(2021年1月24日)
DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟についての経過と勝訴判決確定の意義について、まとめておきたい。
◆ スラップとは何か
スラップは、法社会学的な現象に付された用語であって、法的に厳密な定義があるわけではない。常識的に理解されているところでは、「特定の表現を封殺する目的で提起される民事訴訟」を指す。封殺目的の「表現」の多くは言論だが、個人の行為や集団行動を対象とすることもある。訴訟提起を嫌っての報復的スラップも散見される。
民事訴訟本来の目的は自らの権利の実現や救済あるいは予防を求めるものであるが、スラップは、他者の表現を標的としてこれを攻撃し萎縮せしめることを目的とする。しかも、スラップの多くは、「社会的強者から」の「社会的に有益な表現に対する」攻撃である。民事訴訟の提起という手段を通じて、特定の表現者を威嚇・恫喝せしめる側面に着目して、「威嚇訴訟」「恫喝訴訟」などとも呼ばれる。典型的なスラップは、被告を威嚇・恫喝するにふさわしい、高額の損害賠償請求訴訟という形をとる。
スラップは、その意図と効果において表現の自由封殺の反社会性をもちながら、憲法上の国民の権利とされている民事訴訟提起を手段とするところに違法性判断の難しさがある。
◆ スラップの実際
攻撃の対象とされる表現の内容・態様は多岐にわたる。政治的言論であったり、市民運動における社会的発言であったり。集団的な抗議行動の場合も、労働運動上の行為であることもある。また、企業の活動を批判する消費者問題分野の言論に対する攻撃はあとをたたない。
まだスラップという言葉がなかった1996年12月、幸福の科学は山口広弁護士に、8億円の損害賠償請求訴訟を提起した。明らかに、「幸福の科学に対する元信者からの訴訟の提起はやめておけ」という恫喝の意図による提訴だった。この件は、山口弁護士側の反訴において、高額請求訴訟提起の違法性が認定されて、100万円の慰謝料が認容されている。
また、2000年代初頭に頻発したスラップ常習企業・武富士の一連の事件がある。私自身は、「武富士の闇」訴訟を担当した。多重債務問題に取り組んでいた弁護士集団が武富士の「闇」を抉りだした書物を刊行したところ、武富士は執筆者である3人の消費者問題に携わる弁護士と出版社を被告として、5500万円の損害賠償請求訴訟を提起した。この提訴に対しては、多くの消費者弁護士が弁護団を結成して訴訟実務を担当し、武富士が名誉毀損と指摘する31か所の記載のすべてについて、真実性、相当性を立証して請求を棄却させた。
しかも反訴においては、武富士の提訴を違法として、被告にされた者一人ついて120万円、計480万円の賠償が認容された。この事件では、私が弁護団長を務めたが、10年余を経て私自身がスラップの標的とされた。その事件が、DHCスラップ訴訟である。
◆ 私が経験したDHCスラップ訴訟
私は、「憲法日記」というブログを毎日書き続けている。権力や権威、社会的強者に対する批判で一貫している内容。「当たり障りのないことは書かない。当たり障りのあることだけを書く」をモットーとして、連続更新は2850日を越えた。
2014年春、そのブログにサプリメント販売大手DHCのオーナー吉田嘉明の醜行を取りあげた。彼自身が週刊新潮の手記「さらば、器量なき政治家・渡辺喜美」で暴露した、みんなの党の党首(当時)渡辺喜美に政治資金として8億円の裏金を提供した事実を、「政治を金で買おうという薄汚い行為」と手厳しく批判したもの。
そして、吉田の裏金政治資金提供の動機を「利潤追求のために行政規制の緩和を求めたもの」として消費者問題の視点から批判した。DHC・吉田嘉明がスラップ訴訟で、違法と主張したブログ記事の主要な一つが、次の記載である。
「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」
この記事が、DHCと吉田嘉明の名誉を毀損し損害賠償請求の根拠とされた。この表現がDHC・吉田嘉明の社会的評価を低下せしめるものであることは当然だが、このような批判の言論は民主主義の社会形成には有用であり不可欠なのだ。この、私の吉田嘉明批判の言論が違法として許されないことになれば、誇張ではなく民主主義は死滅する。
◆ DHCスラップ訴訟被告の実体験
突然に、生まれて初めて被告とされた。提訴時の請求慰謝料額は2000万円。私は、「黙れ」と恫喝されたと理解し、弁護士として絶対に黙ってはならないと覚悟を決めた。同じブログに、猛然と「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めた。現在第180弾余まで書き進めている。
このシリーズを書き始めたとたんにDHC・吉田嘉明側の弁護士(今村憲・二弁)から警告があり、警告を無視したところ慰謝料請求金額は6000万円に拡張された。吉田自ら提訴の動機を告白しているに等しい。
スラップの対象となった私のブログは、政治とカネをめぐっての典型的な政治的言論であり、「消費者利益擁護の行政規制を緩和・撤廃してはならない」と警告を発するもので、社会に許容される言論であるばかりではなく、民主主義社会に有益な言論にほかならない。
DHC・吉田嘉明は、同時期に自分に不都合な批判の言論を選んで、10件のスラップを提起している。最低請求金額が2000万円、最高額は2億円であった。かつては、武富士がスラップ常習企業として名高く、これを担当していたのが弘中惇一郞弁護士であった。時代を経て、武富士に代わってDHC・吉田嘉明がその座を襲い、弘中弁護士に代わって今村憲弁護士(第二東京弁護士会)が多数のスラップを担当した。
当然のことながら、このスラップ訴訟は、一審の請求棄却判決、控訴審の控訴棄却判決、そして最高裁での上告受理申立不受理決定をもって、私の勝訴で確定した。しかし、DHC・吉田側が意図した、「DHCを批判すると面倒なことになるぞ」という恫喝の社会的な影響は残されたままである。スラップを違法とする「反撃」訴訟が必要と考えた。
◆ 「反撃」訴訟一審判決に示されたスラップ違法の要件
2019年10月4日、そのDHCスラップ「反撃」訴訟で、一審勝訴の判決を得た。先行した「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、慰謝料100万円と反撃訴訟の弁護士費用10万円の賠償を命じたもの。係属裁判所は東京地裁民事1部(前澤達朗裁判長)である。
主たる争点は、スラップ提訴の違法性(ないしは過失)の有無であるところ、一審判決はこう述べている。
「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについての提訴も、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が違法行為になる」
つまり、本来憲法上の権利であるはずの提訴が違法となる場合に関する最高裁判例の判断枠組みにしたがって、当該提訴が「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合」にあたるか否かを大枠のメルクマールとしつつ、スラップ違法のより具体的な要件を、
(1) 客観的要件 当該提訴が請求の根拠を欠くこと
(2) 主観的要件 「請求の根拠を欠くことを知っていた」あるいは、「通常人であれば容易にそのことを知り得た」こと。
と整理したもので、今後の同様事例のリーディングケースとして意義のある判決例になっていると思われる。
そのうえで、同判決は110万円の損害賠償を認めた。うち100万円は慰謝料、10万円が反撃訴訟追行のための弁護士費用である。
◆ 控訴審判決が言及したスラップの違法要素
この一審判決にDHC・吉田嘉明が控訴し、私(澤藤)も附帯控訴して、控訴審が東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)に係属した。控訴審は口頭弁論1回で結審し、2020年3月18日に判決言い渡しとなった。
控訴審判決は、原判決同様の枠組みと要件でスラップの違法を認め、スラップ応訴の損害額を慰謝料100万円に応訴の弁護士費用50万円の加算を認めて、150万円に増額して認定した。「反撃」訴訟の弁護士費用15万円を加えて、認容額は165万円となった。
控訴審判決において、さらに注目すべきは、次のとおり、スラップ訴訟における違法性判断の要素を的確に認定していることである。
(1) 被控訴人(澤藤)の本件各記述が、いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められる
(2) にもかかわらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し、その請求額が、当初合計2000万円、スラップ批判ブログ掲載後には請求額が拡張され、合計6000万円と、通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであった
(3) 本件各記述のような意見、論評、批判が多数出るであろうことは、控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、それに対し、言論という方法で対抗せず、直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という手段で臨んでいる
(4) ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し、判決に至ったものは、いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては、控訴人らの損害賠償請求が棄却されて確定している
以上の諸点から、「前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり、不法行為と捉えたとしても、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。」と結論している。欣快の至りと言うほかはない。
DHC・吉田嘉明は、これを不服として、上告兼上告受理申立に及んだが、2021年1月14日、上告棄却・不受理の各決定となって、6年9月に及んだ全争訟が私の勝訴で確定した。
本件の判決は、スラップを違法と断じる要件を整理し明確にした点で、意義のあるものとなっている。
◆ 違法スラップによる損害論
一審判決は、スラップを提起された私の精神的な損害額を100万円と認定した。「どうせ勝訴の見込みのない訴訟提起ではないか。被告(澤藤)に、さしたる心理的な負担はなかろう」というニュアンスである。
それはともかく、6000万円の訴訟を提起されて、受けて立たなければならない立場に追い込まれたのだ。スラップ訴訟に応訴のための弁護士費用の相当額を損害として認めてしかるべきであるところ、一審判決での認容額はゼロであった。ここでも、「6000万円の請求といっても所詮は虚仮威しで、どうせ認容される筋合いではないのだから弁護士費用など認める必要もなかろう」というニュアンスが感じられる。
これに対して、控訴審判決は、スラップ訴訟の応訴費用として弁護士費用50万円だけを認めている。スラップ防止のためには、被告とされた者の慰謝料だけでなく、応訴弁護士費用を損害として認容する判例の定着が不可欠である。とりわけ、スラップの提起者には、請求金額に応じた被告側の応訴弁護士費用を負担させることが重要だと思う。「高額スラップの提起には、高額な応訴側弁護士費用負担の覚悟」が必要とならねばならない。
スラップの威嚇効果は、損害賠償の高額性にあるのだから、この点が実務に重要な論点となっている。控訴審の50万円の認容は、一審のゼロよりはマシだが、6000万円請求事件の応訴弁護士費用が50万円でよいはずはない。2017年7月19日東京地裁判決(山田真紀裁判長)は、N国側がNHKを被告として提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、応訴のための弁護士費用54万円満額を損害として認容している。これは素晴らしい。今後に生かすべき課題と言えよう。
◆ DHCスラップ訴訟を終えての教訓
DHC・吉田嘉明が、私だけでなく他に9件のスラップを提起していることを知った時には、これはシメタと思った。10件、10人の被告が連携すれば、強力なDHC包囲網が作れると思ったからだ。しかし、その構想は実現しなかった。
結局、「反撃」訴訟を提起したのは私一人だった。スラップ提起後にDHC・吉田嘉明を批判し続けたのも、多分私一人だけ。被告とされた者の気持ちはよく分かる。一刻も早く、こんな不愉快な訴訟とは縁を切りたいということなのだ。
しかし、今にして思う。スラップとは徹底して闘わねばならない。スラップ常習企業やスラップ常習弁護士に成功体験を与えてはならない。
あらためて噛みしめたい。「スラップを恐れて正当な言論に萎縮あってはならない」「スラップあれば、反撃して徹底的に闘わなければならない」。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.1.24より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=16235
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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