1.ギリシャ問題と難民問題
行きつけの居酒屋のギリシャ人従業員に、言葉は何ヶ国語を喋れるのかと聞いて見た。ドイツ語、英語、ギリシャ語とユーゴスラヴィア語だという。ユーゴスラヴィア語と一口で言っても多様である。確かに古代ギリシャのアレキサンダー大王は、これらの中の一つのマケドニアの出身であるから、ギリシャ語に近いのかもしれない。しかし、この範囲にはおよそ10ヶ国語程度の言語(方言かもしれないが?)がある。ご専門の岩田昌征先生にでもお聞きすればはっきりするであろうが、かなりの違いがあるのではないだろうか。ヨーロッパに居ると、複数言語を操るのは当たり前のことのようだ。
ギリシャ問題はまだまだこれから長引きそうに思う。EUの存続問題にも関わる議論が百出してきているように思う。
ギリシャ問題に関するその後の報道をピックアップしてみる。
チプラス政権への民衆の評価は依然として高い。しかし、5週間ぶりに再開された株取引ではギリシャ株は軒並みに低迷している。これが今後にどう反映してくるだろうか。
前ギリシャ財務大臣のヴァルファキスはDIE ZEITとのインタヴューで、自分は挑発者だと思われていた。しかし、ただの局外者にすぎなかった全ヨーロッパにギリシャが実際に崩壊寸前であることを認識させて資金調達をしなければならなかったのだ…。自分の言葉は最初からドイツの民衆には伝わらなかった。メディアは最初から私を狂人扱いしていたし、ドイツのメディアはその点では一枚岩だった、と。
この間のDIE ZEITの報道で特に驚かされたのは、「ギリシャは最高のお客さまだ」というタイトルで書かれたものだった。これによれば、「ギリシャは全てを切り詰めているが、軍隊は別だ。ドイツの軍事産業コンツエルンにとっては非常に嬉しいことだ。彼らは数十年にわたってアテネと素晴らしい商売をする」だろう。
この記事を読んだときに、ギリシャ国民とチプラスのこれからの多難さを思いやった。
政権が左派に替わったからといって、そうたやすく万事が変革できるものではない。国内には大金持ちの階級も残っているし、軍隊などの国家組織もそのままである。国家組織の全面的な改革(例えば企業や資産家への税率強化や制度改革など)がそうやすやすと進むとは思えない。特にドイツやフランスやアメリカの産業との「腐れ縁」は、簡単には切れないだろう。切ろうとすれば、今度は彼らは自国産業の防衛という形で攻勢をかけて来るだろうからだ。中国、ロシアに鞍替えできたとしても、同じ構造であることには変わりない。
今一つ興味深い記事は「フリードマンは正しかった」という記事だ。「ユーロは経済政策上の大きな誤審だった、まだ救助可能なものを救助することが大事だ。われわれは一つの通貨統合を求めるが、EU諸国の中には潰れかかっているところもある。」というものだ。
かなりスパイスを利かせた記事には違いないが、ヨーロッパで高まりつつあるEU解体論に関わる重要な指摘であると思う。
このところ連日報道されているのは、難民問題である。この問題もEU存続問題に重要な影を落としている。イギリスでは、難民をこれ以上受け入れなければならないのなら「EUから脱退すべきだ」という声が強まっている。フランスでも、ドーバー海峡を挟んでイギリスと向かい合うフランス側のカレー(Calais)に多くの難民が押し寄せ、難民のテント村ができている。「死かイギリスか」というショッキングなタイトルの記事もある。
そのイギリスも、また彼らが当座とどまっているフランスも既に難民の受け入れに音をあげ、他の国へ「救助」を求めている。ドイツもしかり。
これ以上収容人数を増やすことは、国内政治の不安を助長し、「移民排除」を正当化しかねないからだ。ネオナチ党は、南ドイツで難民を収容する施設への放火計画まで立てているらしい。
バルカン難民の三分の一がローマに止まっている。「ドイツの政治家は他のバルカン諸国に、自国が安全な国で(受け入れ出来る状態に)あることを表明するよう要請している」そうだ。一方、難民の方は「その地での差別待遇を恐れている」という。
例えば、ハンガリーでは「ハンガリーの新しい鉄のカーテン」と呼ばれる難民移入防止用の「国家防衛のための新しい境界フェンス」を作った。その結果、難民は外部にとどまらなければならないことになった。或るアフガニスタンの家族はあきらめがちに言う。「われらにとって、これは多くの障害レースの一つにすぎない」と。彼らの行く路は「決してGoldを敷き詰めた道ではない」のである。
難民問題はこれからますます拡大しそうである。富める国と貧しい国、失業と貧困、群発する地域戦争、戦乱に明け暮れる祖国から命からがら逃げて来る人たち、こういう諸情勢が根本的に革まらない限り、難民のますますの増加は避けられない。そして、難民が増加すれば、それに伴ってこれらの大量な移民を受け入れる国の国内問題も拡大し、深刻化することになる。人は食えなければ犯罪に走ることもありうる。いやでも「民族主義的」な国家防衛への傾斜が高まって来る。安易な「国際主義」「博愛主義」は、たやすく真逆の「ナショナリズム」に転換しかねない危うさを残しているのである。
この事にどう向き合っていくのかは、これからの日本の重要な課題でもあると思う。
2.細切れの四方山話
固い話はこれ位にしないと、猛暑の日本に住む皆様にとっては「とても考えるどころではない、我慢の限界」となりそうなので、早速話題を転換して下世話な三題噺ならぬ四題噺に移りたいと思う。
1.最近ふと、植木等の歌った有名な「スーダラ節」の「スーダラ」という言葉はどんな意味なのか気になり始めた。そして、かなりこじつけな意味を発見。これはどうも梵語のシュードラ(首陀羅Śūdra)から来たのではないかと考えた次第。シュードラとは、ヒンズー教のヴァルナ=カースト(四種姓)の最下位で隷属民(農民や牧畜民などを含む)を意味するという。スードラともスドラとも発音されるそうで、おそらくこれが日本語音化して「スーダラ」になったのではないかと思ったわけである。サラリーマンの悲哀を最下層の隷属民の悲哀に譬えて、逆説的に「気楽な稼業」と歌ったのが、植木和尚(植木等の実家はお寺だというし、彼は東洋大学国漢科を出ている)のこの大ヒット作品ではなかったろうか。(もっとも、この説は根拠のない全くの我流解釈で、酷暑に耐えてまじめに仕事している人からは怒られそうだが)なんとなくこう考えて安心した。
2.ところで、日本が酷暑の夏を迎えると同時に、ドイツは本来の湿度の低いさわやかな夏になる。昼間はそれでも35~36℃くらいにはなる(時には40℃を超える)。しかし、日陰はさわやかで涼しく、朝晩は寒いぐらいだ。早朝、7時頃に散歩や買い物に出掛ける時には、道路にうっすらと霜が降りている時がある。夏?いや、初冬だろう、と話しながら身体を縮めて歩いている。着る物も朝、昼、晩で極端に変わって来る。そのため、昼出かける時には必ず一枚厚手のものをリュックに詰めることにしている。
3.最近、ゲッティンゲンの市立図書館(Stadtbibliothek)を使っている。従来、ゲッティンゲン大学の図書館もニーダーザクセン州の州立図書館と兼用なため、ここを利用していたのだが、今年になって、カード利用が義務付けられたため、手続きが面倒なので市立図書館にしたわけである。どうせ時間つぶし程度の利用なのだが、一応全館を見て回った。蔵書数は大体180000冊位。やはり大数学者のガウスがいたゲッティンゲンという土地柄なのか、理数系の専門書はかなり充実しているように思う。残念ながら哲学書はほとんど見るべきものがない。経済学や政治学の分野でも同様。しかし、僕の様な語学力の弱い者は、漫画コーナー専門で、それでも1時間に2,3ページも読めば良い方というテイタラクである。
4.最後に猫の話。今の住居の飼い猫の話は前にも書いたが、5歳になる雄猫のジンバ(Simba)は、相変わらず毎朝外に出たきり一日中放し飼いにされている。これが最近血だらけになって帰ってきた。さすがに飼い主も驚いて、日曜日だったことなどお構いなしに動物病院に電話しまくり、やっとゲッティンゲンで治療してくれるという病院を探し当てて連れて行った。頭への咬み傷と、他に身体に二カ所の引っかき傷があったそうだが、大事には至らなかった。僕などは、多分喧嘩して負けたのだろう位にしか思わないのだが、飼い主は、いや狐か大きな鼠(猫ほども大きいと彼女は言う)にやられたのではないか、病気にでもなったら大変だ、とおびえていた。それなら外には出さない方が良いだろう…。
しかし、この種の怪我の回復は早く、何日もしないうちに回復。再び部屋に閉じ込めておけなくなり、性懲りもなく外で遊びまわっている。
もう忘れたが、漱石の『猫』にも確か「クロ」という名前だったかの喧嘩の強い猫がいたが、何かで大怪我をしたとかいう話が出ていた事を思い出した。ジンバがこの程度の怪我で済めば良いが、…とひたすら願う。
<2015.8.5記>
Hardegsenは今年の9月に1000年祭をやることになっている。これはかつての衣装を着た人形を飾った町の展示場(旧城内にある)の一場面
昔の城の一角に設けられた見張り塔
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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