(2021年3月27日)
金曜日には「週刊金曜日」を読もうとして、なかなか時間がとれない。今日、土曜日に3月26日号に目を通している。今号は、いつにもまして充実の趣。弱者目線にブレがないところがよい。
対照的な、広島高裁伊方原発異議審決定と水戸地裁東海第二運転差し止め判決の紹介。札幌地裁同性婚違憲判決レポート。ソウル中央地裁「慰安婦」判決の関連記事。石橋学記者の差別断罪論。矢崎泰久の「左京」…。あれもこれも頷けるなかで、「『社会主義核心価値観』を読み解く」(麻生晴一郎)という中国情勢紹介記事に目が留まった。簡潔で分かり易い。が、やや違和感も禁じえない。
世界情勢の中で俄然、存在感を増す中国。その政治思想を支えるのが、たった24文字の「社会主義核心価値観」だ。その内容とは? というリード。
中国はスローガンのお国柄。至るところに、党や国家の政治スローガンが氾濫している。早川タダノリさんが紹介する戦前の日本も、空虚なスローガンに溢れた鬱陶しい社会だったようだ。何か、共通するものがあるのだろう。
今、その多様な政治スローガンの頂点に君臨しているのが、12語(24文字)の「社会主義核心価値観」なのだ。この12語は、次のとおり3分類されるのだという。
国家が目標とすべき価値:富強、民主、文明、和諧
社会が重んじるべき価値:自由、平等、公正、法治
個人の道徳規範の価値 :愛国、敬業、誠信、友善
漢字2字の熟語だから、なんとなく分かるような気もする。おそらく、「富強」「愛国」などは、われわれのイメージと大きくは変わらないのだろう。「富国強兵」「忠君愛国」を連想させる。
しかし、「民主」「自由」「平等」「公正」「法治」などは、われわれのイメージとはまったく違う。「はっきりしているのは、社会主義核心価値観が、中国で『普世価値(人類の普遍的価値)』と呼ばれることもある欧米中心の基準とは一線を画していることである」という。
ならば、紛らわしい言葉遣いはきっぱりとやめて、正確に別の言葉を使うべきだろう。「民主」とは「専制」のこと。「自由」とは「一党独裁に従うべきこと」。「平等」とは「あらゆる格差を忍ぶべきこと」。「公正」とは党が全てを把握すべきこと。「法治」とは「党が恣に作る法による統治」である。
私の印象では、これは、「中国版・教育勅語」である。偉大なる党中央から、無知蒙昧な人民にたまわりし、ありがたくも、温情溢れたスローガン。こんなものは、自由とも民主主義とも、法の支配ともまったく無縁である。
というだけでなく、驚くべきは、「社会主義核心価値観」と言いながらも、「社会主義」の周辺にも当たるスローガンがない。
むしろ、党のホンネは、「七不講(チーブジャン)」にあるという。習近平体制になってから「党中央が各学校に対して通知した、七つの話してはならないこと」というが、「七つの禁句」と言った方が分かり易いだろう。(もっとも、いま、党は公式には否定しているという。)
禁句とされる「七不講」とは次のとおり。
(1) 人類の普遍的価値
(2) 報道の自由
(3) 市民社会
(4) 公民の権利
(5) 党の歴史的錯誤
(6) 特権資産階級
(7) 司法の独立
これにも、多少のコメントをしておきたい。
(1) 「人類の普遍的価値」と言えば、人権のことである。中国では人権は禁句なのだ。それはそうだろう。
(2) 「核心価値観」の中に「自由」はある。しかし、「報道の自由」という、党に不都合な自由は含まないのだ。
(3) 「市民社会」は、専制を倒した後の自由を基調とする社会。党の専制に抵触するのだろう。
(4) 「公民の権利」の最たるものは普通選挙である。人民の意を反映する選挙権を与えたら、全中国が香港化することになる。
(5) 「党の歴史的錯誤」が禁句なのは、文革も天安門事件もフランクに語る自信がないということなのだ。
(6) 「特権資産階級」が禁句なのは、「深刻な経済格差のなかで、特権的な資産階級が存在している」現実があるからにほかならない。
(7) 「司法の独立」は、選挙とともに法の支配の要である。司法が立法府や行政府、そして党の支配から独立していなければ、自由も民主主義も画餅に帰すことになる。「三権分立」も「司法の独立」もない社会は、市民社会成立以前の、非文明の専制社会と言わざるを得ない。
このような中国と、どのようにしたら共通の言葉で話ができるのか。麻生晴一郎論稿は、最後をこう結んでいる。
「日本も含めて、さまざまな問題で中国政府に意見を述べ、働きかける際も、社会主義核心価値観など中国スタンダードの文脈の中で語らなくてはならない時代になっていくのではないか。そうしなければ、香港問題同様、中国政府は外からの声に聞く耳を持たない可能性が大きいのである。」
これに違和感がある。これは、対中国敗北の論理ではないか。人類史が積み重ねてきた叡智と知性の敗北でもある。中国とは、大いに対話をすべきであるが、卑屈で姑息な態度をとるべきではない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.3.27より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=16544
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10685:210327〕