2013年9月21日 現代史研: 〈貨幣=金〉か? 奥山氏の報告「『貨幣数量説』はなぜ今、問題か」へのコメント

奥山氏は、「貨幣数量説」批判を手がかり(入り口)として

1 経済学は貨幣をどうとらえるか(貨幣論)

2 貨幣論と国際通貨システム(国際通貨システムの将来)

3 貨幣論と国内金融政策(黒田日銀の異次元金融緩和)

を論じており、世界資本主義の現状分析の中心課題を提起しているとともに、その経済学的方法の基底をなす貨幣論を真正面から取り上げている。以下、順序を変えて、3,2,1の順にコメントする。

*ページ数は、断りのない場合、奥山忠信『貨幣理論の現代的課題』社会評論社2013

[1]黒田日銀の異次元金融緩和とアベノミクスの限界

1 岩田規久男日銀副総裁は、次のように脱デフレ論を主張していた(岩田規久男、デフレと超円高、講談社現代新書2011.2)

・日銀は2%(ほんとうは4%)のインフレ目標を公約し、マネタリベース(現金+民間銀行の準備預金)を増やすべきだ(その手段としては、銀行の保有する長期国債等の日銀買い入れ)。

・これが直ちに銀行の企業に対する貸付の増大になるわけではないが予想インフレ率が上がり、予想実質金利が下がる[とくに対米比較で]。それによって内外マネーの円売りドル買い⇒円安をもたらす。円安は輸出企業の収益増でさらにインフレを促す。円高・デフレを変えられるのは日銀だけ[財政政策では不可能]。

2 これに対して「日銀がカネを供給しても、銀行にとどまるだけで企業への貸出増加にはならない。貨幣数量説は誤りだ」と批判するのは的外れだ。岩田は日銀のこれまでのマネタリベースの拡大が「ブタ積み」をもたらしてきたことをわきまえた上で「これは単純な貨幣数量説ではない」と言っており、インフレ率や株価など市場の心理効果にはたらきかけて経済が活性化されるのがねらいだとしているからだ。

3 2013.04黒田日銀の「異次元金融緩和」によって、たしかに株価の上昇と円安が進み、自動車などの輸出産業の収益が大幅に拡大した。だが、「市場の心理に訴える」黒田日銀[金融政策]にできることは、ここまでだ。オリンピック招致で市場心理の高揚をつなぎ止めても、その効果はせいぜい半年だ。

4 これ以上の国債買い取りは、金融政策の限度を超えた「日銀通貨の増発による財政支出の拡大(財政ファイナンス)」になる。黒田日銀は、国債暴落のリスクまで背負う度胸はなく、安倍政権に対して消費税引き上げの実施を要求した。黒田日銀の限界は、ここにある[ほんとうにデフレ脱却をめざすなら、ほとんどありえない国債暴落のリスクを負っても、財政支出拡大に進むべきだ]。

5 1998年以降続く日本の不況は、新興国の台頭による家電・電気機械・自動車など汎用品製造業の海外移転(空洞化)・多国籍企業化によるものであり、アベノミクスの限界は、輸出産業の競争力強化による「成長」回復という従来の「成長戦略」から一歩も出ていないことにある。

[2]1971ニクソンショック以降の国際通貨システムを貨幣論的にどうみるか

1 ブレトンウッズ体制は、金・ドル為替本位制[公的機関の保有するドル為替の金交換保障と各国通貨の対ドル為替固定相場制]であった。奥山氏は、1971ニクソンによる金・ドル交換停止によって、ドルをはじめとするすべての通貨が「不換紙幣」となる、「不換紙幣は人々の信認に依拠した通貨システムであり、信認が崩れたとき、通貨は崩壊する」、「国際通貨システムの崩壊」のリスクがあり「国際的な中央銀行券と金のシステム」がこの解決になる、という196p。そうだろうか?

2 国際通貨の貨幣としての質を、「金」プラス「兌換紙幣」であるか[ブレトンウッズ体制]、さもなくば「不換紙幣」のみであるか[1971以後のブレトンウッズ2体制]と二者択一に規定することに違和感を持つ。「ドル」は「商品貨幣・金」の代替物ではなく、信用貨幣(米連銀の銀行券)であったし、それはブレトンウッズ体制2以後も変わらない。変わったのは、ドルに対する金交換請求という歯止めがなくなったことであるが、「歯止め」は金交換だけではない。また、ドルの価値にとって金がまったく無関係になったわけでもない。金は米仏独中などでは外貨準備のかなりの部分を占めている(日本の金準備が少ないのは例外的)。

金交換を停止したにもかかわらず、そしてアメリカの経常赤字が続くにもかかわらず、①なぜドルは主たる国際取引通貨(基軸通貨)として使われ続けるのか、②ドルの暴落はなぜ起きないのか、③アメリカ経済が「好調」で、日本やヨーロッパ経済を牽引しているのはなぜか。貨幣論・国際通貨論はこれらの疑問に答えるものでなければならない。

3  ブレトンウッズ体制は、第二次世界大戦後のアメリカの圧倒的な経済力[製造業、債権国、金準備]と軍事政治力を背景に、冷戦体制構築にともなう西側諸国への「援助」と戦争出費、そして50年代後半からは日本・西独などの工業力成長による対米黒字(アメリカの対外経常赤字)によって国際的な運転資金(「流動性」)が供給され、貨幣的に機能した。ドルの価値を支えたのは、「ドル・金交換可能性」というより、アメリカ経済の圧倒的な強さであった。だが60年代後半、アメリカの対外赤字は、年額も累積額も過大となり、フランスなどからの金交換請求に応えられなくなり、ついに1971金交換停止に追い込まれた。

4  ドルの減価の傾向は一貫しており、その背景には、アメリカの経常収支の一貫した赤字拡大がある。経常赤字は「資本収支の黒字」で埋められるかたちになるが、その実体は、①1995~2001は、ルービン財務長官の「強いドルはアメリカの国益」によるドル高政策(1ドル80円台⇒120円、実効為替レート指数は87から109へ上昇)とそれによるアメリカへの資本の流入[水野和夫の言う「マネー一括集中管理システム」の形成]。②2002~2008は、ドルの減価(実効為替レート指数は111から73へ下落)によるアメリカの対外負債の実質的な縮小(黒字国日本等からアメリカへの所得移転)。【註】

【註】前期(1995-2001)の対外純負債額1.87兆ドルに当期(2002~2008)の経常収支赤字累積額3.86兆ドルを加えると5.73兆ドルとなり、これが当期の(仮想的な)純負債額になるはずである。ところが実際の純負債額は、前期とほぼ同じ1.79兆ドルである。この差額(5.73兆ドル-1.79兆ドル=3.94兆ドル)は、ドルの減価による「評価効果」とみられる[大橋陽(金城学院大学)、アメリカの対外経済政策と成長モデル]。

5 ドルが依然として最大の国際取引通貨であり、人民元がそうならない理由は、「交換性」にある。ドルは世界中どこでも使えるが、中国人民元の使い道は、限られている。また、英(米)の銀行は世界中に支店・コルレス銀行のネットワークを持つが、中国の銀行にはそれがない。英(米)金融インフラは英(米)の「金融立国」の基盤であり、この構築には、100年近くかかっている。

6  「基軸通貨としてのドル」の力の傾向的低下は避けられず、ドル決済を補完するユーロ、円、人民元など複数通貨の決済圏の共存となる。奥山氏は、ユーロの誕生とアジア通貨危機後のアジア経済を、その重要な過程として分析している。補うとすれば、

・ユーロの2000誕生は、冷戦体制の崩壊・東西ドイツの統合に危機感を持つフランスなどからの政治的圧力によるものであり、経済的無理を抱え込んでの通貨統合であった。その無理が、リーマン危機後の不況による南欧周縁国とドイツなどのあいだの競争力格差として顕在化した。「ドイツモデル」(勤勉な国民経済)を周縁国が受け入れるか、それとも周縁国が「ドイツモデル」を拒否してその経済社会的伝統を維持するか。資本主義の将来像がかかっている。

7 アジア通貨危機についての奥山氏の分析:アジア通貨危機後に日本が提唱した「アジア決済基金」構想はアメリカの反対でつぶれた。「アジアをめぐる日本のアメリカへの挑戦は終わった」が「アジア独自の安定的な国際通貨システムを模索する意義は依然として消えてはいない」169p。これに補うとすれば、

・1971ニクソンショック後の世界経済における国際通貨の変質と「投機」の威力を見せつけた。この「投機」の特徴は、①規模が大[ポンドを切り下げに追い込むほど]、②新興の投機ファンドによる[国民経済の規制の外にある]、③貿易や資本輸出といった「実体的な経済取引」から独立した動きである。

・アメリカは、2000年代には、こうした「投機」を国策として取り入れたが[金融の規制緩和、証券化商品、住宅バブルによる消費景気の維持]、その行き着く先がリーマン危機であった。

・「投機」に対する金融規制が、リーマン危機の再来を防ぐカギとなっている。独仏が規制強化を求め、イギリスが反対し、アメリカオバマ政権は「ボルカー規制」を成立させたがウォール街の抵抗にあっている。連銀人事で規制緩和をすすめたサマーズが辞退したのは、規制強化を求める勢力の強さを示す。

[3]貨幣とは何か?

◇奥山氏の貨幣論

1  理論的にはすべての商品が貨幣となりうるが、現実的歴史的には、金・銀が貨幣となった25p。 金銀は[それ自体として財宝=富であるゆえ]生まれながらにして貨幣である[金銀はすべての商品に対して交換可能であり、購買力がある]。27p

2  1971年ニクソンの金・ドル交換停止によって、ドルは不換紙幣となった。不換紙幣の価値(購買力)は日々の価格付けによって成立しているが、不換紙幣はそれ自身価値としての規準を持たず、したがって不換紙幣の価値は、共同幻想にもとずく。30-31p

3 貿易差額の増大によって国家の富を増やす重商主義は、決して「狂気」ではない。貨幣の増殖は富の増殖であり、これは商品経済あるいは資本主義の本性である。41p

4  金貨幣の絶対的な制約は、「金の量の不足」にあり、不換紙幣、とくに銀行券はその制約をのりこえる。銀行券[紙幣]は信用から生まれるが、銀行券[紙幣]の発行によって、貨幣は金から離れていく。45p

5 企業間の支払いの多くは手形[企業間信用]による。手形は、裏書きによって貨幣と同じように購買手段として機能する[あたかも貨幣のように流通する]。47p

6 銀行は、(金ではなく銀行券で)手形を割り引くことによって、企業間の債権債務関係を決済する。中央銀行は「最後の貸し手」機能を果たし、各銀行は中央銀行に預金口座を持つ。これによって銀行間の債権債務関係を中央銀行によって決済するシステムが生まれた。銀行券に対する信用の根拠は中央銀行の金準備にある。47-48p

◇これに対する矢沢の意見

1 貨幣について二様の見方が混在しているようだ。一方では、銀行券を「兌換紙幣」「不換紙幣」と規定するが、これは「本来の貨幣は金であり、その代用物として紙幣がある」という見方であろう。他方では、銀行券を[中央銀行-各銀行の預金口座による]決済システムから生まれた「信用貨幣」「預金貨幣」とみる。

金貨幣についても「金銀は、それ自体として財宝=富であるゆえ、生まれながらにして貨幣である」として、資本論の「商品→貨幣(金)」から導き出してはいない。後者(金貨幣、信用貨幣、預金貨幣を歴史的実在として貨幣とみる)の見方の方が現実に即している。

2  マルクス資本論の〈商品→貨幣→資本〉で展開される〈商品貨幣・金〉は、さまざまな使用価値を持つ商品が交換を通して共通尺度(商品貨幣・金)で測定される〈価値〉を持つことができる論理を述べているのであって【註】、この〈商品貨幣・金〉をそのまま歴史的貨幣(金本位制の金)と同一視することはできない。

【註】マルクスの「商品→貨幣」論は古典派の「労働価値説」を引きずっている。宇野原理論は「価値形態論」によって「二商品の等値関係から使用価値を捨象して直ちに商品価値を労働に還元するという『資本論』の形式的な方法を排除し」「商品世界の価値関係を、商品、貨幣、資本の諸形態の展開を通じて資本の価値増殖関係に集約したのち、労働商品を媒介にして、その資本の価値増殖関係を資本家的生産過程の内部における必要労働と剰余労働の関係に還元し、それを通じて間接的に商品価値を労働に還元するというこれまでの通説とはまったくことなる新たな方法を提起した」(岩田弘「資本主義経済の原理」第二章 〈世界資本主義フォーラム〉のサイトで読める)

3 奥山氏は重商主義は資本主義の本来の姿であって「狂気」ではないと(正しく)述べているが、ここでは、歴史的貨幣(金)を、それ自身価値増殖する運動体、つまり「資本」としてとらえている。資本主義の世界史的発展は、

G-G’[カネ貸し(貨幣)資本]⇒  G-W-G’[商人(商業)資本]

⇒ G-W…P…W’-G’[産業資本] と発展しており、貨幣は購買手段・流通手段である前に「貨幣資本」であった。

歴史的に見て、商品交換から金貨幣が出てきてはいない。マルクスは商品交換を「共同体と共同体の接するところで発生する」としたが、マルクスの「商品→貨幣論」は、「上着とリンネル」のような日常品の交換の中から貨幣(最終的には金)が発生したというシナリオになっている。だが、日常生活品の交換に金や銀の希少金属が貨幣として使われたことはどの時代をとっても、ない。せいぜい銅貨など卑金属コインであり、それは金貨幣の代用物ではない。【註】

金が価値の移転・蓄蔵手段として使われたのは、王家の財産・装飾品、家臣への褒賞、傭兵の給料などであり、交換手段としては遠隔地取引(決済手段)に限られている。日本の徳川時代の「三貨制度」は、金・銀・銭の三種の貨幣がそれぞれの流通範囲を棲み分けていたことを示している。日常品の交換に用いられた「銭」は、もともと宋からの輸入品であった。

【註】商品交換に貨幣の起源を求めるこの常識は、フィクションに過ぎない。…貨幣、計算貨幣の起源は、鋳貨の発行に二千年も先立ち展開されていた信用・債券債務関係にあった。…債権債務関係は、商品交換・売買に遙かに先行して展開されていた。楊枝嗣朗「歴史の中の貨幣」216

4 宇野派の原理論では、銀行信用の源泉は商業信用であり、商業信用の源泉は企業の「遊休貨幣」の企業間の相互融通であるとする。「銀行の信用創造」は、なぜか排除される。これは、経済の実態に合わない。

横山昭雄(『現代の金融構造』1977日本経済新聞社)は日本銀行での実務経験から、銀行家が「現金通貨」と「預金通貨」と合わせて「通貨」とするのは、取引決済手段としての機能の共通性に基づくと言う。「現金通貨」は、家計の決済、「預金通貨」は企業の決済に主として使われる。銀行の企業・家計に対する与信は同時に銀行の負債としての預金を生む。これは「無から有を生む」マネーサプライであり、信用創造である、と言う。

5  世界資本主義成立後の基本的な貨幣を「信用貨幣」「決済通貨」とみれば、21世紀の国際通貨システムの課題として、「金貨幣の復活」「金本位制の復活」を語るのは疑問。

[4]貨幣数量説について

中央銀行による金融緩和、つまり信用貨幣の国民経済への供給が過剰かどうかは、国民経済を一つの資本、つまり価値増殖運動体とみたとき、利潤を上げているかどうかの問題である。戦後日本は、〈対外収支の赤字→金融引き締め→対外黒字→金融緩和〉を繰り返した。「国際収支の天井」という判定基準があった。高度成長期には、〈技術革新的な設備投資→輸出拡大・国内消費拡大→さらなる設備投資〉の好循環によって、対外収支赤字もインフレもなく、雇用と経済成長を実現できた。80年代後半以降の資産バブルは、技術革新・高度成長時代の終焉の結果である。バブルがはじけて長期不況に突入し、財政出動が国民経済を支えた。貨幣数量説は、このように、国民経済に対する信用貨幣供給(財政も含めて)の経済効果の問題として、経済政策全体の中で論ぜられるのではないか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study591:130920 〕