本日(20日)付の朝日新聞朝刊のスクープ記事です。
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「東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。」
「撤退した人員の中には、東京電力の内規で過酷事故時に原子炉の運転や制御を支援する役回りの「GM=グループマネジャー」と呼ばれる部課長級の職員もいた。」
「吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ。その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか。」
「現実を直視した議論はほとんど行われていない。自治体は何を信用して避難計画を作れば良いのか。その問いに答えを出さないまま、原発を再稼働して良いはずはない。」
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東京電力のみならず、原発・原子力を推進する人間たちの本性が赤裸々に出ているように感じられます。日本の原発・核燃料施設は、アジア太平洋戦争前の軍部・戦争と同様に「総無責任体制」で進められていることをしっかりと認識しておく必要があると言えそうです(民間人を放置して真っ先に逃げて行った満州・関東軍の話は有名です)。既に、原子力安全保安院や政治家(民主党)ら、国(東京・霞が関)から原発事故時に福島県にやってきた連中もまた、危機に陥った現場を捨てて、同じ頃(3/15)に福島市に逃げて行ったことが明らかになっています。同じ穴のムジナたちの行動だと思えば、うなずけるでしょう。
この「吉田調書」のことで申し上げれば、当の当事者の東京電力が、こうしたことが起きていたことをひた隠しに隠し、3年間もそ知らぬふりをしていたことが大問題であり、また、それを朝日新聞がすっぱ抜くまで、涼しい顔をして柏崎刈羽原発の再稼働に邁進しているわけで、つまりは、柏崎刈羽原発でも、同じことが起きれば、彼らは同じように行動することを意味しているのです。新潟県民をはじめ、柏崎刈羽原発周辺の住民は、何も知らされることなく猛烈な被ばくをさせられながら取り残されることになるでしょう。この東京電力という会社は、絶対に解体しなければいけない「無責任の固まり」のような組織です。
(確か清水正孝東京電力元社長は、自分たちから福島第1原発からの撤退を菅直人総理に申し入れしたことはない、などと発言していたようだったし、だいぶ前に公表された東京電力のテレビ会議録画では、この3/15頃の吉田元所長の音声がなく、東京電力は、この場面を「録音していなかった」などと説明していた。これらはひょっとすると、全部ウソだったのかもしれない)
そして、この隠ぺい行為には、調査を行った政府事故調も加担し、記事によれば「政府事故調は報告書に一部を紹介するだけで、多くの重要な事実を公表しなかった。中でも重要な、「9割の所員が待機命令に違反して撤退した」という事実も伏せられた」のだそうです。政府事故調については、以前から国会事故調と比較して、その信頼性に疑義があると感じていましたが、やはりそうだったのか、の印象はぬぐえません。更に朝日新聞の記事には、「吉田調書」にはこれ以外にも国や東京電力が隠している多くのことが含まれ、反省材料が凝縮されており、国は原発再稼働を急ぐ前に、政府事故調が集めた全ての資料を公表し、「福島の教訓」を安全対策や避難計画にいかすべきだ、と書かれています。全くその通りでしょう。
なお、そもそも論で言えば、今回の福島第1原発事故の際のように、原発が危機的状態に陥り、現場の作業員の生命にかかわるような事態になった時でも、死や取り返しがつかない重症を覚悟の上で、現場の作業員にその過酷事故対策にあたらせるようなことが果たして許されるのか、また、こうした「命がけの特攻作業」を前提にしてまで、何故に「たかが電気のために」原発・核燃料施設を稼働し続けなければならないのか、全く理解できないことです。
原発・核燃料施設は「さっさとやめる」こと、それ以外に選択肢はないのです。原発をやめれば「命がけの電力」など必要なくなります。
下記URLも合わせてご覧ください。
● 福島原発事故「吉田調書」を入手 吉田所長の指揮克明に:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG5M5JFMG5MUEHF01D.html?iref=comtop_6_01
(一部抜粋)
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朝日新聞は、震災時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が原発事故について政府事故調査・検証委員会の調べに対して語った「吉田調書」を入手した。2013年7月に死去した吉田氏と、聴取を主導した検事ら事故調委員とのやりとりが四百数十ページにわたり記されている。文字数にするとおよそ50万字だ。
朝日新聞は吉田調書でわかった新事実を20日付朝刊で報じる予定だ。朝日新聞デジタルでは特集ページを立ち上げ、9回にわたり詳しく伝える。特集ページのURLは次の通り。
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●吉田調書 – 特集・連載:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/special/yoshida_report/
<別添PDFファイル>
(1)政府事故調「吉田調書」:所長命令に違反し原発撤退(1)(朝日 2014.5.20)
(2)政府事故調「吉田調書」:所長命令に違反し原発撤退(2)(朝日 2014.5.20)
(3)全電源喪失の記憶:(菅直人首相は)「来るべきじゃない」(福島民報 2014.4.15)
((1)~一部抜粋)
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東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。
その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。
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<追>「(3)全電源喪失の記憶:(菅直人首相は)「来るべきじゃない」(福島民報 2014.4.15)」の記事について
●全電源喪失の記憶 証言 福島第1原発 第2章 一号機爆発(1) – 子どもたちの未来へ 《 脱原発と国際協力 》
http://blog.goo.ne.jp/tanutanu9887/e/eebb924c7d8e23a1efcd7827bc9861d8
(上記「吉田調書」に関連して)事故から3年がたって、いろいろなことが明らかになっているにもかかわらず、未だにかような的外れ・ピンボケの「菅直人元首相バッシング」記事が、こともあろうに福島県の地元新聞に載るということは、いささかあきれる思いである。
私は菅直人元首相に対しては、非常に厳しい態度をとっていて、現在の日本の多くの不幸の(直接の)始まりは菅直人元首相にあると思っている。消費税増税しかり、TPPしかりである。とりわけ福島第1原発後の後始末=事故後対策の非人道性(被害者放置・切り捨て)や東京電力・原子力ムラ温存、あるいはそこから必然的に導かれる原発再稼働・原子力再推進の伏線を最初から敷いておいた、その基本姿勢は、全く許しがたいことであると思っている(例:ストレステスト)。しかし、そのことと、菅直人元首相が、事故直後において、この原発事故を何とか大事に至らぬように全力で押しとどめようとした、その姿勢だけは評価してもいいのではないかと思っている。
菅直人元首相が、事故後間もなく、てんやわんや状態の福島第1原発の現場へ出かけて行ったのもその一環で、要は、そうしなければ、当事者の東京電力をはじめ、原子力安全保安院や原子力安全委員会、あるいは経済産業省・文部科学省などなど、事故現場からも、担当官庁からも、どこからも首相官邸にまともな信頼に足る情報が入ってこず、いったい何がどうなっているのか、まったく見当もつかなかったからである。責められるべきは菅直人元首相ではなく、菅直人元首相や総理官邸に、しっかりとした情報をタイムリーに提供をしなかった、あるいは適切な対応策を適時にアドバイスしなかった周辺のガラクタ人士たちである(何故、例えば原子力安全保安院長や原子力安全委員長らは、その罪を問われていないのか?
例えば原子力安全保安院長などは、私は文系の人間です、などと言って、総理官邸から早々に立ち去ってしまったというではないか、なんでそんな人間が割増退職金をもらい、天下りまでして、何の責任も問われることなく今を過ごしているのか)。
しかし、この記事には、そうした霞が関・日本政府中枢における(お寒いばかりの)危機管理体制の根本的な欠落状態・欠陥状態・無責任状態のことについては、一言も触れられていない。今頃になって、逃げ出した張本人の一人の池田元久(民主党:当時は経済産業副大臣)に、後講釈とも言えそうなコメントをさせている程度の記事であり、すべては菅直人元首相の責任であったかのごとき書きぶりである(池田はその後、病院に入院して福島現地での職務を離れてしまっている)。何を馬鹿なことを書いているのかという印象だ。つまり、ピンボケ記事も甚だしいということである。
そして大事なことは、上記で申し上げた東京電力の無責任体制と歩調を合わせ、日本政府・政治家・霞が関官僚たちには、だれも責任をとる者はいないという、大日本帝国時代からの「総無責任体制」が、今もなお、危機管理体制のお粗末を含めて、続いているのだということである。このボケた新聞記事が、いみじくも、その「無責任体制」の「健在ぶり」を暗示していると言えなくもないのである(「マスごみ」もまた。この無責任体制の一角を形成しているからだ)。