1922 -2022 年、『ポトナム』創刊100周年記念号が出ました(2)

 ほんとは『ポトナム』の歴史を少しでも伝えねばと思いつつ、いまは、ポトナム私史として、嫌われるのを承知で、あまりにも個人的な記録になってしまうかもしれない。

 私が、ポトナムに文章らしきものを初めて寄稿したのは、カール・サンドバーグ(1878~1967)の『シカゴ詩集』についてであったと思う(「『シカゴ詩集』について1~2」1964年8月~9月)。英文科出身で中学校の英語教師をしていた次兄の話を聞いて、『シカゴ詩集』(1916年)を岩波文庫の安藤一郎訳(1957年)で読み、いたく刺激されたのを覚えている。サンドバーグは、スウェーデンからの移民の子として生まれ、さまざまな職に就き、放浪もし、入隊もする。私淑していたP・G・ライト教授の影響で民主社会党員としても活動、20世紀初頭から、シカゴでの新聞記者生活が長い。「霧」といった、短い抒情的な詩も好きだが、「でっかい肩の都市」シカゴの文明と野蛮が交差する繁栄と猥雑を歌い、反戦・反軍を訴える。

 戦争

 昔の戦争では馬蹄の響きと軍歌の足音。

 今日の戦争ではモーターの唸りとゴムタイヤの騒音。

 未来の戦争では人間の頭では夢想だにされなかった無音の車輪

 と棒の擦過。・・・

「戦争」と題する、上のような一節もあった。過去の戦争と21世紀の戦争は、ない交ぜとなって、遠く離れた地からの砲弾は、住居や病院、劇場を破壊し、原発まで襲う。戦車や銃は、人間をなぎ倒して行く・・・。サンドバーグはもちろん、現代の人間でさえも夢想だにしなかった戦争が止められない現実を目の当たりにして、再読しているところである。そして、ほぼ同時代のベンシャーンの重い画集も取り出して眺めている昨今でもある。
 1970年に、「冬の手紙」30首で、前述の白楊賞を受賞、1971年7月に、第一歌集『冬の手紙』(五月書房)を上梓した。

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『ポトナム』550号(1972年2月)は、『冬の手紙』批評特集を組んでいただいた。評者は、大島史洋、佐佐木幸綱、森山晴美、菅野昭彦、島田修二、岩田正さんの六人であった。『閃』17号(1972年1月)では、田谷鋭、藤田武、水落博、西村尚、近藤和中、佐藤通雅さんの六人であった。当時「閃の会」代表の増田文子さんらの尽力で、お願いできたメンバーであった。励ましや叱声を受けたスタートではあったが、ようやくたどり着いたのが今日となると、忸怩たる思いである。

 1970年代に入って、『ポトナム』には、つぎのような論稿を発表した。静枝追悼号の年譜と解題は、荻原欣子さんとの共同作業であった。

・戦時末期における短歌弾圧 1973年6月

・占領期における言論統制  1973年9月

・阿部静枝著作解題・著作年譜 1975年2月(阿部静枝追悼号)

 1980年代に入ると、歌壇時評や作品合評などにもたびたび参加するようになり、2006年来の和田周三、芝谷幸子、安森敏隆代表時代は毎月エッセイを寄稿することもあり、苦しかったときもあったが、現在は、年に数回の時評などを担当、論争のきっかけにもなったりして、執筆の際の緊張は続いている。

 一方、その傍ら同人誌『風景』(醍醐志万子編集発行)に連載の「歌会始と現代短歌」(1983年10月~1988年1月)と合わせて、1988年10月には『短歌と天皇制』(風媒社)を上梓することができた。昭和天皇重病報道で、さまざまな規制がされる中だったが、決して便乗のキワモノでないことを短歌雑誌以外の月刊誌・週刊誌、全国紙・地方紙などの書評で論じてくださったのはありがたいことだった。以来、私のメインテーマの一つとなり、『現代短歌と天皇制(風媒社 2001年)『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房 2013年)につなげることができ、「祝歌を寄せたい歌人たち1~4」(1993年9月~12月)、「戦後64年、「歌会始」の現実」(2009年8月)なども収録することができた。

 また、2000年1月より一年間、『図書新聞』に「短歌クロニクル」欄で歌壇時評を担当したことが縁で「インタビュー内野光子氏に聞く<現代短歌と天皇制>」という一面・二面にわたる特集記事を組んでいただいたことも忘れがたい。同じ頃、立教大学の五十嵐暁郎さんの呼びかけで、「天皇制研究会」に参加、遅れた出版ではあったが『象徴天皇の現在』(世織書房 2008年)にも参加できた。研究会では、二次会も含めて、共同通信社在職中の高橋紘さんらの貴重な話が楽しみでもあった。

 なお、『ポトナム』で、阿部静枝の晩年に指導を受けたこともあって、女性歌人への関心もあったからか、阿木津英さんの呼びかけで立ち上がった女性短歌史の研究会に参加、2001年には、阿木津さん、小林とし子さんとの共著『扉を開く女たち―ジェンダーからみた短歌史1945-1953』(砂小屋書房)でも、私は、阿部静枝らに、言及している。なお、この書は、石原都政最後の東京女性財団の出版助成を受けることができた。そして、つぎのような論稿も、今回の記念号の阿部静枝稿につなげることができた。

・阿部静枝―敗戦前後の軌跡 1997年6月

・内閣情報局は阿部静枝をどう見ていたか(上・下)2006年1月~2月

・戦時下の女性雑誌における「短歌欄」と歌人たち―『新女苑』を中心に 2017年4月(創刊95周年記念号)

・女性歌人の評価は変わったのか―『短歌研究』『短歌』の数字から見る 2020年4月

そして、あわせて、現在参加している「新・フェミニズム批評の会」での報告を経て、以下の論集に静枝論を寄稿することができた。

・阿部静枝の短歌は何が変わったのか~無産女性運動から翼賛へ(『昭和前期女性文学論』翰林書房 2016年)

・阿部静枝の戦後~歌集『霜の道』と評論活動をめぐって(『昭和後期女性文学論』 翰林書房 2020年)

 私にとっての『ポトナム』は、生涯の師であり、友であり続けるだろう。

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左『ポトナム』816号(1994年4月)は、「小泉苳三生誕百年記念特集号」で、「小泉苳三著作解題」を寄稿、「小泉苳三資料年表」を相良俊暁さんとの共編で作成している。右『ポトナム』586号(1975年2月)は、前述の「阿部静枝追悼」特集であった。

初出:「内野光子のブログ」2022.4.9より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/04/post-a2076e.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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