舌禍事件で解任されたマクリスタル将軍の後任として、在アフガニスタン米軍兼ISAF(国際治安支援軍)司令官に任命されたペトレアス米陸軍大将は7月4日着任した。新司令官の任務は、来年7月と決められた米軍撤退開始を実現できるような条件を整備することである。すなわち、増員された米軍を使ってタリバンの勢力を弱体化するとともに、アフガン政府の軍隊と警察を強化して外国軍撤退後の治安維持を任せられるようにすることだ。
その矢先、ペトレアス司令官の出口戦略を妨害し嘲笑するかのような事件が発生した。7月13日、南部ヘルマンド州で英軍が訓練中のアフガン政府軍の兵士が、教官の英軍将兵3人を殺害してタリバン側陣営に逃げ込んだのである。英国のキャメロン新内閣は2015年までに、すべての英軍をアフガニスタンから撤退させるとの期限を定めた。この期限を守るためには、英軍の責任範囲であるヘルマンド州でアフガン政府軍をよく訓練し、英軍撤退後の治安権限を委譲できるようにしなければならない。そこで同州中部ナーレサラジという村に訓練施設をつくり、勇猛で鳴るグルカ・ライフル連隊をアフガン新兵の訓練任務に当てた。
英国防省の発表によると、この日未明2時45分ごろ(アフガン時間)「裏切り者」のアフガン兵士1人が就寝中の訓練部隊の司令官を射殺、さらにロケット推進手榴弾を発射して2人を殺害、数人を負傷させて逃亡した。同日夜になってタリバンの運営するウェブサイトは、英軍将兵に発砲した政府軍兵士は反政府側に参加し、タリバンの保持する安全地帯に逃げ込んできたと発表した。この兵士がもともとタリバン系の男で計画的に徴兵に応じて政府軍に潜り込んで英軍攻撃を行ったのか、それとも外国軍に新兵訓練を受けているうちに嫌になって裏切ったのかは、げんだいかいでははっきりしていない。
英国防省によると、英軍が味方のはずのアフガン政府治安部隊の隊員に攻撃されたのはこれが3度目だ。最初は2008年に、英軍兵士がアフガン政府軍兵士に脚を撃たれて大けがをしたケース。2回目は昨年11月英軍兵士5人がアフガン警察官に射殺された事件で、犯人は今も逃走中。タリバンに匿われているのかどうかも不明だ。ともあれ、19世紀後半以来3回にわたって英軍を敗退させた独立心旺盛で勇猛果敢な伝統を持つアフガン人の男たちを、英軍が目下の同盟者として扱うのは容易なことではないようだ。
ペトレアス司令官が指揮するISAFは、基本的にはNATO(北大西洋条約機構)加盟諸国、つまり米国とカナダ以外は欧州諸国の軍隊で構成されている。本来ソ連の脅威に対抗するためにつくられたNATOだが、ソ連解体後も存続した。1990年代は、バルカン紛争でセルビア人勢力を叩くのに動員され、その後はイラク、アフガニスタンでイスラム武装勢力を敵として苦戦している。今やNATOは米欧のイスラム対策機関に変質したらしい。
NATO諸国政府は、ますます不人気になっているアフガン戦争から、いかに早く自国の軍隊を撤退させようと躍起になっている。英国では5月総選挙後組閣した保守党・自民党連立のキャメロン内閣は早速、2015年までの英軍全面撤退を決めた。ドイツ連邦議会(下院)は7月9日、ドイツ軍が担当しているアフガニスタンの9州中3~4州で治安権限を早急にアフガン側に移譲して、ドイツ軍を撤退させるべきだとの決議を採択した。現在ドイツ世論の7割は、ドイツ軍のアフガン駐留に反対している。また7月4日の大統領選挙で当選したポーランドのコモロフスキ新大統領は、2012年までにポーランド軍を全部撤退させる方針を発表、さらに今年11月のNATO首脳会議でISAFのアフガン撤退期限を決めるよう提案することを明らかにした。
米国ではオバマ政権以下、出来るだけ早くアフガン戦争にケリをつけたいのだが、その前提としてタリバンなどアフガン反米勢力を叩き、タリバンに匿われているアルカイダを無力化しなければならないが、それが難しいのだ。オバマ政権は昨年12月、米軍3万人増派を認めるとともに2011年7月から米軍撤退を開始すると公約した。解任されたマクリスタル前司令官も後任のペトレアス現司令官もこのオバマ公約に縛られている訳だ。
マクリスタル前司令官は今年2月、タリバンの根拠地であるヘルマンド州のマジャール地域を米海兵隊に攻撃させ、地域のタリバンの全滅を試みた。圧倒的に優勢な武力を持つ米海兵隊はいったんマジャールを制圧したが、その後はじわじわとタリバン勢力がマジャールに浸透、アフガン政府軍と警察はタリバンの反撃におびえている状況だ。マクリスタル司令官の思惑では、タリバンを追放した後はマジャール地区の住民がアフガン政府を信頼して、二度とタリバンの浸透を許さない態勢をつくるはずだった。しかし現状ではマジャール住民はタリバンを恐れ、タリバンと共存せざるを得ない状態のようだ。
タリバンの最重要根拠地はヘルマンド州の隣のカンダハル州である。マクリスタル司令官は、3万人増派された米軍を7月からカンダハル州に投入して大決戦を挑み、タリバンの主力を掃滅しようと考えていた。しかしカンダハル決戦の前哨戦であるマジャール作戦が成功しなかったため、7月開戦の予定だったカンダハル作戦は延期された。これを受けたペトレアス現司令官は、8月のラマダン(断食月)を見送って9月にカンダハル作戦を開始する構えである。この作戦が成功しなければ来年7月米軍撤退開始のスケジュールも危なくなる。
このように軍事面の計画が遅れている中で、アフガニスタンのカルザイ大統領が起死回生を狙う和平工作が始められようとしている。7月20日には、カルザイ大統領が主宰するアフガン和平を目指す国際会議がカブールで開かれ、クリントン米国務長官をはじめ70カ国外相級が出席する予定だ。ここでカルザイ大統領は、タリバンを含むアフガン反政府派と和平交渉を始めることを提案する予定である。6月2日にカルザイ大統領が主宰してカブールで開かれた平和ジルガには国内の各民族、部族、氏族を代表する長老1600人が集まり、平和への道を話し合った。
ジルガというのは国内の各勢力が、話し合いによって利害を調整するためのアフガニスタンに固有の伝統を持つ会議方式のことである。タリバンは公式にはこの平和ジルガに参加しなかったが、タリバンに同調する部族長などは出席した模様だ。このジルガを通じて、カルザイ大統領はタリバンを含む反政府勢力との和平交渉を行うことを承認された。これを受けて、同大統領は国連に国連安保理が制裁の対象としたタリバン指導者137人のうち50人をブラックリストから外すよう要請した。この50人の中に和平交渉の相手になる顔ぶれがいると大統領は踏んだわけだ。ジルガに参加したさる長老によると、和平は外国軍が撤退すれば実現するというのが会議のコンセンサスだったという。
タリバンを含む反政府派との和平交渉を始めたいとするカルザイ提案は、7月20日に始まる国際会議であれこれの条件はつけられるだろうが、おそらく承認されるだろう。オバマ政権も基本的には、アフガン和平の政治解決を出口戦略の基本に据えているからだ。その前提として、まずタリバンを軍事的に痛めつけておかないといけいと考えている訳だ。一方、カルザイ大統領はタリバン側との和平交渉を始めるために、かつてタリバンを育成し現在もタリバンに影響力のあるパキスタン軍部、特に軍部諜報機関のISI(統合情報部)にひと肌脱いでもらおうと、タリバンとの和平交渉のあっせんを依頼している。
アフガニスタンをめぐり各国の利害が輻輳するこの時期だけに、アフガン政府軍の「裏切り者」新兵が起こした英軍教官殺害事件の波紋は、複雑な模様を描きそうだ。
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