11月11日(金)午前9時55分開廷 東京地裁103号での法廷傍聴を

著者: 澤藤統一郎 さわふじとういちろう : 弁護士
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来週の金曜日(11月11日)午前9時55分から午後4時30分まで、東京「君が代」裁判(第4次処分取消請求訴訟)の原告本人尋問が行われる。傍聴席数は98席。満席になるまで、何の手続もなくどなたでも入廷して傍聴が可能だ。きっと、感動的な法廷となる。いま、この社会で、東京の教育現場で起こっている現実が語られる。貴重な体験となると思う。

とりわけ、「日の丸・君が代強制」がもつ憲法問題に関心のある方、思想・良心の自由に関心のある方、信教の自由に関心のある方、そして公権力の支配から教育は独立していなければならないとお考えの方。それだけでなく、どうも今の世の中の動きが戦前と似てきたのではないか。時代の主権者を育てる教育の現場はどうなっているのだろうと危惧をお持ちの皆さま方、是非法廷に足を運んでいただきたい。

10・23通達関連の訴訟は数多いが、そのメインとなっているのが、起立斉唱命令違反による懲戒処分取消を求める「東京『君が代』裁判」。172名の1次訴訟から始まって、現在一審東京地裁民事第11部に係属しているのが4次訴訟。

2010年から2013年までの間に、17名に対して懲戒処分22件が発せられた。その内の14名が原告となって、19件の処分取消を求めている。なお、処分内容の内訳は、「戒告」12件、「減給1月」4件、「減給6月」2件、「停職6月」1件である。

前回(10月14日)の原告7名の尋問に続いて、今回は6名の原告が証言する。午前中に2名、午後4名の予定。いずれも卒業式・入学式における国歌斉唱時に起立斉唱しなかったとして、懲戒処分になった教員の方々。どうして起立できないのか、しなかったのか。起立斉唱は、自分の思想や教員としての良心にどのように抵触することになるのか。起立することの心の痛み。そして、起立しないことによる具体的な不利益の数々。

多くの教員が、真摯に教員としての職責を全うしようとの姿勢を貫こうとし、それゆえに日の丸・君が代強制を受け入れがたいという。

いうまでもなく、学校の主人公は生徒である。主人公たる生徒の権利を全うするために、教育を行う専門職としての教員がいて、教育行政が教育条件整備の義務を負う。ところが、公立校の卒業式を見れば視覚的に明らかとなる。学校の主人公とは、実は「日の丸・君が代が象徴する国家」なのだ。式典に参列する誰もが「日の丸」に敬礼する。国歌斉唱時には、全員が起立して「君が代」を斉唱しなければならない。

心ある教員は、唯々諾々とこれを受け容れることが出来ない。このハタ、このウタは、かつては神権天皇制政府のシンボルであり、侵略戦争と植民地支配のシンボルでもあった。それはとりもなおさず、忠良なる臣民を育成する軍国主義教育のシンボルではないか。これに敬意を表することを強制する教育に加担することはできない。教育者としてのあり方を真摯に追及すれば、「40秒間だけ黙って我慢してやり過ごせばよい」とは考えることができない。このような都教委のやり方や、全国的なの教育統制の流れに異議を申し立て、できればそのような流れを押しとどめたい。こうして、処分覚悟で不起立という教員が少なからず存在するのだ。

注目すべきは、この日(11月11日)証言予定の原告6名のうち、2人が信仰者(いずれもキリスト教徒)であることだ。信仰者であることを公表し、起立できない理由として自らの信仰との抵触を挙げている。

我が国の支配者は、踏み絵(正確には絵踏み)という禍々しい宗教弾圧の手法を発明したことで、世界に名高い。キリスト教徒をあぶり出すために、信仰者にとっての聖なる絵を踏めと命じるのだ。「踏み絵」を前に信仰者は悩むことになる。「聖なる絵を踏むことは、信仰者としてあるまじき恥ずべきこと」。しかし「信仰を貫いて、聖なる絵を踏むことを拒否すれば、拷問による死を覚悟しなければならない」。「棄教か、死か」という、いずれにしても受け入れがたい結果をもたらすものが、踏み絵であった。

私は、「10・23通達」による「日の丸・君が代強制」は、現代の踏み絵だとの思いを強くしている。信仰者にとって、国家神道のシンボルであった日の丸・君が代への敬意表明のために、「起立斉唱することは、信仰者としてあってはならない恥ずべきこと」なのだ。しかし「信仰を貫いて、起立斉唱を拒否すれば、懲戒処分や生涯賃金の減額を覚悟しなければならない」。どちらも、「信仰を貫くために高い代償を甘受しなければならない」という点で共通している。

「思想・良心の自由についての保障」や、「教員としての責務」は、なかなか理解に難しいが、宗教弾圧は、極めてわかりやすい。東京オリンピックを機に日本を訪問する外国人観光客が年間2000万人のペースだという。この人たちにも、訴えやすい。「東京は信仰の自由を認めない野蛮都市」であると。

法廷終了後に、下記の報告集会も用意されている。こちらにも是非参加されたい。
東京弁護士会 5階 502EF
名称:東京「君が代」裁判報告集会
(2016年11月4日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.11.04より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=7661

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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