3月18日(水)に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審判決。一審判決も立派な内容だったが、控訴審判決はさらに素晴らしいものとなった。これを不服としたDHC・吉田嘉明は、上訴期限最終日の4月1日(水)に、最高裁宛の上告状兼上告受理申立書を原審裁判所(東京高裁)に提出した。
4月7日(火)、東京高裁第5民事部から私宛に、上告提起通知書・上告受理申立通知書の特別送達があった。5月28日が、上告理由書・上告受理申立理由書の提出期限となる。
DHC・吉田嘉明が不服とする控訴審判決の主文は、「(DHC・吉田嘉明両名は連帯して、澤藤に対して)165万円を支払え」とするだけの素っ気ないものであるが、その判決理由において、DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法を一審以上に明確に認めている点で、私にとって極めて満足度の高いものとなっている。
言うまでもないことだが、『スラップ訴訟の提起を受けて被告の立場で闘って請求棄却の勝訴判決を得ること』と、『スラップを違法と主張してスラップの張本人に提起者に損害賠償請求の『反撃』訴訟を提起して勝訴判決を得ること』とは、ハードルの高さが決定的に異なる。
スラップをかけられれば、売られたケンカとして受けて立たざるを得ない。しかし、圧倒的にハードルの高い『反撃』訴訟を提起することは、誰もが躊躇せざるを得ない。その躊躇の原因は、万が一にも高いハードルを乗り越えられないときのデメリットの影響を慮ってのことである。さらに、その背景には現在の裁判所への不信感がある。判例の傾向が決して表現の自由という民主主義社会の根幹をなす大原則の擁護に親和的とは思えないのである。
私の場合も、『DHCスラップ訴訟』の判決が勝訴として確定したあと、直ちにDHC・吉田嘉明に対する『反撃訴訟』を提起したわけではない。いずれ時効完成までにはと思いつつも、再度煩わしい訴訟の提起には躊躇もあった。DHC・吉田嘉明の方から、債務不存在確認訴訟の提起があって、2度目の「売られたケンカ」を買わざるを得ない立場となり、結果として満足すべき一審判決を得るに至った。
そして、一審判決に満足した私は、弁護団の意見もあって、敢えて控訴を見送った。DHC・吉田嘉明にとっては、わずか110万円の給付判決。これで確定するだろうという思いも強かった。ところが、DHC・吉田嘉明は控訴した。言わば、3度目の「売られたケンカ」である。私は、附帯控訴して一審以上に満足すべき控訴審判決を得た。
以上のとおり、この極めて満足すべき控訴審判決は、半ばはDHC・吉田嘉明の提訴・控訴のお蔭で獲得に至ったものなのだ。具体的には以下のとおりである。
DHC・吉田嘉明が、私のブログを名誉毀損と決めつける理由の最たるものは、以下のとおりである。
「控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が主張する(吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円貸付の)動機は,《脱官僚,規制緩和を掲げる政治家を応援するために8億円を貸し付けた》というものであるのに対して,被控訴人(澤藤)は、貸付動機を《金儲けのためだと断定している》ことが名誉毀損である。」
この8億円という巨額の裏金(政治資金収支報告書にも、選挙運動収支報告書にも未記載)の貸付動機についての私のブログでの記載が、DHC・吉田嘉明のいう「名誉毀損」言論であった。私はこう言ったのだ。6年前のブログの一部をそのまま抜粋する。
吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。
DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。
選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。
この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。
DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。(2014年3月31日)
この点を反撃訴訟の控訴審・秋吉判決は、こう判断している。
「控訴人吉田自身が,
平成20年3月27日付け日本流通産業新聞への特別寄稿において,控訴人会社の創業以来成長のー途をたどってきた健康食品市場の停滞につき指摘し,その主要な原因が厚労省による監視の強化にある旨を述べた上で,その解決のため,健康食品に関する議員立法を目指す国会議員の動きにつき「先生方には藁にもすがりたい思いである」として,立法による解決を期待する旨の意見を表明していたこと,
本件手記において,控訴人会社の主務官庁(厚労省)による規制が煩わしいものであったことを述べ,官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革であり,それを託せる人こそが私の求める政治家であると述べて,脱官僚を主張し,行政改革に取り組む渡辺議員と意気投合し,その選挙資金融資の依頼に応じて8億円を貸し付けたこと,
その後渡辺議員と決別したが,その志を援助するために行った貸付の意義についてもう一度彼自身に問うてみたいと記載していたことに照らせば,
本件貸付の動機,目的は,窮極的には規制緩和を通じて控訴人会社(DHC)の利益を図るものと推認できるのであって,仮に本件各記述が本件貸付の動機についての事実を摘示したものであったとしても,これが真実に反するということはできない。(中略)
前示のとおり,被控訴人(澤藤)の本件各記述が,いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること,
それにも関わらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し,その請求額が,当初合計2000万円,本件ブログ4掲載後は,請求額が拡張され,合計6000万円と,通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと,
控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば,その内容からして,本件各記述のような意見,論評,批判が多数出るであろうことは,控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ(なお,前件訴訟の提訴前に,控訴人らの相談に当たった弁護士から,本件貸付が規制緩和目的のためなのか,私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。),控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,それに対し,言論という方法で対抗せず,直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること,
ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し,判決に至ったものは,いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては,控訴人らの損害賠償請求が認応られずに確定していることからすれば,
前件訴訟(DHCスラップ訴訟)等の提起前に控訴人会社(DHC)の担当者と弁護士との間で訴訟提起等に関する相談がされたこと等を考慮しても,前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり,不法行為と捉えたとしても,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すぺきである。
したがって,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は,請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに,あえて訴えを提起する,などしたものとして,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ,被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。
まことに胸のすく判決理由の説示である。これなら、スラップ訴訟を提起された言論人は、勇気をもってスラップ訴訟の提起者に対して、反撃訴訟を提起できるではないか。私は、素晴らしい判決であると思う。DHC・吉田嘉明は、あらためてこの判決をよく噛みしめて、自分のしたことの誤りを反省しなければならない。
(2020年4月10日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.4.10より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=14649
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9634:200411〕