323号の「たより」に、「定例デモ574回」の記事。

著者: 澤藤統一郎 さわふじとういちろう : 弁護士
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(2021年10月7日)
 「非核市民宣言運動・ヨコスカ」という運動体がある。その月刊の機関誌が「たより」という。堂々20ページの立派なもの。最近号が、「たより323」である。ほぼ30年続いているということだ。

 その「あとがき」にこう書いてある。「求む!定期購読」「『たより』を定期購読しませんか?」「格調高い論文はありませんが、運動する人の息づかいを伝えようとするニュースです。」「年間購読は郵送料込みで2000円。毎月発行の24頁。ぜひお読みください。」
非核市民宣言運動・ヨコスカ
横須賀市本町3-14 山本ビル2F
046-825-0157 FAXも同じです。
ホームページは以下のとおり。
http://itsuharu-world.la.coocan.jp/
なお、この「たより」の巻末に、主宰者の新倉裕史さんが、逗子の『無言のデモ』への参加の記事を書いている。このデモの雰囲気が、文句なく素晴らしいと思う。なお、21年8月8日のことだそうだ。添えられた写真には『米軍基地撤去・池子の森全面返還を』の横断幕が写っている。

「30数年ぶりに参加した逗子『無言のデモ』は

なんと574回目だった」

 篠田健三さんから、「今月のデモは2人だった」と聞いたとき、反射的に「来月必ず行きます」と言ってしまった。その時の篠田さんの返事が、今も忘れられない。
 「いいよ、来なくて(笑)。2人だから目立つんだから…」。
 当時横須賀の月例デモはひと桁が続いていて、「2人」は人ごとではなかった。だからの「必ず行きます」。篠田さんの「来なくていいよ」に、うなった。

 その逗子の「無言のデモ」に、30年ぶり(いや35年ぶりか)に参加した。玉栄さんのインタビューで、「無言のデモ」が今も続いていることを知り、台風の大雨の中、JR逗子駅に向かった。
11時集合。駅前にそれらしき人。近づくと「逗子定例デモ574回」のプラカード。やがて玉栄さんも加わり総勢6名。
11時15分、出発直前に警官2名が駆けつけて、「無言のデモ」は県道42号を東逗子まで南下する。

 2人の警官は「無言のデモ」の前と後についた。
 県道24号線は一車線だから、6人を追い抜く車は、上り車線に膨らんで追い抜く。6人の後に複数の車が並ぶと、後方の警官が、20mほど前を行く警官に、通過させる台数と車のナンバーを無線で伝える。前方の警官が上りの車を止めると、後方の警官は「規制解除」と言いながら、後ろに並んだ車に、6人を追い越すように指示する。  たった2人で、上下線の車をさばきながら、車道のデモを確保する手際の良さから、デモヘの「敬意」が伝わってくる。
 「たいへんですね」
 6人のすぐ後方についた警官に声をかける。
 「ええ、雨の日はとくに気を使います」
 春からデモ警備の担当になったという警官は、話しながらも警棒を振り、後続の車に指示を出し続ける。

 デモコースの途中に京急逗子線の踏切があって、赤い列車が6人の前を走る。
 京急は毎年沿線写真を募集している。応募作品はどれも独自のアングルを探し出し、京急線の魅力を表現する。
 「デモと京急」
は、まだ誰も作品化していないぞ、と思いながらシャッターを切る  「無言のデモ」は随分早足だった。途中で1人が合流して7人どなり、ほぽ30分で東逗子駅に到着した。
 「今日は雨だから、ちょっと早足になりました。いつもはもっとゆっくりです」と聞いて安心する(笑)。
 デモが終了すると、双方から「ありがとうございました」。
 いつものことらしい。一緒に歩いた私も同じ気持ちだ。
 解敵地でお話を聞く。
 「ひとり、という時はありましたが、中止したことは一度もありません」 「コロナでも逗子署と相談して、無言だし、参加者も少ないから、まあいいでしょうということで、休みなしでずっと続けています」
 スタート時から参加されている方はいらっしやいますか。
 「いません」
 デモ申請を担当されている方は、「僕は中学生でした」。

 コロナ禍でも、「無言」と「少人数」が思わぬ力を発揮した。
スタート時のひとが「いない」と伺って、考えた。それって、スタート時のひとがいなくてもデモは続く、ということだよね。ずぶ濡れになったが、心は充分に温まる、「無言のデモ」だった。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.10.7より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=17707
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11366:211008〕