殺虫剤フィプロニル(Fipronil)騒動から日本の環境問題を考える
8月4日以来の卵、パプリカ、トマト、シャンピニオン(マッシュルーム)など、一連の輸入制限騒動もどうやら一週間たって落ちついてきたようだ。
野菜の方は最初の頃は産地を変えた品物が入荷されて並べられていたが、最近では元のようにオランダ、ベルギー産も並ぶようになってきた。
卵の方は、スーパーの卵売り場には大きな張り紙が張られ、フィプロニルの影響が除去されるまで、従来販売していた卵は入荷をストップしているとして、安全な養鶏場で飼育された鶏の卵のみが並べられていた。数も極端に少なく、値段も3倍近いため、なかなか手が出ないでいた。それがやっと一週間して解除された。それでもまだ入荷は一部制限されているようだ。
村の居酒屋(レストラン)
近くの村(エッシャーハウゼン)
(Kafe)一人前5.5ユーロ
環境大国ドイツの環境も、また周辺国の環境も年々劣悪化しているように思える。もう何年も前のことだが、新聞や週刊誌などで、北ドイツに面するノルトゼー(北海)やオストゼー(東海)の海洋汚染が深刻な問題として取り上げられたことがあった。微細(ミクロ)に分解されたプラスチックなどの化学物質のごみが、海水にプランクトンなどに混じって大量に放置されていて、それを食べた魚などの内臓から発見されるというのである。
この種の報道や警告は日本でも時々なされている。海水の汚染は、特に魚介類を主に食している日本、朝鮮半島、中国の沿海、台湾、東南アジアの住民にとっては、まさに死活問題につながる深刻な問題である。またこれは国際問題でもある。海洋は世界中の大陸を取り囲み、つながっている。どこか一国が厳しい規制を行っても、他の国々でルーズな対応をやれば、結果は同じことになる。
環境問題だけでなく、ありとあらゆるものが世界的な連関の中で成り立っている。世界を仮に有機的な連関体(普遍的なマクロコスモス)と考えるとすれば、各国、各地域はそれぞれ特有の事情、状況の中でその普遍と関係し、普遍的な問題を独特な形で現出させている(特殊・個別的なミクロコスモス)と考えられるのではないだろうか。両者は密接に関係し合いながら進行している。理念的な課題として目標になるのは、特殊・個別的な問題の解決を同時に普遍的な問題の解決として行うことであり、これしか真の解決はありえないであろう。しかし現実は、国際条約や国内の規制などによって、何とかこの理念的な課題の実現を求めて行こうとしながら、国家間や企業間の利害の対立、強国の横やり、自国、自民族中心主義などによって絶えず挫折という憂き目を見ることになっている。
世界中に様々な差異、格差が遍在する中で、そのことを他所において一般的に条約その他でうまく事を運ぼうとする(つまりは、先進国や大企業という強者の論理がまかり通る)やり方でうまく行くわけはない。それが先日ハンブルクで行われたG20の混乱(アフリカ問題を討議するのに、肝心のアフリカ代表は誰もいないまま、先進国の利益分割に終始しているため)に現れたのではないのか。
しかも臆面もなく、日本のアベシンゾーは、次回はぜひ我国で行いたいと提案している。
このところのドイツの天候はまたおかしい
(ドイツ人に聞いても)こんなに雨ばかり続くのも珍しいと思うほど連日雨が降り続いている。農家が大変だと聞く。たまに晴れの日があれば、作物を根腐れから守るために大変な重労働を強いられている。それでも農作物の不作はまぬかれないだろうといわれる。
害虫もはびこって来る。駆除剤を散布すれば、先日の様なフィプロニル騒動の再燃になりかねない。また同じEU諸国から輸入するにしても、あるいはアフリカその他から買うにしても、生産地の衛生状態の管理がうまく行っているとは必ずしも言い切れない。
また、ご存じの方も多いと思うが、ドイツの家屋は大部分が地下室(Keller)を持っている。大雨が続くと、道路に冠水した雨水が地下室に流れ込む。排水と地下室の衛生状態を保つため(というのは、多くの地下室が食料などの貯蔵所を兼ねているから)、大変な費用がかかるらしい。しかも、大雨の日が断続的に起きるときは、その都度の処理に、費用がかさばるばかりである。新聞でもこのことが大きく取り上げられて問題になっている。
大きな屋敷は、広い庭を持ち、地下への浸水はこの庭の草木で食い止めることができるだろうが、街路に直接面した家ではそうはいかない。
ここハーデクセンにもStube Strasse(「小部屋通り」とでも訳せばよいのだろうか)という名前の、おそらくかつてはここのお城に仕える下働きの人たちや職人たちが住んでいたのだろうと思えるような、小さな部屋だけが連なっている、日本の「ナメクジ長屋」並みの長屋のある通りがある。こんなところでは、大雨が降ればたちまち地下室が水浸しになるのは必定である。しかもお城のある少し高い場所から下る坂道沿いに立ち並んでいるのだからたまったものではないだろう。
そう言えば、われわれが住んでいる場所からはかなり下った場所にある小さな公園の周辺に植えていた草木、特に割に古い大きな木が、根元からめくれるようにして倒れていた。意外に根が張っていないなと思ったのだが、こんな大木が倒れるような強風が吹いたとも思えない。ひょっとするとこれも雨による根腐れからかもしれない。今朝の散歩では、その木の周囲の草花などをすべて入れ替える作業を行っているように思えた。
日本は高温多雨で、しかも台風が定期的に襲うためか、甚大な被害の報告はあるが、この程度の雨での被害報告はあまり聞かない。日頃の対策が功を奏しているのだろうか。
序でにいえば、この季節のドイツの道路事情は最悪である。どこへ行ってもBaustelle(道路工事中)、Umleitung(迂回)、gesperrt(閉鎖中)の表示ばかりだ。車で20分程度のところに1時間以上もかかることがある。Petraさんはいつも怒り心頭である。
原因は、冬と夏の温度差が極端に大きいため、道路に亀裂が入るのだと考えられている。アウトバーンの渋滞は、この時期の名物ともなっている。他国からの移動の車の進入が多くなる時期なのに、こういう道路工事が重なるからだ。ベルリンまでの片道3時間を、9時間かけて行った経験がある。
先日もゲッティンゲン行きのバスがついに予告もなく「間引き運転」されて、次のバスの時間まで1時間20分(20分はそのバスの遅れ)待たされてしまった。友人との約束の時間に大幅遅れで、大慌てにあちこち電話をしまくって、何とか体面だけは保つことが出来た。
友人宅でのホームパーティ
毎年かならず友人が自分の家に呼んでくれて、ホームパーティをやってくれる。大変恐縮だが、ドイツ人の生活を知るうえでは大変有り難い。
今年も、7月に一度と、つい先ごろもう一度、別々の友人宅に呼ばれた。
グリル用の機材(背景はトウモロコシ畑)
この日のメンバー
7月の時には少々雨にたたられたが、今回は前日まで降り続いていた雨が嘘のように止み、友人がこの日のためにと買っていたグリル用の器械(簡易かまど?)が大活躍した。
ビールにはそれぞれのこだわりがあり、7月の時はBudweiserだったが、今回はドイツのアインベックのビール(Einbecher Keller)だったが、これがなかなか美味しいビールだった。
今回主宰してくれた友人は、有名なワインの産地、フランケン地方の出身で、ここに来れば大概フランケンワインが飲める。今回は二種類のフランケンワインを飲み比べてみた。一方は名の通った「バックス」というワインで、もう一つは今回初めて飲む「ケルナー」というワインであった。ブドウの品種が違うのと醸造所が違うという話であった。
「ケルナー」の方が圧倒的にコクがあると感じたが、イタリアの赤ワインがお好みのPetraさんは、「なんだか水みたいだ」といっていた。
この日はいろんな話題が出されたので、なんだかこちらの語学力をテストされているようにも感じた。もちろん全てが判るには程遠いのだが、それでも話題の核心部分だけには何とかついて行けたのではないだろうか。
7月のパーティで、私を母親に紹介してくれた友人が「彼はHegelianerだ」といったそうだが、86歳の老母は私が「häkeln」(鉤針の編み物をやる)と勘違いしたらしく、息子に「あの人は鉤編みをやる人なのか?」と尋ねていたそうで、さすがにこの話は万座の大爆笑を誘った。
因みに、「Hegel」の方は「へーゲル」と発音するが、「häkeln」の方は「へーケルン」と発音し、最後の「n」はほとんど聞き取れないから、ドイツ人といえども聞き違えるのであろう。
「日本の政府はどうしてアメリカにいつも追従するのか?」という質問は何度も聞かれた。詳細に議論する語学能力はこちらには無いから、日本の自民党政権は情けないことにアメリカに「服従しているgehorchenからだ」「でもアメリカ、特にトランプを嫌っている日本人はかなりいる」と答えておいた。
われわれのドイツ滞在も残すところわずかになってしまった。時の過ぎる早さを改めて感ずる。近々、今度はわれわれが彼らを招待する必要がある。今年の夏はPetraは夜勤までこなしている。以前の交通事故の後遺症で、腰の調子がおもわしくないようだ。それでもがんばっているが、やはり疲労感はぬぐえない。
今回のご招待は、主に「五目寿司パーティ」となりそうだ。
(2017.08.17記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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