仕事をする私の目の前に、2023年「Watasiの憲法カレンダー」がある。美しく楽しい絵の中に憲法の条文が書かれている。製作者の、ウクライナで始まった戦争状況が「よくならない日々に、2023年のカレンダーをどのように創ろうかと悩みました」「日常の平和な生活の大切さと、憲法が目指す想いを感じ取っていただけたら幸いです」という言葉が添えられている。
私自身、ウクライナで戦争が起きそうになった時から、侵略の歴史を潜り抜け「平和憲法」を持つに至ったこの国が、「核抑止論」のこの時代にどんな態度をとるのか、国民である有権者たちがどう考え行動するのか、私はどう考えるのかと思う日々を過ごすことになった。今もそれは続いている。
1948年“新しい日本”の小学校に入学した。1年生の年度途中から教室の前の土間に脱脂粉乳が入ったドラム缶が置かれた。パン給食が始まった。全校集会では「緑の山河」を歌っていた記憶がある。
高学年になると朝鮮戦争が起き、アメリカという国をいろんな形で知らされ、高校を卒業する頃から日米安保条約に反対する運動が高まって、大学入学のすぐから全学生、全教員が街頭行動に出るような時代を過ごしてきたが、一番印象的で良い時代だったと感謝していることは、小学校から大学まで、先生たちが声をかけてくれ放課後だけでなく休みの時も遊んだり考えたり支援し教えてくれた時間を持てたことだった。
憲法の前文は述べている。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたら恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する」
ウクライナで戦争が始まりそうになった時、これは今までのある地域で起こされてきた戦争と違う、冷戦期から続くアメリカ主導の西側諸国と、アメリカ・イギリスが対する「敵」とみなしているロシアとの戦争だと思った。世界中を巻き込むのではないかと思った。
しかし憲法を無視し、安倍政権下で「安全保障関連法」を強行に成立させ、軍事化に進んでいる日本政権に期待が持てない。「武力でなく話し合いを」と世界に向かって声を上げてくれる政党や議員たちはいるだろうかと気が気でなかった。
国会で、戦争支援を呼びかけるウクライナ・ゼレンスキー大統領のビデオ演説に、日本の国会議員たちが総出で寄せた拍手、拍手・・・を驚いて眺めた日。思わず「過ちは繰り返しません」の言葉が口に出た。「9条を守る」とは何だったのかと悔しい思いだった。
中国や北朝鮮の脅威に対応するとして、沖縄南西諸島へのミサイル基地配備、そして日米韓共同で進め日本にも新設するという宇宙軍。こんなことが許されてよいのか。あの戦争の記憶はどこにいったのか。「しょうがない」と言っていてよいのか。
戦争を起こしてはいけない。金や物ではない人としてのつながりや教えが、差別や分断のない安心して暮らせる社会を創ることを今一度考えようではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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