3.1独立運動に寄せて

著者: 小原 紘 : 個人新聞「韓国通信」発行人
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 3.1独立運動が今年100周年を迎える。
 韓国では祝日のこの日、政府主催の式典をはじめ、各地で多彩な催しが開かれる。国を挙げて苦難の歴史を振り返り、独立の尊さを確認する。町中には太極旗(国旗)がはためくだろう。
 作家の小田実さんが新聞のコラムで、「3.1ビキニデー(1954年〈(昭和29〉第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験による死の灰を浴びた日を記念して設けられた原水爆禁止運動の日)」は知っていても、朝鮮の独立運動3.1を知る日本人は少ない」と嘆いたことを思いだす。歴史を知らなすぎる日本人に対する苦言だった。
 侵略の歴史を学ぶことを「自虐的」と斥け、歴史に向かい合おうとする韓国の人たちを、「過去にこだわり過ぎ」と一笑に付す最近のわが国を小田さんはどう思うだろうか。日本全体が、過去も未来もなく、ただ浮遊している感じがする。日本は一体何処に行くのか。

<3.1運動から学ぶ>
 韓国では子どもたちに3.1運動の精神を受け継がせるプログラムが展開中だという(李在禎京畿道教育監インタビュー朝日新聞2/11デジタル版)。若者に歴史を教える韓国と軽視する日本。

 日本の苛酷な統治に抗して、1919年3月1日、ソウルのパゴダ公園(現タプコル公園)で独立宣言が発表されると、民衆は町に繰り出し「独立万歳」を叫び、またたく間に朝鮮全土に運動が広がった。官憲と軍隊の弾圧は苛烈を極め、全国217カ所で200万人が参加、7,509人が殺され、多数の負傷者と逮捕者は46,303人にのぼった(それ以上だったという説もある)。

<写真/パゴダ公園の銅板をもとに作成された3.1運動 100周年ポスター>

 発生当時、日本の新聞は一斉に「暴動」、「擾乱」と報じ、ほとんどの国民もそれに同調した。植民地の「反乱」としか考えなかった。
 しかし独立運動に同情、支持する声がなかったわけではない。
 「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」と詠み、日韓併合を批判した石川啄木は、すでにこの世の人ではなかった。柳宗悦が「日本の恥辱」、「悲しくもまだ今の日本は、自ら正義の日本であると言い切れない」(「朝鮮の友に送る書」1920)と運動を擁護したのをはじめ、吉野作造、宮崎滔天らも独立運動を支持したが少数だった。
 100年経った現在も、私たちは独立運動を「暴動」とみなした気分を引きずっているような気がする。そうでなければ、日本政府の要人たちが軽々しく北朝鮮、韓国に向かって、「信頼できない」「嘘つき」などという言葉を投げかけるのか理解できない。
前号に続き、今回は尹東柱 (ユン・ドンジュ)を紹介する。
 韓国でも、そして日本でも尹東柱ほどよく知られる詩人はいない。韓国人は詩が好きな民族だ。理由はよくわからないが、詩をよく読み、詩を書く人も実に多い。自分の詩集をプレゼントされたことも再三だ。映画やドラマでも有名な詩の一節が使われることが多い。彼らは「言葉の力」を信じ、詩の世界に生きているように見えることがある。詩と詩人を3.1民族独立運動の中心にして、民族のアイデンティティーを確認しようとする動きはとても韓国らしい。

 尹東柱についてソウル市教育庁のホームページは次のように紹介している。

 <紹介>尹東柱は植民地の陰鬱な現実のなかで、民族への愛と独立への渇望を切実に歌った詩人だ。日本の統治下に生れ、日本に留学中に創氏改名を行い、勉学を続けている自分を恥じていた。「たやすく書かれた詩」と「星を数える夜」という詩を読めば彼の気持ちがよく理解できる。
 東柱は日本留学中に抗日運動に参加したという理由で逮捕され、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死した。 主要作品 『序詩』

 尹東柱が在学した立教大学と同志社大学では追悼行事が行われている。治安維持法違反により懲役二年の判決。刑務所で亡くなった死因について拷問死、他殺説もある。(筆者追記)

     序詞    尹東柱  伊吹郷 訳
 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱(はじ)なきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ。
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。

 今宵も星が風に吹き晒される。

 詩人の茨木のり子さんは、この詩の魅力について次のように述べている。
 「二十代でなければ絶対に書けないその清冽な詩風は、若者を捉えるに十分な内容を持っている。長生きするほど恥多き人生となり、こんな風には書けなくなってくる。詩人には夭逝の特権というべきものがあって、若さや純潔をそのまま凍結してしまったような清らかさは、後世の読者をも惹きつけずにはおかないし、ひらけば常に水仙のようないい匂いが香り立つ」。
 しかし夭折ではなかった。獄中で得体のしれない注射を連日打たれ、亡くなる間際、母国語で何事かを大きく叫んで息絶えた。最後まで母国語で詩を書き続けたとも記している。
 尹東柱は、類まれな抒情詩人であるともに、民族詩人、抵抗の詩人だった。日本の敗戦直前、27才で短い生涯を終えた。この詩をそらんじる韓国人は多い。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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