H・ピンター(1930~2008、イギリス)――世界情勢について熱い政治的発言を繰り返した劇作家(講演。訳者は喜志哲雄氏=京大名誉教授・英米演劇学)
ハロルド・ピンターは2005年度のノーベル文学賞を受けた。受賞理由は「劇作によって、日常の対話の中に潜在する危機を晒し出し、抑圧された密室に突破口を開いた」。ノーベル文学賞を受けた2005年に「芸術・真実・政治」と題して行った受賞記念講演の中から、その真髄を示す箇所を紹介したい。
大多数の政治家の関心は、真実ではなく、権力とその権力を保持することとにある。そのために不可欠なのは。大衆が無知でいること、真実について、自らの生命に関わる真実についてさえ、大衆が無知でいることなのです。そういうわけで、私たちを取り囲んでいるのは、巨大な嘘の綴れ織りなのであり、私たちはそれを糧にして生きているのです。
イラク侵攻を正当化する理由は、サダム・フセインが大量破壊兵器を何種類も保有しており、その中には45分もあれば発射できて惨憺たる結果をもたらすものもあるというものでした。それは真実ではありませんでした。
イラクはアルカイダとつながりがあり、2001年9月11日のニューヨークの大惨事について部分的には責任があるとのことでした。それは真実ではありませんでした。イラクは世界平和に対する脅威なのだ、と私たちは告げられました。それは真実ではありませんでした。
真実はこれとは全く違ったものです。真実は、アメリカが世界における自らの役割をどう理解し、それをどうやって具体化させようとするかという点に関わっています。
戦後の時期にソ連で、また東ヨーロッパで何が起こったかは誰もが知っています。すなわち。組織的な残虐行為、広範囲にわたる暴虐行為、個人の思想に対する容赦ない弾圧といったものです。こういうものは全て、完全に文書に記録され、確認されています。
しかし、私が今言いたいのは、同じ時期のアメリカの犯罪についてはごく断片的な記録があるに過ぎない――詳細な文書があるわけでもなければ、確認されてもいない、いやそれが犯罪であったことさえ認められてはいないということです。
ソ連が存在していたことが、アメリカをそういう行動に追いやったことはある程度は確かですが、世界全体でのアメリカの行動を見れば、好き勝手なことがやれるとこの国が確信するに至ったことは明らかです。
主権国家に直接に侵攻するというやり方は、実はアメリカが好む方法ではありませんでした。おおむねアメリカは「低水準紛争」と呼ぶやり方を選んできました。低水準紛争とは、結局は何千もの人間が死ぬのですが、ただ、爆弾を落として一気に片づける場合よりも、死ぬのに時間がかかることを意味しています。
これは、ある国の心臓部に病原体を持ち込み、悪性の細胞を増殖させ、それらが死滅するさまを見守ることを意味しているのです。そして民衆が屈服し――あるいは、殴り殺され――これは、同じことですが――アメリカの友人、つまり軍部や大企業が権力の座に安住するようになったら、カメラの前に現れて、民主主義が勝利を収めたと述べるのです。私が問題にしている時期においては、これがアメリカの外交政策の常套手段でした。
ニカラグアで起こった悲劇は、極めて重要な例でした。それをここで採り上げるのは、当時も今もアメリカが世界における自らの役割をどのように捉えているかを示す、有力な証拠になるからです。
1980年代後半のことです。私はロンドンのアメリカ大使館で、ある会合に出席しました。アメリカ連邦議会は、ニカラグアに対するコントラ(ニカラグアの反政府右派勢力)の戦闘のためにもっと資金を提供できるかどうかを決定しようとしていました。私はニカラグアの立場を代弁する代表団の一員でしたが、この代表団の一番重要なメンバーはジョン・メットカーフ神父という人物でした。
アメリカ側の責任者はレイモンド・サイツ(当時は大使に次ぐ二番目の地位にあり、後に大使に就任)でした。メットカーフ神父は言いました。
――私はニカラグア北部の教区の責任者です。教区の住民たちは学校や保健センターや文化センターを建設しました。私たちは平和に暮らしていました。数か月前、コントラ軍が教区に攻撃を加えました。そして、あらゆるものを破壊しました――学校も、保健センターも、文化センターも。連中は看護師や教員を強姦し、医師を殺害しました。しかも、残忍極まるやり方で。連中の振る舞いは野蛮人のようでした。お願いです。アメリカ政府がこういう非道なテロリストの活動を援助するのをやめるように、進言してください。
レイモンド・サイツは、理性的で慎重で、きわめて洗練された人物として高く評価されていました。外交官の世界では、非常に尊敬されていました。この人物は神父の話をよく聞き、間をおいてから、いくらか重々しく、こう言いました。「神父さん、申したいことがあります。戦争の時には、罪のない人たちが必ず酷い目に遭うのです」
凍りついたような沈黙が生まれました。私たちはこの人物をじっと見つめました。先方は怯んだりしませんでした。確かに、罪のない人たちが必ず酷い目に遭うものです。
とうとう誰かが言いました――「しかし、この場合、『罪のない人たち』は身の毛のよだつような残虐行為の犠牲になったのです。そしてそのための資金は、アメリカを含む沢山の国から出ていたのです。もしもアメリカ連邦議会がコントラに更に資金を提供するなら、同じような残虐行為がもっと行われるでしょう。そうではありませんか。従って、アメリカ政府は、主権国家の市民に対する殺戮行為や破壊行為を支持するという罪を犯していることになるのではありませんか」
サイツは動揺しませんでした。「私が把握している事実によると、あなたの主張には裏付けがあるとは思えません」と、この人物は答えました。
私たちが大使館を出ようとしていた時、一人のアメリカの補佐官が、私の劇は面白かったと言いました。私は返事をしませんでした。
アメリカはニカラグアの残虐なソモサ独裁政権(1936年から79年まで、政治・経済的に支配を続けた)を四十年以上も支持しました。サンディニスタ(ニカラグアの左派武装革命組織)に導かれたニカラグアの民衆は、1979年にこの政権を打倒しました。それは息を呑むような民衆革命でした。
初出:「リベラル21」2025.02.15より許可を得て転載
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