2011年12月26日 連帯・共同ニュース第205号
■ 叩けば叩くほどよくなるのが法華の太鼓と言われるが、叩かれれば叩かれる程悪くなるのが民主党政権であろうか。あるいは代を経れば経るだけ劣化する政権とでも言えようか。選挙から遠くなればなるほど公約破りも露骨になるのか。選挙公約の反故は上げたらきりがないが、官僚主導政治から政治主導へといわれたものもその一つだ。消費税の値上げはその仕上げで民主党政権の政権からの転落も見えている。いくらかでも民主党政権に期待を寄せたものは失望も大きいだろうが、特に官僚主導政治の復活はそうであるに違いない。国交省官僚OB大臣の公共事業復活などはひどいものだという思いを禁じ得ないが、「原子力ムラ」の抵抗も相当なものである。
■ 原子力ムラが原発の再稼働に向けて様々の画策をしていることはよく知られていることであるが、それは今回の予算編成でも見られたと言われている。彼らは野田政府に原発輸出を容認させ、福島第一原発の「事故収束」宣言を出させたのも来春以降の原発再稼働戦略から導かれたものである。除汚作業を大々的に宣伝し、避難地域の見直しも原発事故を小さく見せ再稼働に入りたいためである。汚染事実やその実態を事故収束の進行の事実とともに公表し、具体的な放射能汚染対策を提起することが真っ先にやられねばならないことだ。子供を放射能汚染から守ること、その具体策が必要なのにそれは系統的に総合的にやられてはいない。彼らのこころはそこにないのだ。僕らは怒りを込めて告発し続けなければならないし、これについては一時も気を緩めてはならない。放射能汚染から人々を守る運動と再稼働阻止の運動これは二つの柱である。
■ どんな大事件でも時間が経れば人々の関心は薄れ意識は拡散する。まして現在のように大きな事件が次から次に起こり、歴史の流れも速い時代はそうである。体制や権力はこれを利して原発再稼働→原発保持に動きだす。僕らは脱原発や反原発の運動がこれまで経験したことのない深さと広さ、かつ運動形態を要求していることを知っている。福島第一原発が廃炉にいたるまでに40年を要するといわれること一つみても明らかだ。想像を超えて時間が必要であり、かつての社会的運動を超え変えてもいかなければならない。僕らはその一つを「原発いらない福島の女たち」の行動に見ているが、テント前広場の登場のその一つだ。日々の歩みの中で歴史を書き換えて行くのが脱原発の運動である。12月28日(水)は12時から東電前で「御用納めをさせない」行動がある。合流を! 12月29日~1月3日は特別態勢。参加を! (文責 三上治)