1960年、私が入会した短歌会『ポトナム』が、この4月で創刊100年を迎えた。1922年4月、朝鮮の京城で、京城高等女学校教諭の小泉苳三らにより、植民地で生まれた雑誌である。100年といえば、1922年3月3日、部落差別を掲げ、水平社が京都で創立大会を開き、7月15日に非合法下で日本共産党が結成されている。ともに、紆余曲折があって今日に至っている。
そして、1922年12月30日には、ロシア、南コーカサス、ウクライナ、ベラルーシを統合したソビエト連邦が成立していたのである。1924年レーニンの死後、スターリンが政権に就き、大粛清が実施され、1991 年のソ連崩壊とともにウクライナは独立した。いまのウクライナは、少なくともこの100年の歴史を背負っていることを知る。
そんな100年を思いながら、振り返ってみたい。この記念号の締め切りは一年前ほどにさかのぼるが、編集部の皆さんの尽力には計り知れないものがある。私は、文章としては、以下を寄稿している。これは、昨年2021年3月号の『阿部静枝の戦後~歌人、評論家、政治家としての足跡<1>付「阿部静枝著作年表<1945~>及び「阿部静枝関係参考文献一覧」に続くもので、面倒な年表は、協和印刷の方にも工夫をしていただいた。いずれ併せて、このブログでも公開したい。まだ、1950年までなので、没年の1974年までが残っている。
・阿部静枝の戦後歌人、評論家、政治家としての足跡<2>付「阿部静枝著作年表<1945~>」及び「阿部静枝関係参考文献一覧」
歌詠みのブログにしては、自分の歌がさっぱり登場しないではないか、とよく言われるのだが、今回は、3か所に発表していることもあって、思い切って載せることにした。ご笑覧いただければありがたい。
今回、歴代の「白楊賞」受賞者の一人として、新作8首を寄稿した。誌名の『ポトナム』は朝鮮語で、「白楊」を意味するところから、「白楊賞」と名付けられたらしい。また、つぎの「窓という窓」は、記念号のアンソロジーという企画で、新旧問わず10首ということだったので、昨年出版した第4歌集『野にかかる橋』から選んだ旧作である。横組みの6首は、普段通りの4月号の詠草稿である。
風呂敷に『少年朝日年鑑』を携え通学の日々のありしを
結膜炎病みてプールは見学となりし六年の夏の水しぶき
旧友の営む地下喫茶室もうクラス会は最後かもしれぬ
平和通り進みて細き路地に入り旧島田邸「池袋の森」へ
池袋西武デパート店内を堤清二はひとりめぐりき
北口は「西口(北)」に変わりいて事件のありしホテルはどこか
下は、今回の記念号のグラビアから、記念号の表紙をコピーしてみた。(続く)
初出:「内野光子のブログ」2022.4.6より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/04/post-559b22.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11929:220407〕