DHC・吉田、成算なき上告受理申立 -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第72弾

本日、DHCと吉田嘉明は、1月28日のDHCスラップ訴訟控訴審判決を不服として、最高裁に上告受理申立をした。上告の提起はなく、上告受理の申立のみ。事件番号は平成28年(ネ受)第115号。

これで私は、もうしばらくのあいだ慣れ親しんだ被告の座に留め置かれることになった。正確には、一審では「被告」と呼ばれ、控訴審では「被控訴人」となり、本日以降は上告受理申立事件の「相手方」となった。言わば、フルコースのお・も・て・な・しなのである。

来週早々に、高裁第2民事部が上告受理申立通知書を当事者(申立人・DHC吉田、相手方・私)の双方に発送し、申立人がその通知を受領した日から50日以内に、上告受理申立理由書を提出することになる。この上告受理申立理由を徹底して吟味し完膚なきまでに反論しようと思う。スラップ訴訟の典型となった本件で、スラップ常習のDHC・吉田を叩いておくことが、スラップ蔓延を防止するために有効だからである。

ところで、民事訴訟での控訴審判決に不服があって最高裁に上訴するには「上告の提起」と、「上告受理申立」の2方法がある。前者が本則だが、厳格に限定された上告理由がないと「上告の提起」はできない。
原則は、「判決に憲法の解釈の誤りがあること、その他憲法の違反があること」である。つまり、最高裁での上告審は、憲法解釈の統一をはかることを主要な任務としている。

その他には、口頭弁論の公開の規定に違反したこと、法律により判決に関与することができない裁判官が判決に関与したこと、判決に理由を付せず又は理由に食違いがあること、訴訟代理人が訴訟行為をするのに必要な授権を欠いたこと、等々の重要な手続違法が並ぶ。

控訴審判決の憲法解釈の誤りを指摘できなければ上告理由がないことになるが、上告ができない場合にも、「上告受理の申立」をすることはできる。上告受理申立事件のうち、判例違反やその他の法令の解釈に関する重要な事項を含むと認められる事件については、最高裁は上告審として事件を受理することができることになる。上告事件として受理するという決定があれば「上告があったものとみなされる」。最高裁判所が上告審として受理した後は、基本的に通常の上告と同様に扱われるという構造になっている。

「上告受理の申立」がされた事件について、最高裁判所が受理するかどうかは、まったくの裁量に委ねられている。圧倒的に多くの事件は、ある日突然の「上告受理申立不受理決定通知」が舞い込んで事件は終了する。通知書に不受理の具体的な理由は書いていない。定型の三行半が書き込んであるだけ。

どのくらいの事件について、上告ないし上告受理申立がなされるか。最高裁の2010年の統計が公表されている。
上告事件の上訴率(控訴審判決に対する上訴件数の割合) 25.2%
上告受理申立事件申立率(同上上告受理申立件数の割合) 27.2%
なお、両者は重複して申立が出来ることになっており、現実に両者を申し立てる例が多い。だから、上記の割合を合計することに意味はない。

では、上告受理申立事件にどれほどの成算が見込まれるか。
最高裁の公表しているところでは、2010年の全上告受理申立件数は、2247件。その内、不受理決定で終わるものが2166件。実に96.4%に及ぶ。

受理されて判決に至るものが55件だが、うち12件は棄却の判決。2247件のうち、原判決破棄の逆転に至るものは43件、率にして1.9%に過ぎない。

なお、2014年度の上告・受理申立両事件の合計事件数は5879件。その内、破棄判決は45件(上告10件、上告受理35件)と報告されているので、併せた破棄率は0.77%となる。DHC・吉田の上告受理申立が上告として受理され、破棄判決に至る可能性は絶無ではないが、きわめて狭き門と言わねばならない。

DHC・吉田が、何らかの成算あって上告受理申立に及んだとはとうてい考えがたい。最高裁判例違反を申立理由として掲記する以外にはないのだが、「ロス疑惑夕刊フジ事件」と「朝日新聞事件」の各判決を引用した主張をして一審では一顧だにされず、控訴審でも繰り返して同じく一蹴されている。東京地裁の判決も東京高裁の判決も、DHC・吉田が引用した判決を百も承知で、「事案が違う。本件に参考とするに適切ではない」としているのだ。最高裁で、この判断が変わるはずもない。私は、法廷で「控訴人(DHC・吉田)のこのような判決の引用のしかたは児戯に等しい」と言っている。

DHC・吉田が2度の敗訴に懲りることなく敢えてした本日の上告受理申立は、3度目の恥の上塗りとなる公算が限りなく高い。それでもなお、上告受理申立に踏み切ったのは、少しでも長くいやがらせを続けて、スラップの効果を大きくしようとの意図によるものだと判断せざるを得ない。

スラップとは、自分を批判する者を威嚇し恫喝し嫌がらせをすることで、言論の萎縮を狙うものである。直接の標的とされた者だけでなく、社会全体に「DHCや吉田嘉明を批判すると面倒なことになるぞ」と威嚇し、批判の言論を封殺しようというものである。だから、標的とした相手に可能な限り大きな負担をかけることが目的となる。スラップ側は、「勝訴できればこれに超したことはないが、敗訴しても長く相手に財政的心理的負担をかけるに越したことはない」という基本戦略を持つことになる。

もう少しの辛抱だ。もうしばらく、我慢をしよう。確定的な勝訴が間近に見えているのだから。
(2016年2月12日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.02.12より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=6409

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3288:160213〕