身辺整理が一つも進まない中、映画館のチラシが十数枚出てきた。残念ながら、上映や封切り予定の月日がわかっても「年」がわからないものが多い。チラシに明記されたものだけを選んでみた。市民運動の集会やデモのチラシも同様で、年月を経ると、年の明記がないと、何年のものかがわからない。必要があって、それを知るには、内容から「時代考証」をする手間がかかることになる。それでも特定できない、ということを何度か経験している。それはさておき、2月のテレビ「アド街・昭和の池袋」につられ、下の記事で、1950~60年代の池袋の映画館についても書いたので、あわせてお読みいただければと思う。
私の「1950~60年代の池袋」ベスト5は~「アド街」を見て(2019年2月18日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/post-0013.html
1964年9月上旬号とある恵通チェーンの冊子で、1頁が池袋劇場で、2頁新宿座は武智鉄二の「紅閨夢」と「のぞかれた美女」「痴情の家」の三本立て、3頁新宿地球座は「座頭市シリーズ大会」、4頁新宿名画座、渋谷日活地球座のいずれも3本立ての上映案内だった。
人世坐系列の1965年8月の上映スケジュールである。池袋の人世坐、文芸坐、文芸地下、弁天坐というのは、東上線板橋駅前にあったが、私は入ったことはない。このころは「サンカ」小説の三角寛(1903~1971)の経営だったことでも知られ、「人生」ではなく「人世」、「座」ではなく「坐」に文士のこだわりがあったのだろうか。「人間の条件」の「終夜興行」といわれても・・・、結局「人間の条件」は見ることがなかった。第6部までの全巻で夜の10時
30分から翌朝の8時まで、入場料は200円とある。
1968年1月の池袋世界館のチラシなのだが、世界館ってどこにあったのだろう。広告で見ると、どうも西口の三業
通りににあったようなのだ。手元にある池袋日本館のチラシも、三業通り、トキワ通りの店が広告を出しているので、二館は並んでいたのだろう。上映作品を見ていると、クレイジー・キャッツ、高倉健、ドリフターズ、ザ・タイガーズ全盛時代の感がある。
この池袋日本館のチラシには年の記載はない。裏は松竹文芸大作、総天然色「紀ノ川」(1966年6月公開)と東京オリンピック長編記録映画「世紀の感動」(1966年5月公開)とあるから、2番館、3番館だったろうから、1966年後半~67 年ころか。このチラシを受け取ったころ、私はどんな映画を見ていたのだろう。一時期メモしていた映画の手帳がどこかにあるはず・・・。
初出:「内野光子のブログ」2019.04.12より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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