国賓として初めて来日したブータンの若き国王夫妻はさわやかな印象を残して日本列島から立ち去った。しかし日本に残された課題は重い。それは国造りの基本として「経済成長」かそれとも「国民総幸福」か、そのどちらを選択するのかというテーマである。
日本の政官財界は今なお経済の量的拡大(国内総生産=GDPの増大)を意味する経済成長主義にこだわっている。一方、ブータンは経済、社会、人間の質的充実を意味する国民総幸福(GNH=Gross National Happiness)を掲げる世界の最先進国である。小国の大きな知恵とも評価できる。日本も舵を切り替えてGNHの追求に取り組むときではないか。(2011年11月25日掲載)
▽ メディアは若きブータン国王夫妻の来日を大歓迎
お茶の中にハエが入った。「大丈夫?」と聞かれる。その人がブータン人ならば、お茶が大丈夫かというのではない。ハエが大丈夫かとたずねているのだ。むろんすぐにハエを救い出さねばならない(大橋照枝著「幸福立国ブータン」白水社)。
またブータンには花屋はないという。美しい花に恵まれた国土だが、一生懸命咲く花を切り取って売買するのは仏教の教えにそぐわないと思うらしい。寺院に飾る花も造花だという。あくまで心優しい「幸福の国」の住人だ。
以上は毎日新聞(11月17日付)「余録」の一節である。たしかに日本人の多くとは異質の心優しさを感じ取ることができる。
メディアはブータンの若きワンチュク国王(31)とジェツン・ペマ王妃(21)の来日を大歓迎した。さてどのように評したか。
朝日新聞社説(11月16日付)は「ブータン国王 桃源郷の挑戦見守ろう」と題して次のように書いた。
桃源郷という呼び名がふさわしい。ヒマラヤに抱かれた美しい自然に加え、前国王が唱えた「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)」という考えが国造りの基本になっているからだ。経済成長より国民の幸せをという理念である。
しかし鎖国に近い状態から徐々に国を開いたことで、外資が押し寄せつつある。人口増加の著しい首都ティンプーは建設ラッシュだ。商業施設が開業し、車も増えた。携帯やインターネットの普及も加速している。
世界の情報が駆けめぐり、欲望が刺激される時代。GNHを掲げながら豊かさを実現できるか。小国の大きな実験だ。
また朝日新聞(11月23日付)は、<「幸福度」って測れるの?>というテーマで特集を組んでいる。
毎日新聞社説(11月24日付)は「ブータン国王 問いかけられた幸せ」という見出しで以下のように評した。
さわやかな風が吹き抜けたような6日間だった。東日本大震災の被災地を訪れて鎮魂の祈りをささげ、各地の人々と交流した。
いつも微笑を絶やさない夫妻の姿は鮮やかな印象を残した。各メディアは大きく取り上げ、久々の心温まるニュースに沸いた。国民のブータンへの関心も一挙に深まった。
特筆すべきは前国王が提唱した国民総幸福量(GNH)という概念だろう。国民総生産(GNP)に対置されるもので、経済成長を過度に重視せず、伝統や自然に配慮し、健康や教育、文化の多様性、生活の水準やバランスを追求する考え方だ。ブータンの8割の人たちが信仰している仏教的な価値観が背景にある。
外務省によると、ブータンの1人当たりの国民総所得は2000ドル(約15万4000円)足らず。しかし、05年の国勢調査では国民の97%が「幸せ」と回答した。経済成長を経た私たちに必要なものは何なのか。夫妻から、幸福とは何かと問いかけられた。
<安原の感想>
私自身、インドの北側に位置するネパールには現地の仏教経済学者たちとの対話のために二度訪ねたことがある。さらにその北のヒマラヤ山脈東部に位置するブータン(九州と同じぐらいの面積で人口は約70万人の小国)にはまだ脚を踏み入れてはいない。一度訪問してみたいと思っているが、歳月だけが過ぎてゆく。
さてブータンの国造りの基本である「GNH(国民総幸福)」についてメディアの理解の仕方に若干の指摘をしておきたい。
朝日新聞は「GNHを掲げながら豊かさを実現できるか」、<「幸福度」って測れるの?>と書き、一方毎日新聞は「特筆すべきは前国王が提唱した国民総幸福量(GNH)という概念だろう」と論じている。
ここで注意を要するのは<GNH=国民総幸福> は質中心の概念であり、量を示す概念ではないという点である。だから幸福は、豊かさなど量を示す概念とは異質であり、量としては測りにくいものである。<国民総幸福「量」>という表現にも疑問を感じる。モノやサービスの量的拡大だけを意味する経済成長という既成の概念にこだわっているから、こういう混同が生じるのではないか。国民総幸福が経済成長と同じ量中心の概念であるなら、ブータンのGNHは格別注目に値するものではないだろう。経済成長とは異質だからこそ話題性があるといえる。
▽ 「国民総幸福」とは ― ブータン首相の解説
「国民総幸福」について2010年4月来日したジグミ・ティンレイ・ブータン王国首相(注)が当時語った内容をここで紹介したい。第23回全国経済同友会セミナー(「今こそ、日本を洗濯いたし申し候」というテーマで高知市で開催、企業経営トップら900名余が参加)の基調講演、さらに日本記者クラブ(東京・内幸町)での記者会見で、「国民総幸福」について詳しく解説した。
(注)ジグミ首相は、1950年生まれ。米国ペンシルヴァニア州立大学修士で、デンマーク、スウェーデン、EU、スイスなどの大使、さらに外相、内務・文化相を歴任、現在3度目の首相の座にある。趣味はガーデニング、ゴルフ、トレッキング(山歩き)。
以下に全国経済同友会セミナーでの基調講演(『経済同友』・2010年6月号に掲載)の要点を紹介する。
<国民総幸福を4本柱の戦略で追求>
20世紀はGDP(国内総生産)崇拝主義によって人類史上最大レベルの富が生み出されてきた。GDPは、ある特定の時間・場所において、モノやサービスがどれくらい取引されたかを表す尺度だが、これがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。
しかし最近の金融危機などで、富と呼ばれていた株や銀行の預金残高、豪華な家などが一夜にして全部消えてしまい、手にしたと思った富が幻想だったことに気がついた。手段と目標を混同し、人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。
最近では多くの学者、政治家や一般の人たちが、幸福と物質的な富とは別のものと考えはじめ、GDP中心の成長は持続不可能で危険な道であると考えるようになっている。
ブータン政府は、次の「GNHの4本柱」の戦略によって、国民の幸福を追求できるような環境を整えることに注力し、実行してきた。
*持続可能かつ公平な経済社会の発展
*ブータンの脆弱(ぜいじゃく)な山岳環境の保全
*文化・人間の価値の保存と促進
*良きガバナンス(統治)
この4本柱をさらに9区分に分けて分析する。9の区分は以下の通りである。
①貧困のレベルを測定する生活水準、②死亡率や罹患率を含む保健衛生、③教育水準と現状の関連性、④資源状況、生態系などの環境、⑤文化の多様性とそのしなやかさ、⑥人間関係の強さ・弱さを測る地域社会の活力、⑦国民の時間の使い方、精神的・情緒的な健康、⑧暮らしへの満足感、⑨統治の質
日本は、あの壊滅的な被害を受けた世界大戦の灰から立ち上がった国である。これほど強靱(じん)な回復力を見せた国民は世界にはない。そしてユニークな文化を持っている。規律、勤勉、尊厳、誇り、不屈の精神、イノベーションの力を持ち、世界から尊敬された国で、より持続的な価値を追求する能力があるはずである。
日本こそ、ほかのどの豊かな国よりも真の幸福に向かって歩み、GNH社会を作っていくのに最も適した国だと確信している。
<安原の感想> 経済成長は持続不可能で危険な道
ブータン首相の以上の講演のうち最後の日本に関する部分は、今となってはいささか過大評価のきらいもないではない。それはさておき講演は経済同友会の経営トップらを前にして、経済の基本概念であるGDPへの次のような根源的な批判から始まった。これは明らかに仏教経済学的視点からの批判といえる。
・GDPがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。
・人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。
・GDP中心の成長は持続不可能で危険な道である。
上記の「四本柱の戦略」のうち特に「持続可能かつ公平な経済社会の発展」という発想は、それと根本から対立する「GDP中心の経済成長」にこだわり続けてきた日本の多くの経営トップらには大きな知的刺激となったに違いない。ただブータン首相を基調講演者としてわざわざ日本へ招いたことは、ブータンが国を挙げて取り組んでいる「国民総幸福」路線に経済同友会としても関心を抱いているからだろう。そこが保守的で、ときに頑迷でさえある財界人の総本山・日本経団連とはやや趣(おもむき)を異にしているところではある。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(11年11月25日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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