ソローモデルの学説的位置づけとその含意――価値論的側面をめぐる岩田氏の視点を踏まえて

ソローモデルをどう理解すべきかという点について、岩田氏は興味深い問題提起をしている。それは、ソロー自身は価値論を構築することを目的としてモデルを作ったわけではないものの、結果としてモデル内部でのハロッド中立性の扱いが「労働の役割を強調する」という価値論的含意を意図せず生み出しているのではないかという視点である。

この指摘は、ソローの目的そのものとは異なる角度から、モデルが示す理論的含意を読み解こうとするものであり、確かに学説史的に検討する価値があるように思われる。

ただし、この価値論的含意がモデル内部の世界における帰結なのか、それとも現実の価値論に外挿できるのかという点については、やはり区別して議論すべきではないかと思われる。

1. ソロー自身の立場と技術進歩の「非価値論的」扱い

ソローが長期成長モデルを構築した際の主眼は、ハロッド=ドーマーのナイフエッジ不安定性を克服し、生産関数を導入した均衡成長理論の基礎をつくることにあった。
その中で技術進歩の中立性(とりわけハロッド中立)が採用されたのは、価値論的理由というより、次のような技術的・分析的要因によるものである。

  • 均衡成長経路を安定化させるため
  • 資本深化と技術進歩の役割を明確に分離するため
  • 実証的な成長会計を成立させるため

つまり、ソロー本人の立場では「技術進歩の性質」は価値論とは無関係の仮定であり、必要なら別の型でもよいと述べている。この点は、ソロー自身が、指数的成長パスを強制しないなら技術進歩の形態を特定する必要はないと言及していることにも表れている。

2. ではなぜ「価値論的含意」を読み取れるのか?

岩田氏が注目するのは、まさにここである。
ソローが意図しなかったにもかかわらず、「ハロッド中立=労働増効率型」という技術進歩の形態が、モデル構造の中で“労働を価値の基盤として扱っているように見える”という点である。

  • 生産関数は「有効労働(A L)」を基準に書かれる
  • 長期成長率は技術進歩(労働の効率上昇)によって決まり、資本は従属的
  • 成長会計でも労働効率の改善(TFP)が主因となる

この構造が、結果として「労働が成長と価値創出の核心」という含意をもつように読めてしまうというのが岩田氏の問題提起ではないか。

その意味で、岩田氏の指摘は「ソロー本人の意図」ではなく「モデルが示す構造的含意」に焦点を当てていると整理できる。

3. だが、モデル内部の帰結がそのまま価値論に外挿できるのか?

ここが議論の核心であり、慎重さが求められる点ではないかと思われる。

ソローモデルにおける「労働」の中心性は、

  • 生産関数の仕様
  • 技術進歩の形式
  • 成長パスの安定性の要請

といった、分析上の要件によってもたらされた“モデル内の世界”における性質である。

したがって、モデル内部で労働が中心的役割を果たしているからといって、現実の価値論を直接裏づけるものとみなすのは、やや飛躍があるのではないかとも考えられる。

この点を区別しておくことが、議論を冷静に進めるために重要ではないか。

4. ソローモデルの本来の学説的意義

むしろソローモデルの本来の意義は、価値論ではなく次の点にあるのではないか。

  • ナイフエッジ不安定性の克服
  • 生産関数の導入による新しい成長理論の確立
  • 成長会計(ソロー残差)という実証基盤の創出
  • 技術進歩を分析対象とした点での理論的革新
  • その後の内生的成長理論への架け橋

この意味でソローモデルは、価値論的主張ではなく、マクロ経済学の分析ツールの転換点を作ったという歴史的意義の方が大きいのではないかと思われる。

5. 現代的視点:ソロー残差、AI、技術進歩の性質

今日では、ソロー残差(TFP)をめぐる議論が、AI・自動化・デジタル技術によって再び注目されている。

  • AIは通常、資本ではなくTFPに寄与する(同じ投入からより多くの産出を得る)
  • 人的資本・組織構造と補完的であり、TFPは「複合的な制度・技術の総合指標」として再評価されている
  • AIは技術進歩の中立性(労働偏向性・資本偏向性)を変える可能性を持つ

つまり、AIによって「技術進歩の性質」そのものが問い直されており、ハロッド中立を前提にする従来の成長モデルは再解釈を迫られている。

この文脈では、岩田氏が注目する「労働価値論的含意」の問題も、AIが労働の役割をどう変えるかという現代的論点と結びつけて再検討する余地があるように思われる。

結語

総合すると、岩田氏の議論は次のように整理できるのではないか。

  • ソロー自身は価値論を構築する意図を持っていなかった。
  • しかしモデル内部の構造が労働中心的な性質をもつため、結果として価値論的な含意を帯びているようにも読み取れる。
  • ただしその含意を現実の価値論に外挿するには慎重であるべきではないか。

そしてそのうえで、ソローモデルの学説的意義、教育上の役割、そしてAI・TFPをめぐる現代的再検討を位置づけ直すことで、ソロー成長論の今日的意味がより明確になるのではないかと思われる。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1373:251127〕