5月18日・世界資本主義フォーラム・矢沢「資本主義国家の成立 世界資本主義論の再構築のために」のご案内

  • 主催 世界資本主義フォーラム

 

  • 日時 2019518日 午後2時~5時 (受付開始 1時30分)

※今回は、2時開始です(いつもは1時半ですが)。

  • 会場 本郷会館 東京都文京区2-21-7 電話 03-3817-6618

http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=10136

アクセス 地下鉄本郷三丁目から徒歩5分 (下の案内図参照)

◆東京メトロ丸ノ内線「本郷三丁目」より徒歩5分。

*丸ノ内線「本郷3丁目」駅からの行き方:「春日通り方面」出口から出て左へ。大横町通りに出たら右折し、100メートル行くと三菱UFJ銀行のATMがあります。ここを左折すると三河稲荷神社。その隣です。

◆都営大江戸線「本郷三丁目」3番出口より徒歩6分

  • 報告 矢沢国光
  • コメント 伊藤誠(東京大学名誉教授)

 

  • テーマ 資本主義国家の成立――世界資本主義論の再構築のために――

 

資本主義のオルタナティブを構想するためには、迂遠のようではありますが、資本主義の発生期までさかのぼって、世界の政治経済史、とくにパクス・ブリタニカの生成・発展・終焉の歴史のうちに、脱資本主義・脱主権国家の契機を探ることが必要だと考えます。[パクス・ブリタニカを引き継ぐパクス・アメリカーナとその行き詰まりについては、次の機会に譲ります]

 

[1]世界商業と国家――国籍のない世界商業と国籍のある世界商業

資本主義の起源を世界商業に求めるとは、どういうことでしょうか。13世紀に北イタリアから始まり17世紀オランダで最盛期を迎えた無国籍の世界商業(貿易と金融のネットワーク)は、イギリス、フランス等の国家に取り込まれ(重商主義)、国富の増大の手段となりました。しかし、国家に取り込まれたのは、世界商業の一部だけで、無国籍の世界商業は依然として国境の外に残りました。20世紀末以降の「グローバル金融化」は、「無国籍の世界商業」の復活・再拡大とみることもできます。

イギリスを世界の工場・世界の貿易センター・世界の金融センターへと押し上げたのは、「国家としての世界商業」――2つの三角貿易――でした。この「商業革命」(1640-1740年、川北稔)が、都市の消費拡大・労働賃金騰貴により、産業革命の促進要因となりました。

 

[2]国家と資本主義経済の結合――「財政=軍事国家」というシステム

「国家」とは何か。シュンペーターは、「共同の困難」から国家が生まれたと言います(『租税国家の危機』)。領主が(外敵という)「共同の困難」を指摘し、等族がこれを承認したその瞬間、私的領域に対する公的領域――「国家」――が生まれた。近代国家では、「共同の困難」に対処する方法は徴税です。それゆえシュンペーターは、国家はすべからく租税国家であり、「租税国家」という言葉は同義反復である、というのです。

租税国家の代表は、1688年名誉革命で国王から財政権力を奪ったイングランド地主議会の「財政=軍事国家」ですが、「財政=軍事国家」のイギリスこそ、資本主義と国家が結合した最初の近代国家といえます。

イギリス「財政=軍事国家」の要点は、(1)戦費の調達を国王の借金から国の借金(公債)に変えた、(2)公債発行による資金調達を、アムステルダムやロンドンの金融市場に求めた、(3)議会が設立したイングランド銀行が公債を発行した(議会による公債の元利保証)、(4)租税によって公債の元利支払いをした(17世紀後半、減債基金とコンソル債)、という点です。

イギリスは、こうした「財政=軍事国家」のシステムによって、戦時に膨張した借金をその後の平時の租税によって返済し、潤沢な戦費の調達によって、ヨーロッパ諸国間戦争に勝ち抜くことができました。それと対称的に、大国フランスは、「財政=軍事国家」への転換に失敗し、ナポレオン戦争で敗退しました。

 

[3]主権国家の形成と17-19世紀ヨーロッパ諸国間戦争の意味

主権国家は、どのようにして形成されるのでしょうか。他の主権国家の軍事的脅威に対抗して形成されるのです。「戦争が国家をつくる」のであって「国家が戦争をつくる」のではない。主権国家は戦争のための国家であり、主権国家の存在それ自体が戦争の原因となる--歴史は主権国家について、こうした本質を示しているように思います。

イギリス「財政=軍事国家」は、スペイン、オランダ、フランス、ロシア等との戦争を通して形成されました。フランスは、革命戦争とナポレオン戦争で史上初の国民軍をもつ主権国家となりました。ビスマルクのプロイセンは、オーストリア、デンマーク、フランスとの3戦争を勝ち抜いてドイツ帝国を建設し、富国強兵に専念して、イギリスを上回る重化学工業をもつ陸軍強国となりました。欧州列強のアジア植民地化の脅威を前にして、わが日本は、幕藩体制を打倒し、日清戦争により中央集権国家と富国強兵に突き進んだ、というぐあいです。

17-19世紀のヨーロッパ諸国間戦争は、その戦争目標こそ、当初の、領土や王位継承をめぐる争いから次第に、海上覇権・軍事的要衝の争奪戦や軍事的脅威を取り除く「地政学的」戦争へとその戦争目的は変遷しましたが、敵兵力に致命的打撃を与えて有利な講和条件に持ち込むという戦争の目標は変わっていません。戦争は、国家間外交の延長としての合法的手段でした(クラウゼヴィッツ的戦争)。

 

[4]パクス・ブリタニカの意味

1815年、イギリス軍がナポレオン軍を破り、以後1914年の第一次大戦までの100年間、欧州諸国間には大きな戦争はなく、「パクス・ブリタニカ」といわれます。「パクス・ブリタニカ」は、世界資本主義の発展段階論としても、「パクス・ブリタニカ段階からパクス・アメリカーナ段階へ」(河村哲二氏)とみられています。この百年間の「戦争なき世界秩序」はどんなしくみによるのか?そこでイギリスはどのような役割をはたしているのか?パクス・ブリタニカはなぜ崩れたのか。

 

[5]第一次大戦と戦争の意味の変化――「総力戦」

オーストリアとセルビアの対立が、三国同盟と三国協商の世界戦争(第一次世界大戦)へと発展しました。17-19世紀的戦争のつもりで開始した世界大戦は、予期に反して長期化し、「総力戦」になりました。戦争の性格が「合法的な手段としての戦争」を超えて「総力戦」になってしまったことは、「パクス・ブリタニカ」の崩壊を意味します。

「総力戦」には2つの意味があります。

第一に、19世紀後半の資本主義による工業力の発展が、軍事的破壊力を飛躍的に拡大し、しかもその軍事力は、労働力と経済資源の総動員体制を要求したことです。国民の総動員態勢は、国民の「生活」保障を必要とします。「福祉国家」は、総力戦の産物です。

第二に、戦争は、軍隊と軍隊の闘いに止まらない、国力と国力の闘い、したがって、相手国の国民経済全体の殲滅をめざす闘いになりました。ドイツの降伏は、戦場での敗北によるのではないことが、戦史の研究で明らかになっています。軍隊への補給の途絶、銃後の国民の飢饉、それによる軍とドイツ帝国の内部崩壊――つまり、イギリス経済力に対するドイツ経済力の敗北でした。

第一次大戦の「総力戦」としての中途半端性が、第一次大戦の延長としての第二次大戦への突入をもたらしました。第一次大戦から第二次大戦への過程で、世界資本主義は、パクス・ブリタニカからパクス・アメリカーナへと移行しましたが、これについては、別の機会に譲りたいと思います。

 

  • 参考文献

川北稔『工業化の歴史的前提 帝国とジェントルマン』岩波1983

松田武・秋田茂編『ヘゲモニー国家と世界システム』山川出版社2002

玉木俊明『近代ヨーロッパの形成 商人と国家の近代世界システム』創元社2012  

ジョン・ブリュワ『イギリス「財政=軍事国家」の衝撃』名古屋大学出版会2003

中野剛志『富国と強兵 地政経済学序説』東洋経済 2016.12

 

  • どなたも参加できます。資料代 500円 
  • 問合せ・連絡先 矢沢 yazawa@msg.biglobe.ne. jp  携帯090-6035-4686

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2019年5月以降の世界資本主義フォーラムの予定

  518() 矢沢国光・コメント伊藤誠[資本主義国家の成立]

615() 平川均(名古屋大学名誉教授)[一帯一路構想とアジア経済]

  参考文献(平川):

http://www.world-economic-review.jp/impact/article1048.html

http://www.world-economic-review.jp/impact/article1130.html

http://www.world-economic-review.jp/impact/article1291.html

 

7月以降   五味久壽(立正大学名誉教授)[中国経済のゆくえ]

         岩田昌征(千葉大学名誉教授)[東欧体制の崩壊・市場経済化]