1 岩田世界資本主義論・原理論の意義
岩田氏の「資本主義は、特定の諸国の特定の資本主義的産業部門を基礎とし、種々雑多な諸生産を国内および国外に広汎に配置するような全体としての世界市場的過程として以外に実在せず、まさにそのような世界市場的過程として、一つの統一的な世界編成をなす世界資本主義をかたちづくっている」という「世界資本主義論」の方法は、リーマン危機後の今日、さらに重要性を増している。
岩田氏はまた、原理論と段階論の区別は、資本主義の歴史的生成、確立、発展の必然性を、内的展開において叙述するか具体的な姿態において叙述するかの叙述様式のちがいにすぎないとした。これは正しい。問題は、「岩田原理論」がその意図したような「資本主義の世界史的展開の内的叙述」になっているか、世界経済分析のツールとして役立つものになっているかどうかである。
2 歴史的要因による原理論の発展――株式資本
岩田原理論が「歴史」を取り入れた箇所は、原理論第三領域(資本主義の現実的過程)の「株式資本」の規定である。岩田氏は「株式資本」の根拠を、固定資本の巨大化によって(自由主義段階の産業循環恐慌のような)価値破壊ができなくなったこと、その結果生じた産業資本の利潤率の不均等を形式的に均等化するところに(利潤を、利子率で資本還元した貨幣資本の利子に擬制するものとして)「株式資本」の意義を認める。つまり、19世紀末の「帝国主義段階への移行=大不況期」をもたらした「固定資本の拡大」が原理論に取り入れられ、それによって株式会社が「巨大重工業産業の統合」の形式であることが明らかにされた。(ちなみに宇野は、「帝国主義段階への移行=大不況期」の扱いを、一方で原理論を「純粋資本主義論」に純化し、他方で「段階論としての帝国主義論」を新たに設けるという方法で処理した。)
3 歴史的要因による原理論の発展――諸国民経済
「帝国主義段階への移行=大不況期」をもたらしたのは、固定資本の拡大だけではない。イギリスに対抗し、産業生産力ではイギリスをしのぐにいたるドイツ、アメリカなど諸国民経済の台頭・対立は、原理論的にも重要な問題を提起しているはずだ。マルク、ドルなど「国民通貨」がそれぞれの中央銀行とともに形成され、世界商業の決済システムに諸国民通貨の交換・為替関係が入ってくる。他方で、イギリスは産業の後退を資本輸出でカバーする「金融帝国」へと移行する。原理論の信用論は、こうした各国中央銀行・国民通貨や国際資本移動を取り込んだ上で、信用が各国経済と世界経済編成をどのように媒介する力を持っているのか、明らかにする必要がある。
4 歴史的要因による原理論の発展――貨幣の歴史的進化
今日の世界的金融危機の特徴は、産業・貿易のような現物経済から乖離したグローバルなマネー投機の跳梁である。この「投機マネー」は、商業信用の延長としての銀行信用では理解できない。今日の「投機マネー」は、貨幣論の改訂を要求しているのではないか。
マルクス・宇野の原理論は、商品→貨幣で「商品貨幣=金」を導入し、原理論の最後まで、貨幣=金で通している。たしかに、第3編で「銀行券」が登場する。だがその銀行信用(銀行券)は、商業信用の発展であり、その本質は商業信用と同じく、「節約された遊休貨幣」を産業資本が相互に融通し合うものとしてある。したがって、貨幣はいつまでたっても「金」であり、信用も「金貨幣の節約」である。岩田原理論も、同じである【註1】。
このような<金貨幣の代用品としての銀行信用貨幣>では、今日の投機マネーを理解できない。
18世紀イギリスに成立した中央銀行を頂点とする銀行システムは、19世紀には海外の支店・コルレス銀行網をもつ世界的な信用・決済システムへと拡充した。世界商業に信用を供与し決済するのに使われた貨幣は、世界的な銀行システムの「預金通貨」であった。商業信用の延長としての銀行信用ではなく、銀行システムの世界的決済機構としての成立にもとずく「預金通貨」が現代資本主義の中心的な貨幣となっていること、そこに「銀行の信用創造」の根拠がある。これは銀行実務家の認識ではあるが、なぜか原理論には入ってこない。銀行の「信用創造」によって初めて「巨額の投機マネー」も理解できるし、アメリカの流出ドル環流機構となっている「ユーロ・ダラー」も理解できる【註2】
【註1】岩田原理論は信用の体系について次のように述べる。「資本主義的信用関係は、産業資本家および商業資本家相互間の手形取引をとおして形成される商業信用を一般的な基底とし、そして、預金や満期手形の支払や中央銀行からの再割引によって入手した銀行券をもってこれらの商業手形を割引く銀行信用を中軸とし、そしてさらに、これにたいして金準備を兌換準備としつつ銀行券発行をもって手形の再割引をおこなう中央銀行信用を頂点とするところの、統一的な信用体系へと転化する。」岩田氏もこの「統一的な信用体系」はもともと世界的な信用システムでありそれがイギリス国内の信用システムにもなっているというが、世界的な決済機構となっていること――そのためには預金通貨による決済となっていること――が、あいまいである。
【註2】商業資本・産業資本にとっての「貨幣」は、初期の商業手形やその発展としての銀行券から「預金通貨」へと発展し、銀行券は補助的通貨の地位に後退した。金は外国為替との関係(循環恐慌)で顔を出すが、実際に恐慌が起きると金兌換は停止された。R.S.セイヤーズの『現代銀行論(1959東洋経済新報社)』は次のように述べる:
銀行預金の「創造」の過程は、本質的には債権の交換である。公衆の一員はある種の債権――たとえば法貨たる国家貨幣、または国債、またはたんなる約束――を提供し、銀行は銀行預金と呼ばれる帳簿上の債務を提供する。…銀行に対する債権…が一般購買力として用いられる…それは貨幣である。[13p]
5 世界資本主義分析の目的
「世界危機―世界革命」論が岩田世界資本主義論の出発点であった。岩田氏は1960年代のドル危機をもって、①ロシア革命、ドイツ革命をもたらした第一次世界大戦にいたる世界危機、②ワイマール体制の崩壊とナチスの台頭、第二次世界大戦をもたらした戦間期世界経済編成の危機、③中国革命と東欧「社会主義化」をもたらした第二次世界大戦の危機に次ぐ第四の世界危機ととらえていた。だがそのとらえ方は、1930年代型の世界経済編成の破綻であり、1970年代以降の現実の世界資本主義のたどった道は、大きく異なった。第一、冷戦体制が崩壊し、今日はもはや「戦争と革命の時代」ではない。対外戦争ではなく、国民生活の維持が先進諸国家の生存理由となっている。パクスアメリカーナの解体は1960年代に予測したとおりであるが、国際通貨体制は1930年代のような一挙的な崩壊ではなく、基軸通貨ドルの衰退と先進国銀行危機が並行して進んでいる。
「世界危機―世界革命」といった分析視角は、「資本主義がその経済的世界編成の矛盾を、最後には、みずからの商品経済的機構によっては解決し得なくなり、その調整を政治的、軍事的過程[帝国主義の世界戦争]に求めざるを得なくなる」(『世界資本主義』序)というレーニン『帝国主義論』的な分析視角であり、それはまたレーニン型の「権力奪取・プロレタリア独裁型革命」に照応する分析視角であった。今日では、これは歴史的に否定されている。今求められているのは、「民主主義、社会主義、反国家主義、平和主義」そして岩田氏が晩年唱えた「コミューン主義」社会への着実な移行とそのための資本主義的原理の克服という新たな「世界革命」のための世界経済分析である。
この世界経済分析は、「世界経済編成の危機」に焦点を当てつつも、「帝国主義世界戦争の危機」を宣言するための分析ではなく、生活や労働を脅かしている国際的国内的経済的課題――たとえばユーロ圏諸国の反緊縮闘争や日本の雇用・年金福祉制度・エネルギー問題をめぐる闘争――の世界史的意義・展望とその経済的基礎を明らかにするものでなければならない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study570:121212〕