1992年頃,「生活科」が小学校に導入された。続いて2002年以前から総合学習が実践され,失敗したという研究結果が出ないままに「ゆとり教育」元年=2002年から本格実施となった。
総合学習は教科ではないという触れ込みだったが,教える以上「評価」が必要だという考えを押し付けられ,現場の先生方は評価せざるを得なくなった。今や道徳が教科となった以上,評価が入るのはその流れを汲む。
また,その当時の新要領では教える方法つまり教師の教育方法まで規定されるようになり,違法性が問われたが自民・創価学会多数政権では手の打ちようがなかった。
一方,中学校では非正規社員になるための訓練つまり職場体験学習が始まった。
他方,総合学習は小中学校における「討論」の場の訓練であった。いわゆる議論することによって教科の理解が深まる。教科の中身は問わない。
しかし学習内容は3割削減され,NYが何処にあるのかもわからない生徒が大量に出始めた。漢字が書けない,分数の計算ができない大学生の登場は当時の世論を沸かした。そういう学習指導要領を造ったのは寺脇研審議官であった。
世界は総合学習をすでに止めていたが,これをやっているのは日本と加州だけである。そこで日本会議の方針通り,道徳が教科化されるのは時間の問題であり,2018年にそれが実現した。前川喜平氏は下村大臣に反対の意を表したが押し切られたという。
道徳が教科化されれば評価が入るのは総合学習と同じである。そしてその裏返しは,系統的学習の軽視である。
従来の教科学習の理論はJ.S.ブル-ナのスパイラル方式である。それがゆとり教育で姿を消した後その失敗で復活した。しかし米国に学んだ文部官僚は総合学習が忘れられず,「アクティヴ・ラ-ニング」と名前を変えて議論に重点を置く学習法を復活させた。その理論はシカゴ大学付属小で実験したJ.H.デュ-イの生活単元学習に由来する。
しかしデュ-イは「知的な訓練を十分受けた学生」にとって彼の理論が有効だとしたのであって,系統的な知識が不十分な生徒にアクティブ・ラ-ニングALが有効であるとは言わなかった。
しかもALはアルファベットという表音文字を利用する生徒に有効かもしれないが,表意文字の漢字を使う我が国の生徒に有効であるという研究結果はない。それにも拘らず,本年から実施しようとするのであるから強引すぎる。高校現場の憂慮は理解できる。旧基本法に戻すことが期待される。