5月1日(May Day) ラプソディー

韓国通信 NO599

1966年5月1日は日曜日だった。その日は就職してから1カ月たった5月1日、日曜日だったので「ひとり」でメーデーに参加した。まだ見習社員、もちろん労働組合員でもなかった。
なんとなく銀行に就職した。山陽特殊鋼をはじめ大手企業が続々と倒産する就職難の時期、やむなく選んだ職場だった。
退職するまでの30年間、毎年のようにメーデーに参加した。月初1日は忙しい職場なので、上司から嫌味をいわれながら参加し続けた。
「労働者の祭典」などといわれ、弁当を食べ、ビールを飲み、皆で歌った。天気はいつも快晴だったような気がするが。「晴れた五月の青空に~♫」というメーデー歌のせいかも知れない。それでも30年前までは、東京・代々木の中央集会には7~8万人の労働者が集まり、熱気と解放感に溢れていた。解雇された労働者、争議組合の労働者、他の金融の友人たちと一緒だった。

久しぶりにメーデーに出かけた。代々木公園で開かれた第90回中央メーデーである。原宿駅は身動きがとれないほどの混雑ぶり。若者の大半は竹下通り、表参道方面へ流れていった。多くの組合旗と腕章姿が懐かしかった。昔もそうだったが、演壇の挨拶に耳を傾ける人はあまりいない。日本共産党の志位委員長の挨拶に拍手が起きたくらい。連合と一線を画す全労連のメーデーである。人数が少ないなりに、勢いと緊張感のある集会を想像したが、少し物足りなかった。

労働運動についてはまた別の機会に譲るとして、第90回中央メーデーのスローガンは「9条改憲反対! 辺野古基地建設阻止! 安倍政権は退陣を! 」、さらに、「なくせ貧国・格差、8時間働ければ暮らせる社会を! 外国人労働者との連帯・共生を! 原発ゼロ社会の実現を! 」だった。
 おそらく参加した人たち、私も含めて誰もが納得する最低限のスローガンに違いない。参加人数は2万人を少し上回るほどだったといわれるが、その日、好対照だったのは新天皇即位、新年号の最初の日だったこと。テレビは他に話題がないかと思われるほどにバカ騒ぎ、嬌態を演じた。
 新元号の発表以来このかた、メーデーのスローガンを口にするような人間はまるで「非国民」と言わんばかりの、現実の「塗り替え」が全国規模で行われた。
 渋谷を行進するデモの数倍、数十倍に匹敵する若者たちよ。君たちはそれほどにも新天皇即位が嬉しいのか。令和という年号に夢を託せるのか。君たちが口にしているソフトクリームから幸せがやって来るのか。生涯、非正規雇用者として働き、貧困と格差に怒りもせず、安倍首相以外に「適当な人がいない」と、戦争の準備をするアブナイ首相を支持し続けるのか。渋谷のスクランブル交差点から見える大スクリーンに映し出される天皇徳仁と妃の雅子の姿に歓声を上げ、新聞号外を嬉々として受け取る姿は、本当の君たちなのか。
たったひとりの人間を「象徴」として崇めることに異存はないのか。首相が天皇交代劇のプロデューサーのようにふるまうのは可笑しいと思わないか。テレビはこぞってメーデーを無視した。NHKは公平な公共放送と君たちは今でも信じているのか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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