北朝鮮の核問題を巡る朝鮮半島の危機状況のなかで昨年6月に実現した史上初の米朝首脳会談から1年。2月ハノイでの第2回会談が物別れに終わったことから緊張の再燃が懸念されている。北朝鮮の全面核放棄を促して東アジアの覇権に楔を打ち込みたいトランプ米大統領と、核を経済再建の武器にしたい金正恩朝鮮労働党委員長。しかし、二人の「同床異夢」はトップ外交の脆弱さを見せつけた。
問うべきは、東アジアの平和・安全保障にとって極めて重要な核問題が、首脳の駆け引きだけに左右される現実と、それは大戦の惨禍を二度も経験した現代国際社会で正常な姿といえるのか、ということである。核兵器は市民一人ひとりの命を脅かす悪魔の兵器である。ならば、市民の命と人権尊重こそが問題解決の根底に据えられるべきでる。真の問題解決は、東アジア安保に関わる政府に対して、市民の側から「核なき未来」への対案を突きつけることから出発しなければならない。
実はその重要な一歩が6月、東京で「日韓市民連帯行動」の形で刻まれた。侵略と戦争の世紀だった過去百年を教訓に、新たな百年の東アジアの非核平和を日韓市民がともに築いていこうというプロジェクトである。
「脱植民地」運動の導火線
1919年3月1日、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島で200万人以上の民衆が「独立万歳」を叫んで立ち上がり、日本軍警の弾圧によって約7500人が犠牲になった。それから百年後の同じ日、韓国ソウルの中心部・光化門広場に7万人近い市民が集って開かれた記念大集会で、「日韓市民共同平和宣言」が日韓代表によって朗読・発表された。
宣言は「日韓の市民は隣人として数千年を共に生き、この先の数千年も共に暮らして行かなければならない間柄にある。にもかかわらず、近現代史の過程で良き隣人になれなかった過ちを痛感する」と始まり、20世紀前半、一衣帯水の日本と朝鮮半島の反目の足跡を振り返る。だが、韓国の民主化と昨年2月の平昌五輪が拓いた南北雪解けをバネにして、日韓の市民が握手をし、ともに平和な未来の構築に向けて歩みだそう、という決意をうたう。
宣言は韓国側の意向でさらに磨かれ、6月7、8両日、東京・日比谷公園の野外音楽堂などで開かれた「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!日韓市民連帯行動」で冊子にして配られた。
この平和宣言はまず、3・1運動の世界史的な意味を説く。それは暴力的な民族主義ではなく、「第一次大戦後の平和の新たな潮流に乗り、朝鮮が東洋平和の代弁者であることを自任して、日本には東洋平和の実現に重要な役割をするよう促した」とする。運動は第一次大戦の戦勝国によるパリ講和会議の帝国主義的な植民地分割政策を超えて、アジア各国に「脱植民地」草の根運動を呼び起こした「導火線」であり、「20世紀市民による直接平和運動の原点であり、東洋平和運動の出発点であった」と強調する。
同宣言は2つの大戦をはさむ政治・社会思想の大きな流れを縦糸に、民衆の闘いを横糸に絡め織りなす歴史ドラマのようでもある。その巨大なうねりの底から生まれくる人権・平和思想の尊さを現実打破のカギとして突き示す。
宣言は次いで、「米国の冷戦戦略の一環だったサンフランシスコ平和条約を背景に」推移してきた日韓の現実をえぐる。両国は65年、日韓条約で国交正常化するが、サ条約体制下で日本の「戦後補償問題」は封印され、冷戦終結後に河野談話(93年)、村山首相談話(95年)、菅直人首相談話(2010年)など植民地被害に対する反省と謝罪を盛り込んだ態度表明はあったが、それらは国会決議も経ず、関連立法措置もなされなかったと厳しく指摘する。
日本政府は、戦後補償問題は65年請求権協定ですべて解決済みとの立場に固執し、日韓関係はいま急速に悪化している。それは日本が自らの「植民地犯罪」を認めず、日韓が「冷戦構造の遺産である『65年体制』を抜け出せない」ための「呻吟」であるという。
解決の道はどこにあるのか。宣言は2010年に日韓知識人が1910年「韓国併合条約」は「軍事的強圧と暴力の下になされ、最初から不法、無効であった」とする共同声明を改めて支持すると明言する。さらに、このような歴史認識とともに、国際社会が戦後、ナチス・ドイツや日本軍国主義による大規模人権侵害の経験を礎にして、1948年の世界人権宣言を皮切りに、国際人権保障体制を構築してきたことの重要性を強調する。「慰安婦問題」、「徴用工問題」などの懸案も「人権問題として誠実に被害者に寄り添えば、解決の道は開かれることを確信する」と強調する。
その文脈から、在日韓国・朝鮮人の苦難と直面する課題に目を向ける。植民地支配によって多大な苦難を受けた在日の人たちは解放後、52年4月のサンフランシスコ平和条約の発効で「日本国籍を喪失し、差別と格差に苦しみながらも『母国との架け橋』として共生社会の実現に貢献してきた。日韓市民はそうした歩みを共有し、永住者の地方参政権や朝鮮学校無償化などの懸案を多文化共生と国際人権保障の観点からも早急に実現させなければならない」と主張する。在日韓国・朝鮮人への言及は前述の2010年日韓知識人共同声明でもまったくなかっただけに、3・1百年のこの共同宣言で触れられたことには大きな意味がある。それは「日韓市民社会は人権重視を貫いて進化しなければならない」とするこの宣言の核心の一つでもある。
憲法9条は「核なき未来」の礎
平和希求と人権の理念が明示されたら、いよいよ憲法の出番である。宣言はこう説く――。
「日韓市民社会の原点は日韓の憲法にある。韓国憲法前文には『3・1運動精神』と李承晩政権を倒した4・19民主運動を基礎とする『民主共和制』の確立が謳われ、日本の植民地支配と独裁政治に対する抵抗が現代韓国の基盤である。他方、日本は憲法前文に『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し』とあるように、日本の侵略戦争を反省し、植民地支配に向き合うことが戦後の出発点であった。このように韓国の歩みと日本の戦後の出発点は表裏一体の関係にある。日韓両憲法の理念は、国際人権法とも通底する普遍的価値を追求するものであり、二つの憲法が共鳴してこそ3・1運動の理念は東アジア平和の礎となる」。
そして「人類と核」のあり方が説かれる。朝鮮半島・東アジアの非核平和は「わけても核の被害者の苦しみを救済し、悲劇を再び繰り返さない制度や保障の確立が基本」とし、とくに「原爆の惨禍を体験し平和憲法を持つに至った日本には、東アジアの非核平和を主導する義務と使命がある」と強調する。モンゴルの非核地帯化(2000年発効)に続いて日本と南北朝鮮が非核化を実現すれば、中国、ロシアに対して東アジア地域の非核化を求める根拠ができる。それによって東南アジア非核兵器地帯条約(97年発効)と連動して、アジアの非核兵器地帯化に近づくことができる――と提唱する。
これは2017年に国連で成立した核兵器禁止条約への日韓朝三者の同時署名を促す国際アピールでもある。その実現のためには平和憲法9条を守り、「核なき世界」が実現するよう、「9条の国際化を進めなければならない」と訴える。しかし、日本では「米国と一体化して『戦争をする国』になるために改憲が声高に語られ、戦後の出発点が否定されようとしている。それに対抗して、戦争放棄と戦力不保持をうたう憲法9条は『武力による平和』に優る現実的な安全保障策である」とし、もし憲法が改悪された場合、「東アジア軍拡の悪循環、核拡散地帯化」が引き起こされると警鐘を鳴らす。
宣言は、改憲を企図する背景にある民族主義を批判し、約2000万のアジアの人々と約310万の日本人の命を奪った軍国主義日本を美化する安倍政権の修正主義史観と守旧勢力の自己正当化、そして蔓延するヘイトスピーチを指弾する。
「市民のアジア」が主導する平和こそ
希望の光はある。宣言は代議制で政府を構成して平和外交を行うというカントの永久平和論と、ベルリンの壁を崩壊させた東独市民の蜂起という間接・直接の二つの市民平和論に注目する。そして、東アジアの高度成長によって生まれた「約14億の中産層と16億の『スマートピープル』」が「目覚める市民」として交流と協力を拡大、深化すれば「『市民アジア(Civil Asia)』が開ける」と説く。ここに「シビル・アジア」構築が大国主導の国際政治を市民主導の平和共同体に引き寄せるカギだと明示される。
すでに日韓では、民主化を劇的に進めた韓国キャンドル革命の中核団体と、「九条の会」や改憲阻止、戦後補償問題、反核など日本の市民団体との連携が活発である。宣言は「日韓市民社会団体連帯会議」として誓う――。
「私たち日韓市民は連帯と共同行動によって和解と共生、非核のアジアを未来世代に手渡すため『平和のプラットフォーム』の第一歩を共に踏み出すことをここに宣言する」。
8日の星陵会館でのシンポジウムでは、「米朝平和プロセス」において日朝国交正常化が重要だという主旨の発言がなされた。ただ、問題は国交正常化の中身である。なぜなら、米国は対ソ連・中国の防壁として日韓の背中を押して国交正常化を急がせ、その結果、経済協力方式がとられた。しかし、切り捨てられた戦後補償問題は冷戦終結後、韓国民主化のなかで深刻な問題として浮上し、いまも日韓関係の深い溝である。
日朝は2002年の「日朝平壌宣言」で「経済協力」を前面に出している。だが、日朝国交正常化は元来、植民地支配した日本が自らすすんで取り組むべき課題である。それだけに「日韓の轍」を踏むことのないよう、真正面から戦後補償問題に取り組むべきである。そこから日朝市民の、さらに日韓朝市民の連帯の可能性が見えてくる。
3・1独立運動百周年ソウル大集会で日韓代表が「日韓市民共同平和宣言」を発表。
左から3人目が金泳鎬東北アジア平和センター理事長。その右が内田雅敏日弁連憲法委員会委員
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