<映画評> 心の目と心の景色 ―『太陽はぼくの瞳』をみて

著者: 鈴木正 すずきただし : 名古屋経済大学名誉教授
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*この映画評はかなり前に書かれたものであるが、今日の「原発震災」と考え合わせて大変興味深いと思い掲載しました。(編集部)

1 モハマドの物語

近ごろはストレス解消のため通俗映画をよくみる。若いころは反戦平和を主題としたも、もう少し広くとってもヒューマニスティックな作品を好んでみたのだが、その反対の傾向がでてきた。ポスターの写真とキャッチフレーズで、これにしようかといった選択である。たまには映画評を読んでみにゆくこともあるが、あまり多くない。

ここでとりあげる『太陽はぼくの瞳』(一九九九年)は友人にすすめられ、みにいって感動した。いい映画をみたあとの気分は、聞かせる話のあと会場を出るときと同じで、思わぬ収穫をした充実感がある。この作品はイラン映画である。アメリカ映画が圧倒的に世界の映画市場を支配しているとき、イラン映画をみるのは、戦後に東宝・東映・日活・松竹などの五社が支配していた時代に独立プロの作品をみにいったのと似た期待がふとよぎった。

『人権と教育』にエッセーを書こうと思ったのは、映画の主人公が盲目の少年だからである。ストーリーをアミューズビデオ映画配給部発行のパンフレットによって紹介しよう。

モハマドはテヘランの盲学校に通う八歳の少年。母は五年前に他界し、今は全寮制の学校に入っている。夏休みに入る日、子供たちは家族の出迎えを待っていた。親と再会を喜ぶ生徒たち。だが父の姿は見当たらない。待つあいだに彼は木の上から落ちた鳥の雛を手でさぐり、そっと巣に戻してやる。太陽の光を感じながら、自然と向かい合うとき、彼の心は癒されていた。やっと父親がやってくるが家では世話ができないので休暇中も学校であずかってほしいとたのむが聞き容れられず、二人はバスで、生まれ故郷の小さな村へ帰ってゆく。モハマドは手をバスの外にかざし、風の感触で神の存在を感じる。そんな息子を父親は複雑な表情でみつめる。家で待っていたのは優しい祖母や姉妹(この二人はおどけなさと高貴な美しさが顔にでている)の歓迎だった。雄大な自然に囲まれ田園の広がる村。そこでモハマドは太陽の光のもとで美しく咲き誇る花や緑を心のなかで感じとることができた。祖母は彼にきちんとした学校教育を受けさせたいと望んでいたが、父は意中の女性との再婚を考え、またモハマドの将来をそれなりに気にして、大工のところへ修行に無理やり連れていく。本当は目の不自由な人間こそがもっとも神に愛されていると教えられたモハマドだったが、今ではそんな考えも揺らぎ始めた。しかし、彼と同じように目の不自由な大工は彼をそっとなぐさめる。雨の日にモハマドを家に連れ戻そうとした祖母もやがて体調を崩して遂に帰らぬ人となる。死人の出たことを気にする婚約者の家族は父の再婚話を断ってきた。八方ふさがりになって苦悩する父は結局モハマドを家に連れて帰る決心を

する。霧の深い森を通り、モハマドを馬に乗せて帰宅する途中、川は大雨で水かさが増し、川上の木橋を渡ろうとしたとき、馬の足元が揺れた。橋が一瞬にして崩れ、モハマドは激流の中に飲み込まれる。それをみた父の胸にはためらいが浮かぶが、やがて息子の名を呼びながら川の中に飛びこむ。水の流れはいっそう激しくなり、ふたりの姿は見えなくなった。

2 「復活」に似た魂の経験

もし、この映画が盲目の少年を家族みんなで助けあう美徳の物語なら、私はペンを執ろうとは思わなかったろう。新しい妻との結婚を夢見る貧しい炭焼きの父が、母の死後、相手方の家族に金品を積んだ婚約を破棄され、絶望のなかでとった一瞬のためらい。それが引きおこす最後の衝撃的なクライマックス。その場面をみていて、人間の弱さ・みにくさ ・愚劣さを直感させられながら、同時におぼれ死なず、かすかに息をする息子をみつけ、「復活」に似た魂の経験を共有し共感させられる。これはおそろしくシンプルなことだろうが、マクシムーゴーリキーのいった「人間はそのあらゆる見ぐるしさにもかかわらず、地上最高のものだ」とみる人間観が否定できそうな気がする。

日本やアメリカといった科学技術の先進文明国では、もはや人間の手で社会全体をコン

トロールできなくなっている。人類は滅亡する。少なくとも先進国の住民のほうから死滅

するだろうという予言をほぼ信じながらも、なお人間に希望をつなぎたい。この希望は不

遇な父親の複雑で陰影のあと心理とモハマドの目が不自由でも、その残る感覚を通じて太陽の光や草花の色香を感じる能力とが明暗互に交錯する形が救いにつながっていて観客の心を癒してくれる。

3 どちらが精神的に貧困か

少年は風を通じて神の存在を感じるのだか、それも通り一遍ではない。“どうして神が見えないの”といって、全能の神をいぶかる彼に、たしか同じ目の不自由な大工が。“見えないのは神は姿かたちがないからだ”と諭される。モハマドの心景は彼の心の目がとらえたもので、それは私=健常者の目でみて判っている断片的知識よりも、全体性を失っておらず、素朴で微妙にそれを保っているのではないか。

もう一つ逆説的なことをいえば、自由について健常者は盲人に比して何十倍も持っているはずである。だが私たちのほうが精神的に貧困なのは、どうしてか。

アメリカに支援されたパーレビ王朝の「近代化路線」が専制と腐敗でゆきづまり、それを打倒したイラン革命の世界史的意義は絶大である。しかし西欧的な尺度による進歩と自由とは異質で、そのため革命後は西欧的モラルや性描写にはきびしい規制が加えられた。このような社会的事情は一面、自由な映画づくりをさまたげている。そのせいだろうか、作り手たちは検閲で問題になることの少ない子ども映画のほうに力を注ぐことになる。これは検閲による一つの反作用だろう。そしてアミール・ナデリ監督の「駆ける少年」(一九六六年)ヤマジット・マシディ監督のつくった「運動靴と赤い金魚」(一九九七年)に続く、この映画が前作に続いてモントリオール映画祭で、異例のグランプリを二度受賞するような名画を生んだのである。

こうしたことに思いをめぐらせていると、 「障害者の教育権を実現する会」の主要メンバーのあいだで持続してきたテーマの一つである弁証法における自由と制限、開放と束縛の相互作用が生みだす、一筋縄ではとらえられない矛盾の生態を目のあたりにすることができるのである。

おしまいにいいたいのは、ビデオ(イラン映画だからあるかな?)でも、放映したらテレビでも、再上映したら映画館でもいいからみてほしい。

この一言である。

「人権と教育」第321号より著者の許可を得て転載

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

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