。国家社会主義的なものと、彼自身が体験した軍国少年的なものとが、奇妙な形で回帰を遂げたと思います。
人間というのは、命が短くなって持ち時間が短くなると、やはり本音が出てくるんだろうなと、最後の五年ぐらいの廣松さんの作業を見て思いますね。(国家の危機 2010年 P285)
マルクスの思想の骨格を再構成し、今、整合性を持つもの、その道筋はどれであるのかを見極めなくてはならない。
水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』を読む
https://chikyuza.net/archives/46559
まだ、20世紀は、終わっていない。
長すぎるのは、21世紀ではなく、20世紀なのである。
残念、時間切れ、今回も語りたいことの承前として、押さえておくこととする。
日本共産党の「赤旗祭り」そして、「マルクス祭り」的な賑わいには、好感が持てます。
http://revolutio.exblog.jp/21734102/
あと一歩、歩み出て、体制的な大本営メディアではなく、ちきゅう座×植草一秀広報としての情報視点を確固たるものとして対自させていきたいものである。
(さて、25日は、こちらがありますが、社会理論学会は、年会費がかかるのでしょうか?わかりづらい案内になっています。)
社会理論学会第109回月例研究会(2015年4月研究会)(2015年4月25日(土) 14:00~17:00 、13:10より編集委員会・理事会)