4月7日、天皇が硫黄島訪問~石破総理は明日29日、日米合同慰霊祭に参列~

  トランプと石破について、もはや語るのも忌々しいし、斉藤某知事の無表情な往生際の悪い顔は見たくもない。一方で、マス・メディアやネット上では、皇室ネタというか若い皇族ネタがあふれ、笑顔が振りまかれている。

  そんな中で、見過ごすことができないニュースがあった。今年の1月から調整されて来た、天皇夫妻の硫黄島訪問が4月7日と決定したことである(「両陛下、来月7日硫黄島へ 戦後80年で戦没者慰霊―宮内庁」時事通信配信2025年3月21日)。さらに上記記事によれば、当日は「羽田空港から政府専用機で硫黄島入りし、2万人余りの日本人戦没者を慰霊するため国が建立した「天山慰霊碑」(硫黄島戦没者の碑)①、軍属として徴用された島民の慰霊のため小笠原村が整備した「硫黄島島民平和祈念墓地公園」②、日米双方の戦没者を慰霊する都の施設「鎮魂の丘」③を訪れ拝礼。遺族団体などとも面会する」という。(数字は下記の地図参照)なお、島には住民はおらず、自衛隊のみ常駐している。

 天皇訪問に先立って、硫黄島で、毎年3月下旬に実施されている「日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼式」が、今年は、明日3月29日に実施されるが、石破総理は今日の参院予算委員会で参列することを表明した。そして翌3月30日には、中谷防衛大臣とアメリアのヘグセス国防長官の会談が控えている。

矢印の辺りにある「再会記念碑」は、1985年の「硫黄島戦闘四十周年に当たり、曾つての日米軍人は本日茲に、平和と友好の裡に同じ砂浜の上に再会す。(中略) 昭和六十年二月十九日  米国海兵隊/第三第四第五師団協会/硫黄島協会」を記念し、1995年に建てられた碑で、この碑の前で、「日米合同慰霊追悼顕彰式」がおこなわれた。2000年からは、毎年おこなわれるようになった。地図は上記時事通信配信記事から借用編集した。

 折も折、私たちには唐突に思えたのだが、3月24日、陸海空の三自衛隊を平時から有事まで一元的に指揮する「統合作戦司令部」が、防衛省に240人体制で設置された。唐突とはいえ、2022年末、例の安保関連三文書に、「統合作戦司令部」の新設が明記されていたのである。毎日新聞は、今回の「統合作戦司令部」設置の狙いを次のように報じている。

「これまでは自衛隊トップの統合幕僚長が、防衛相を補佐しながら部隊運用の指揮などにあたっていた。業務が集中しがちだったため、今後は統合作戦司令官が専任で部隊運用にあたる。防衛任務や災害に迅速に対応する狙いがあり、22年に閣議決定された安全保障関連3文書に創設が明記されていた。同時に複数の案件への対処が必要となる複合事態が増えていることも背景にある。」(社説「自衛隊に統合司令部 一元化の内実が問われる」2025年3月27日)

この一文の前段からは、いわゆる「文民統制」がなし崩しになる不安が募る。また、大規模災害などでの自衛隊派遣の遅れ、初動の遅れには、被災者でなくともやきもきした記憶があるが、そんな事態が解消されるのか。

昨年の7月に発表されていた在日米軍の「統合総司令部」の設置も近い中、先の日米両国の防衛トップの会談では、何が話されるのだろう。両国の作戦面での協力といっても、日本の「敵基地攻撃能力?」にしても米軍の情報の方が圧倒的に多いわけで、米軍の指揮下に入らざるを得なくなるのではないか。米軍が他国への攻撃に突入した場合、日本の自立性が維持できるのか、など課題は多いが、どんなことになるのか。

 これ等の事案は、「台湾有事」を念頭に進められてきたことである。日本が巻き込まれるとしたら、日本に米軍の基地があるからではないか。トランプ政権は在日米軍強化を停止すると言い、日本の軍事予算も増額をと主張しているらしい。沖縄海兵隊のグァムへの移転もその一環だと思うが、どうぞ、どうぞ撤退してくだい、そうしたら嘉手納基地も新辺野古基地も不要になるのではないか。日本の「敵基地攻撃能力?」のために、いくら自衛隊を増強したところで、中国の軍事力や北朝鮮のアメリカを目標にしての、国民生活を犠牲にしてまでの軍事力強化に追いつきはしないのだから、軍事費の膨張は、無意味なのではないか、というのが素朴な疑問である。

 ところが、日本政府は、きのう3月27日、中国が台湾に武力攻撃する事態を想定して、沖縄県・先島諸島から避難する約12万人の受け入れ計画概要なるものを内閣官房が発表した。受け入れ先の山口県、九州各県は、その移動手段、宿泊施設、就学問題など課題は山積みで、各自治体は困惑しているという(「台湾有事 沖縄12万人避難」『東京新聞』2025年3月28日)。
まさに、机上の空論、画に描いた餅に過ぎないというのが、現地からの声だという。

 こうした流れの中での、天皇夫妻の硫黄島訪問なのである。戦後80年の「慰霊の旅」の最初にあたるとも言われている。石破総理の「戦後80年談話」は諸般の事情?で見送られるということだが、天皇は、ひたすら平成の天皇の「慰霊の旅」を踏襲することになるのだろう。その最初にして、あまりにも政治的なタイミングでの硫黄島訪問であると思えてならない。

 平成の天皇夫妻は、1994年2月、硫黄島を訪問している。以下は、拙著において、硫黄島で詠んだ天皇と美智子皇后の短歌について書いている部分だが、ご参考までに。

*****

「一九九四年二月、天皇夫妻は、六月のアメリカ訪問に先立って小笠原諸島を訪問、硫黄島の戦没者の碑、鎮魂の碑に参拝、天皇は「精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき」とやや儀礼的に詠んだが、皇后はつぎのように詠む。

・慰霊地は今安らかに水をたたふ如何(いか)ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ(「硫黄島」一九九四年)

硫黄島は、アジア・太平洋戦争末期、一九四五年二月一六日に米軍の砲撃が始まり、三月二六日制圧され、日本軍「玉砕」の島として知られる。戦死者は、日本軍約二一九〇〇名、米軍六一四〇名に達した。生き残った兵士たちや島民たちの生の証言は、筆舌に尽くしがたい凄惨を極め、テレビ番組やNHKアーカイブスの「戦争証言・硫黄島の戦い」、厚生労働省の「硫黄島証言映像」などで知ることができる。兵士たちは、水や食料、武器を絶たれた中での戦いであった。 大岡信は、「立場上の儀礼的な歌ではない。豊かで沈痛な感情生活が現れている。(中略)最新作まで一貫して気品のある詠風だが、抑制された端正な歌から、情愛深く、また哀愁にうるおう歌の数々まで、往古の宮廷女流の誰彼を思わせる」と絶賛する(「折々のうた」『朝日新聞』一九九七・七・二三)。だが、この一首は、死の間際に水を求める兵士たちの壮絶な姿を情緒で包み込み、美化してはいまいか。」拙著「美智子皇后の短歌」(『現代女性文学論』翰林書房 2024年)より。

初出:「内野光子のブログ」2025.3.28より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/03/post-6ac588.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14169:250329〕