1.ギリシャ危機の波紋
「ギリシャ人はキリギリスで、日ごろ遊び暮らしているからああいうことになったのだ」というまことしやかな噂話が、特に「勤勉なドイツ人」の間で飛び交っているとも聞くが、真相はどうか?
この「アリとキリギリス」のイソップ童話は、ドイツ人(アリ)に比較されるスペイン人やイタリア人やギリシャ人など、いわゆる「キリギリス」族と目されている国民に対してよく使われる。しかし実際に彼らは怠け者なのであろうか。
僕の行きつけの居酒屋で、数年前から働いている一人にギリシャ人の男がいる。大変な働き者だ。ほとんど彼が休みを取ったのを見たことがない。正午から真夜中まで、途中で店が中休み(Pause)をとる時間はともかくも、働きづくめである。
僕は、月、水、金の週に3日間はここに通っている。以前はこれ以外にもフラリと来ていたと思うが、とにかくいつ来ても働いている。Gastarbeiter(外国人の出稼ぎ労働者)なのか、あるいは既にドイツに定住しているのかは知らない。あまり無駄口もたたかない。かといってぶっきらぼうではなく、なかなか愛想が良い。欠点は「お勘定」を頼んでから、実際に取りに来るまでの時間がかかり過ぎることだ。それでも狭い店内いっぱいのお客の中を、大きなおなかを突き出して、ビールや食事の皿をせっせと運んでいる。座席の手配なども彼が中心となってやっている。ドイツ人の若い後輩にはビールの注ぎ方などを教えてもいる。泡の出し方がコツだからだ。Faulheit(無精者)という印象は全くない。
数年前に、近くのアインベックという町に行った折、ギリシャ料理の店に入ったことがあった。年配の父親と若い娘が二人で切り盛りしていた。テキパキとしていてすごく感じが良かった。親父さんも人が良くて、勘定を済ませて出るときにギリシャ産のワインを一本くれた。
ささやかな僕の経験ではあるが、彼らが怠け者だという印象は無い。
ある経済学者の見解では、2008年のリーマンショック時に「サブプライム・ローン残高は、アメリカの全住宅融資残高のわずか20%程度だったが、それが証券化されて世界中にばらまかれていたことによって信用市場の大混乱が引き起こされた。ギリシャ危機も同様、ギリシャのGDPはユーロ加盟17か国の3%弱であり、2009年の時にはそれほど重大とは考えられていなかった。しかし債務危機がイタリアやスペインに波及することで、危機は拡大していった。」とのこと。
ギリシャ危機の責任を一方的にギリシャ人に帰することはあまりにも無責任すぎるように思う。むしろ今日の無際限に広がる「信用バブル」、それに乗っかって利潤をむさぼろうとする企業や個人資産家や機関投資家(ヘッジファンドなど)、このような社会構造をつくりだした側にこそかなりの責任があるのであり、弱い基盤のギリシャ経済はその餌食にされたというのが真相のところに近いのではないだろうか。ギリシャ国債が証券化され広く世界にばらまかれ、利殖ゲームの食い物にされた結果ともいいうる。そして、この事態は、いつどこで起きても不思議ではない、明日の日本でも起こりうる事だ、と僕は思っている。
1990年から95年にかけて、ジョージ・ソロスが仕掛けたイギリス・ポンド相場への介入が、ポンド危機を引き起こし、一時はイギリス経済を危機的状態にまで追い込んだ事はまだ記憶に新しいことではないのか。
ともあれ、近々この問題で、周囲のドイツ人たちと意見交換しようということになっている。
先日、僕らがゲッティンゲン駅近くのバス停で帰りのバスを待っている時、すぐ近くにまだ若い女性が座っていた。痩せて、粗末な身なり、汚れたブロンドの髪を時々掻きあげていた、おそらくお金を持たず、食べ物もないのではないかと思う。なんだかとてもいたたまれない思いがした。なにがしかのお金をカンパしたかったのだが、こんな場合にどうすればよいかも分からず、そのまま見過ごしたことが未だに悔やまれる。今年のドイツは、こんな人を多く見かける。アフガニスタンからの難民(Flüchtlinge)、あるいはシリアやイラクからの難民が多いらしい。言葉も喋れないであろうこれらの人々はどうして食いつないで行くのだろうか。相変わらず、一部の地域では、「難民の移住阻止」というナショナリストの暴力事件が起きている(ネオナチも再登場している)。このところの新聞報道は毎日必ずこの記事を取り上げている。外国人移民を厳しく制限(実質的には排除)している日本にいてはこの深刻さは到理解できないだろう。しかし、国際情勢を考えれば、いつまでも一人日本だけがカヤの外に止まることはできなくなるのではないのか。国際情勢から隔離されている感のある日本で、ナショナリズムが一気に高まる危険性は十二分にある。
2.友人の家でのパーティに招かれて(7月26日)
前々からドイツ人の友人に、26日の日曜日にパーティをやるから来てくれと言われていた。まだ、そういう招待には慣れていないのだが、ともかくも行くことにした。彼の家には去年も一度招かれて行ったことがあるので、少しは勝手も分かるし、今年は僕らの家の女主人も一緒に招かれているため、ドイツのやり方を学ぶチャンスでもある。
前もって手土産を買い、当日は連れ合いが五目寿司を作ってそれを持参した。ドイツ人、特に僕らの友人たちは誰もが寿司を好む。新鮮な魚が手に入らないため、握り鮨は不可能だが、散らし寿司は、「寿司の素」を用意しておけば簡単にできるらしい。我が家の女主人も、その娘(30代)も一様に「Ich liebe Sushi」という。liebeという言葉は、普通には彼氏か彼女に向かって言う言葉で、こういう場合には「Ich mag Sushi」とmagを使って遠まわしに表現すると教わっている僕にとっては、最初かなりのショックだった。しかし、それほど寿司が好きだということで納得。
友人の家は、ゲッティンゲンの郊外にある。一帯は閑静な住宅街で、静けさも市街地とは別世界の感がある。ドイツの住居に特有な、きれいな庭、多くの樹木、花、小さな池などが見事に整備されている。去年来た時には、生憎夜だったので、あまり庭を見ることができなかったが、今年は約束の時間の30分も前(3時半ごろ)に到着してしまったため、改めてじっくり庭を見せてもらった。リンゴの木、桜の木、その他、名を知らない木が植わっていた。小さな池には金魚が泳いでいたが、少し日本の金魚とは違っていて、赤と黒の色が半々のものだった。水草の種類も違っているように思う。
庭にはきれに芝が植わっていて、少し高い花壇には、イチゴやヒンベーレなどが植えられていたが、イチゴは実に甘かったと連れ合いの言。
別の友人一組も合流して、しばらく庭でサッカーなどして遊ぶ。毛並みのふさふさしたペルシャ猫(?)がいて、僕らの家から一緒に来た子犬(Mia)が盛んにほえていたが、あまり気にするふうでもなかった。追いかけても実に身軽にすり抜けていなくなり、またどこからともなくあらわれる。
庭の一角に車庫風の物置があり、その前にバーベキュー用のコンロが置かれていたが、その中で「広辞苑」を縮めた程に大きな豚肉の塊が燻されていた。時折、刷毛で表面に香辛料を入れたソースを塗ってはまたじっくり燻す。これを何度も繰り返していた。時間をかけるほど美味しくなると彼は言っていたが…。また、その物置の隅に小さめの冷蔵庫が置かれていて、その中にビールやワインがぎっしり詰まっていた。
パーティは(去年もそうだったが)スペイン産のゼクト(Sekt)という発泡性のワイン(ドイツではシャンペンに当たるらしい)のカンパイ(Zum Wohl!)から始まった。それからビールが出されたが、これが彼(この家の主)の好みのBudweiser(ブトワイザー)で、わざわざチェコ産の本物を買っているらしい。この本物のBudweiserの美味しさは、実際に味わった者でなければ分からないと思う。ドイツのビールもなるほど美味しい、しかしこれにはかなわない。アメリカの「バドワイザー」は、これは真っ赤な紛い物で、全くの別物と考えて頂きたい。商標を買っただけのなんともまずいビールだと思う。
前菜といえるかどうか分からないが、つまみとしては、小皿に入った幾種類かの漬物。干したトマト、ニンニク、オリーブの実、それに少ししょっぱめの四角く切ったチーズ、などを酢漬けやオリーブ油漬けにしたものなど、それとこれも大変おいしいパン(大きなパンをぶつ切りにしたもの)だった。
それらをすべて平らげてから、いよいよ先の長時間燻された豚肉が出された。それを惜しげもなく大きくぶつ切りにして、ステーキ大のものを各自の皿に盛り付ける。それ以外に、あらかじめ用意されていたチーズを上かかかぶせた野菜サラダ、またソテーした茄子、ズッキーニ、ジャガイモが出た。この燻し豚肉の味は、少なくとも僕がこれまで味わったどんな肉料理よりもおいしいものだった。この後、みんなが「五目寿司」を食べている時も、僕だけは貪欲に、ひたすらこの肉にかぶりついていた。
序でだが、ドイツの豚肉料理にはずれは無いと思う。特に美味しいのは、イエナやバンベルク辺のHaxe(ハクセ:豚のすね肉)の照り焼きだ。表面がパリッとしていて、なんとも言えない。今回のはこれ以上だった。
彼は先日話に出た(前回の報告にも書いたが)Kaiserstuhlも用意していてくれたが、僕は専らこの肉とBudweiserを堪能して、十分満足した。
なんと楽しい時間だったことか、気がついたら11時近くになっていた。
いろんな話題が出たが、僕の方からの話題は、ハイデガーの『存在と時間』(“Sein und Zeit”)は、どう考えても人為的(künstlich, unnatürlich)な思考のようにしか思えない、と生意気にも主張したことだった。同席していた古典哲学(古代・中世ローマ)の専門家の女性に、どうしてそう思うのか、と聞かれた。僕の考えでは、確かにハイデガーの言うように、「世界・内・存在(in-der-Welt-Sein)」にわれわれは「被企投」された存在であるし、この無意識的に投げ込まれた存在世界を被投性(Geworfenheit)または事実性(Faktizitat)として受け入れてもいる。しかしそこでの反省は、どれほど厳密に行われようとやはり「抽象的な人間存在」の反省でしかないのではないだろうか。そもそも反省者に伴うはずの根源的なものとしての歴史性が欠けているように思える。ヘーゲルの言う「われわれの所有するものは全て過去の相続である(Besitz ist eigentlich Erbe)」の視点が欠けているのではないだろうか、と答えた。
この家の主も、去年ぐらいからすっかりヘーゲル派の一員になったらしく、大きくうなずいてくれた。
ヘーゲルが取り寄せて飲んでいたという、エアフルトのラマン兄弟商会のワインについても聞いて見たのだが、こちらの方は誰も知らなかった。また、Bordeaux産ワインも愛飲していたようだと言うと、やはり当時はナポレオンが「進歩派」の代表と目されていたからではないかという意見で衆議一致した。
外はすごく冷え冷えとしていた。車の中はクーラーではなく、暖房にした。それでも寒い。この日の前日(25日)にゲビッターがあったのだが、どうもそれを境にして季節が変わったように思う。このところ毎日、最高気温が23℃、最低気温が10℃位だ。やっと、持参したセーターが役に立つ。東京からの暑さの便りに同情するとともに、なんだか別世界からの便りのようにも思える。
<2015.7.28記>
全て友人宅の庭
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