株価の乱高下が著しい、この数日、証券会社や銀行のアナリストたち、ものものしいカタカナの肩書を持った人たち、「緊張感をもって注視する」としか言いようがないのだったら、そのデータと経過を語るべきだろう。しかし、首相や財務相、日銀総裁が「緊張感をもって注視する」とだけ言っていて足りるのだろうか。
経済人も含めて、賃上げができた、ボーナスが上がったと経済政策が実ったかのような発言は、大手企業だけの話ではないか。その大手企業が、もう毎日のように、安全基準を満たさない車だったり、製品だったり、情報の大量漏れ、セクハラ・パワハラだったり、不祥事というより「犯罪行為」がつぎつぎに発覚しているのに、ほとんど安泰なのはどうしてか。
政治家や各省庁、自治体などでも、言うに及ばず、「犯罪行為」が“発覚”してから慌てて<緊張感をもって注視する><説明責任を問う>と言ってしまえば何をしなくても凌いでいる。当事者であれば、早々<謝罪>して、<今の職務を全うしなければ>と開き直る。「あんな人たち」があっちにもこっちにもいるではないか。
私たちは、毎日の暮らしの中で「緊張感をもって注視」してばかりいられないのである。
一時の不安は嘘のように、わが家の<畑>からは、毎日とは言えないけれど、一日置きくらいに、収穫できるようになりました。大いに助かっています。
初出:「内野光子のブログ」2024.8.7より許可を得て転載
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